VALKYRIE PROFILE

『きっと、雪のせいじゃない』


 平原に雪が降り積もっていた。
 ジェイルは剣を抜き払った。ジェイルの眼前では、ロウファが長柄の斧を構えている。ふたりは眼光鋭く睨み合う。肌を刺すような沈黙と静寂と冷気が空間を満たしている。遠くでは、魔術師の夢瑠と那々美が瞳を輝かせてその様子を見詰めていた。
 ロウファは間もなく神界に転送される事になっている。つい先刻、ヴァルキリーからそう告げられた。
 ヴァルキリーは今、グレイや詩帆を連れて忘却の洞窟へ向かっている。その間、今回のパーティ及び補助要員に選ばれなかったエインフェリアは、この雪原で鍛錬をして待機するように指示が出た。神界へ行く前に実戦で研鑽を積みたいとロウファは申し出たが、十分に勇者適性値もレベルも高いロウファより、まだ低レベルで適性値の足りていないエインフェリアの育成を優先するとヴァルキリーから言われ、ロウファは残る事となった。
 鍛錬をして待てと言われたにも拘らず、ヴァルキリーの指示に素直に従おうとしているのは、ロウファとジェイルだけだった。アリューゼやメルティーナ、バドラックは寒い寒いと文句を言いながら平原の隅にぽつんと立つ木の下で寝転がったり本を読んだり、思い思いに過ごしていた。
 エインフェリア達は、既に命を持たない存在だ。地上世界ミッドガルドで死を迎え、戦乙女であるレナス・ヴァルキュリアからエインフェリアに選定された。エインフェリアとは、間もなく神界アスガルドで起こる神界戦争“神々の黄昏<ラグナロク>”において兵士として戦う英雄の事だ。エインフェリアに選定された勇者の魂はヴァルキリーと共にミッドガルドで不死者を殲滅すると共に戦闘の腕を磨き、勇者適性値を上げて神界で戦うに相応しい戦士に育て上げられる。そして、ヴァルキリーの判断で戦士として認められると、神界に送られる。
 ロウファは元々腕が良く、生前騎士として忠実に王に従っていた経験もあってそもそもの勇者適正値が高かった。本来であればもっと早く神界に送られていても良かったのだが、新しいエインフェリアとの調整や戦闘における連携を積極的に行う協調性の高さから、ヴァルキリーがどうしても手放せずにいたのだ。しかし、ヴァルキリーの監督者である女神フレイから、そろそろロウファを送って欲しいと名指しされたため、送らざるを得なくなった。
 睨み合うふたりの唇から、細く白い息が棚引く。
 エインフェリアとなり肉体を失っても、ヴァルキリーの力でミッドガルドにおいて実体を持つと、生きていた頃と同じように呼吸もすれば温度も感じる。しないのは“成長”くらいなもので、今後背が伸びる事もなければ髪や爪が伸びる事さえない。
 ジェイルは刀身の細い剣が雪に鈍く輝く。ふたりは数分硬直していたが、ロウファがぐっと雪を踏み締めた瞬間、ジェイルは先手を打って雪を蹴った。
 ジェイルはエインフェリアの中でも、攻撃速度に関して特に評価が高い。細い身体に見合わない武骨で重厚な鎧を身に着けているが、鍛え抜かれたしなやかな筋肉とスピード重視の細い剣が相手を翻弄する高速攻撃を可能にしている。
 一気に懐に入られて、ロウファは柄尻を跳ね上げた。ジェイルの腕を狙ったこの攻撃をジェイルは深く屈み込んでかわすと、ロウファの脇腹に剣を振り込む。しかし、ロウファはぎりぎりのところでこの攻撃を避け、後ろに跳び退る。ジェイルの間合いの外に出ると、ロウファの長斧がジェイルの肩口を狙って振り下ろされた。ジェイルは身体をよじって剣で斧を弾く。もう一度雪を蹴って、ロウファの懐へ入り込もうとするが、ロウファはそれを許さない。薙ぎ払われた剣を斧の柄で止め、柄を旋回させて剣を振り払った。
「ちっ」
 ジェイルは斧の柄を篭手で押さえ、鋭い突きを繰り出す。ジェイルの剣はロウファの鎧を掠めたが、ロウファは身体を反転させて突っ込んでくるジェイルをかわした。そのままジェイルの背後に回りこむと、斧を振り上げる。ジェイルは踵を雪に突き立てて自身の勢いを殺すと、振り返りざまにロウファに向かって突進した。ロウファが斧を振り下ろした時には、ジェイルは既にロウファの眼前に飛び込んでいた。
「くっ」
 喉下を狙うジェイルの剣を仰け反ってかわすと、雪の中を転がってジェイルから距離を取る。
 きゃぁっと、夢瑠が悲鳴を上げた。
「やられてんな、ロウファ」
 木の下でふたりの様子を見物しているバドラックが、隣りで雪の上に寝転がってふたりを眺めているアリューゼがくつくつと笑った。
「この雪であの速さはなかなかのもんだなぁ。よく訓練してやがる。が、ロウファだって負けちゃいねぇよ」
 その言葉通り、ロウファは片手をついて身体を起こすと、三連続攻撃のトライセクトスラストを繰り出した。ジェイルは後方へ回転して飛び、避けた。しかし、ロウファは踏み込んで着地点に横薙ぎのスマッシュアックスを仕掛けた。空中で落下点を変える事が出来ず、ジェイルは剣先に右手を添えて剣を縦に構え、刃を刃で押し止めた。
 長柄の武器は間合いが広いが、振り下ろす、薙ぎ払う、突くの三パターンしか攻撃の種類がない上、ひとつの動作が大きくなるため、攻撃後に隙が出来やすい。その上、カシェルやアリューゼの大剣と違い、柄の部分が長いロウファの斧は攻撃可能範囲が狭い。ジェイルはその長柄斧の特性をよく理解し、得意のスピードでロウファの攻撃の届かない柄の内側に入ってしまえば自身の剣の間合いで戦える。しかし、逆に言えば、ジェイルを近付けさえしなければ、ジェイルの攻撃が届く事はまずない。それに、大剣と違い握り部分の長い斧は、引き寄せて短い間合いで戦う事も出来る。
 ロウファとジェイルの付き合いは決して長くはないが、ふたりはよくパーティを組み、鍛練の時間を与えられればこうして剣を交えているため、お互いの癖や動きを把握しつつある。互いに一歩も譲らず、剣と斧を打ち合った。
 出逢った頃からロウファの王子様然とした風貌の虜になっている夢瑠と、ジェイルを女と知りながら惹かれて止まない那々美は、ふたりの攻防を黄色い声を上げながら見物するのが定番になっていた。
 剣戟の響きが雪の上を滑る。
 ジェイルの鋭い眼が、ロウファの視線を追う。ロウファの鮮やかな青い瞳が、ジェイルの眼球の動きを捉える。ふたりの視線が交錯した。
 ロウファが神界に送られてしまったら、もうこうして剣を交える事もない。ジェイルは軽く唇を噛み、剣を振り翳した。これからはエイミやグレイと鍛練すれば良いのかも知れないけれど、こんなに剣を打ち合う瞬間の高揚感を、次の攻撃を仕掛けてくる瞬間の緊張感を楽しめる気がしない。ロウファでなければ。振り下ろした剣は、ロウファが額に掲げた柄に止められる。
 これから待つのは戦争だ。神界での戦いに参じ、死を迎えたら、次に待つのは消滅だ。魂の消滅。転生する事も出来ない。それでも、戦う事を任ぜられたエインフェリアに、選択の権利はない。ラグナロクが終わるか、消滅するまで戦うだけだ。自分が神界に送られれば、またこうして遣り合えるかも知れないけれど、或いはこれが最後かも知れない。もう二度と、会えないかも知れない。これが永訣の戦いとなるのかも知れない。
 剣を合わせながら、ジェイルの脳裏を掠める、寂寥感。――嫌だ。
 ロウファの瞳に映るジェイルの表情が歪む。何故だか泣き出しそうな、寂しさを押し隠す幼い少女のようなそんな表情に見えて、ロウファは瞠目した。
 直後、ジェイルはロウファに向かって突きの連続攻撃である奥義、エタナールレイドを繰り出した。辛うじて引き寄せた斧の柄で弾くが、数発銀鎧に当たって甲高い悲鳴のような音を立てる。最後の一撃を突き立てたジェイルの攻撃は、竜巻のようなロウファの奥義、ジャストストリームに阻まれる。
 ふたりは距離を取り、各々の武器を構えて睨み合った。振り出しに戻ったようにも見えるが、それぞれ肩で荒く息をつき、限界のようだった。
「やっぱり速いですね、ジェイルは」
「ジャストストリームの間合いに入ったら、抜けられないね。悔しいなぁ、勝ったと思ったのに」
 ふたりは同時に口を開き、同時に笑い出す。
 直径数メートルに渡って踏み固められた雪が、激戦を物語っていた。こんなに激しく、こんなに楽しく、打ち合える相手をロウファは知らない。目の前で喜色を浮かべる、青年のようななりをした同い年の女性は、ロウファにとっていつの間にか掛け替えのない好敵手になっていた。そして、そんな彼女との別れが、ロウファの胸を酷く締め付けた。彼女が笑えば笑う程、ぎりぎりと胸が痛む。
 離れたくない。もっと一緒にいたい。
 それが、好敵手としてなのか、それ以外の感情によるものなのか、ロウファはこの時判断がつかずにいたが、ただ彼女との別れが迫ってきている事が、たまらなく悔しかった。現在の主であるヴァルキリーが憎らしく思える程に。
「神界に行っても、頑張って」
「ジェイルも……いつか神界に来るのを、待ってます」
 ジェイルはロウファに歩み寄り、右手の篭手を外した。ロウファもジェイルに倣い、右手の篭手を外す。どちらともなく剥き出しの手を差し出して、硬く握り合った。
 雪は静かに降っていた。指に、手に触れる雪が冷たい。けれど、握り締める手の温もりが、雪の温度を忘れさせた。この温かさを、決して忘れないように胸に刻み込み、視線を交わす。

 離したくない――
 そう思ったのは、どちらだったのか。


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