ONE PIECE

『きっと、愛のせいじゃない』


 海は静謐で、星の瞬く音さえ聞こえてきそうな夜だった。
 秋島の丁度秋の海流だろうか、吹く風も涼やかで心地良い。
 海賊団“麦わらの一味”の料理人であるサンジに言わせれば、こんな夜に食べる夜食は肉ではなく魚料理でなければならない。出来ればマリネやカルパッチョのようなさっぱりとした味付けで、たっぷりの野菜とサンドイッチにする。合わせるスープは冷製でも良いが、時折風が強くなる事を考えると、かぼちゃかジャガイモのポタージュがベストだろう。一流の料理人というものは、気温や天候だけでなく、海や夜の雰囲気にも合わせた料理を用意するものだ。それが不寝番の時に食べる夜食であっても手を抜かないのがサンジの流儀でもある。食べられれば何でも良いというルフィやゾロの場合は別だが――特にルフィは、肉でなければどんなに美味い夜食を用意しても不服を口にする――、それ以外のクルーの場合、それなりに気を遣っている。チョッパーの番には必ず小さなケーキやマフィンなど、甘い物をつけるし、ナミやロビンの番には見た目にもこだわる。
 しかし、今日は自分の番だ。自分の不寝番の時は、そこまでこだわった料理を作らなくても良い。他の料理人がどうかは解らないけれど、サンジは自分のための料理にそこまで執着がない。自分が作る料理は美味しいと知っているから、不寝番を全う出来る程度に食べられればそれで良いのだ。その意味では、ルフィやゾロの「食べられれば何でも良い」に近いかも知れない。だが、もっと美味しい料理、今までとは違った料理をクルーに提供したいという探究心を満たす事が出来るのは、自分の番の時が最適だ。新しい料理を開発し、自分で味見が出来る。
 そんなわけで、サンジは今日の夜食の献立を頭の中で組み立てた。昼間、ウソップが大量に釣った体長三十センチ前後の白身魚を使おう。夕飯にムニエルにして供したが、マリネを試してみたい。刺身の状態で味見した時の感じから、マリネ液の配合を計算する。上手くいけば、明日の昼食に使おうなどと考える作業は、サンジにとっては楽しい事だった。
 料理人は天職だ。
 ――そんな考えを楽しめるのも、仲間がいるからで、今現在が危機的状況ではないからだ。そんな状況なら、明日の昼食の献立など考えている余裕は当然ない。そして、そんな余裕のない状況が、ほんの数週間前まで現実としてあった。
 司法の島“エニエス・ロビー”での戦い。サンジにとっても大切な仲間であるロビンが、入れば二度と戻れないといわれるその島に連行された事に端を発し、ロビン奪還のために激闘が繰り広げられた。そう言ってしまえば簡単に聞こえるが、創設以来八○○年間一度も侵入者も脱走者も許さなかったという鉄壁の防御を誇るその司法施設に初めて侵入し、全員が命を削るような正に“死闘”。ロビンを無事に連れ戻す事以外、何も考えられない状況だった。辛くも全員無事に島を脱出し、ロビンも再び戻ってきた。
 水の都“ウォーターセブン”の船大工、フランキーことカティ・フラムを仲間に迎え、新たな船で出航したのが本の数日前。
 そんな事があったなんて、信じられないくらい穏やかな夜だ。
「さて、準備するか」
 サンジはぐいと伸びをして、新しい自分の城である広いキッチンに向かった。今日の夜食はマリネ・サラダと黒パンとかぼちゃのポタージュスープで決まりだ。
 夕飯をたらふく食べたというのに夜食を作り始めるとつまみ食いに来るルフィや、喉が渇いたと甘いみかんジュースを所望したナミの相手をしながら――必要以上に引き止めると、どういう流れでそうなったのか、コインを数枚巻き上げられた――、サンジはのんびり自分のための料理を楽しんだ。
 夜十一時。船室はまだ賑やかだ。不寝番でなくても、まだまだ眠るつもりのなさそうなクルーの気配を感じながら、サンジは夜食を詰めたバスケットを提げて甲板に出た。
 月のない夜だったが、星は一層輝き、紺碧の空は仄かに明るい。相変わらず、海は凪いで穏やかで、微かな風が金色の髪を揺らす。
 サンジは大きく夜の空気を吸い込むと、煙草を一本咥えた。
 その時、ぱたんと音がした。何かが床に落ちたような音。侵入者や敵ではないだろうが、なんとなく気になり、サンジは音の方へ足を向けた。
 階段を上ると、ナミのみかんの木の下で、ロッキングチェアが揺れていた。座っているのは、ロビンだった。ロビンの腕は肘掛けから落ちてだらりと床に向かって伸びており、その手の先、床の上には本が落ちていた。さっきの音の正体はこれか。
 ロビンがぴくりとも動く様子がないので静かに近付いてみると、ロビンは柔らかな息を立てて眠っていた。こんな暗がりの中で本を読んでいたのか、明るい内に読み始めて眠ってしまって長いのか解らないが、それにしても、こんなに無防備に眠るロビンを見るのは初めてではなかろうか。
 この船には女性がナミとロビンのふたりしかいない。当然ふたりの部屋と男性クルーの部屋は分かれているから、ロビンが眠るところを見る機会なんて滅多にない。時折気候の良い昼間にデッキで転寝をしたり、食堂で微睡んでいる事はあるが、近付いて目を覚まさない程ぐっすり眠っている姿にはお目にかかった事は殆どない。
 しかし、いつまでもここで眠っていては風邪を引いてしまう。脚は厚手の膝掛けで包まれているが、上半身は薄手のブラウス一枚だ。しかも、品の良い白いブラウスではあるが、ロビンは肌を露出する事に抵抗がないようで、胸元が深く空いている。すっかり見慣れているつもりなのだが、気を抜くとついブラウスから覗くその白い肌に視線を捕われてしまう。
「ロビンちゃん」
 サンジは申し訳程度に声を掛けてみた。反応はない
 本を拾い上げて、膝の上に置いてみる。やはり反応はない。
 猫のような大きな黒い目は閉ざされてるが、すっと通った鼻筋や淡い色の形の良い唇は、否が応にも彼女の蟲惑的な魅力を引き立てている。この上こんな服を着て――もっと刺激的な恰好をしている事もしょっちゅうだ――男を惑わしているつもりがないのだから困ったものだ。
 仲間だから、疚しい目で見るつもりはない。
 個性的な仲間ばかりの船だから、身に着けるものにとやかく言うつもりはない。それでいうなら、海パンにアロハシャツという出で立ちのフランキーに文句を言うべきだろう。
 美しいが強かな女性だと思う。が、それ以上に脆く、仲間といても孤独のベールを脱ぐ事のなかった儚い女性だと知っている。エニエス・ロビーの戦い以降、そのベールは脱ぎ捨ててあどけなく笑う姿も見られるようになってきたが、心の深いところに負った傷が消え去ったわけではない。
 誰もが苦しい想いを抱えている。
 仲間だから、苦しみさえも分かち合いたい。
 仲間だから、側にいて支えたい。
 ……こんな風に、寝顔をずっと見ていたいと思うのは、“仲間だから”?
 サンジはバスケットを床に置き、そっとロビンの額に触れた。気配に敏感なはずなのに、触れても目を覚まさないなんて、余程疲れているのか。そういえば、昼間はルフィやウソップの釣りに付き合いながらはしゃいでいたし、勿論男性クルーほどではないが、今日は随分夕飯をよく食べていた。彼女の好きなメニューが多かったが、それだけでもないだろう。
 はしゃいで、お腹一杯になって、本を読んでいる内に睡魔に襲われた……というところだろうか。
 彼女にしては珍しい。けれど、そんな姿が見られるようになった事は素直に嬉しい。と同時に、彼女のはしゃぐ笑顔を自分では作り出せない事が、もどかしくもあり、悔しくもある。その分、食事で笑顔になって欲しいと願いながら料理に精を出しているのだけれど。
 サンジの指先で、黒い髪がさらさらと流れて額を晒す。
 大事にしたいのは、“仲間だから”。
 守りたいのは、一緒にいたいのは、“仲間だから”。
 それは、それ以上の感情ではないし、当然それ以下にもなりえない。
 もう二度と離れたくない“仲間”。
 サンジは徐ろに腰を折ってロビンの額に顔を近付けた。僅かに震える唇でその肌に触れると、爪先まで痺れるような甘い誘惑が全身を支配した。
「ん……」
 その時、それまで何をしても起きなかったはずのロビンが微かに動き、大きな目をゆっくりと見開いた。
「おはよう、ロビンちゃん」
 サンジはロビンの間近から優しく声を掛ける。
「風邪引くよ。中で寝なよ」
「えぇ……サンジ」
 寝惚け眼で答えると、ロビンは本を手にのろのろと立ち上がった。ロッキングチェアが大きく揺れる。
「今日の見張りは、貴方だっけ?」
「うん」
 サンジが軽く答えると、ロビンはうんうんと小さく頷き、何を思ったのか、突然サンジの髪の分け目に手を伸ばした。
「ロビンちゃん?」
 金色の髪がロビンの指先で揺れる。髪から手を離すと、今度はその手をそのまま肩に置き、ロビンはサンジの身体を引き寄せた。
「ありがとう」
 淡い色の、形の良い唇がサンジの額に触れる。思わず目だけで額を見上げると、ちゅっ、とわざと小さな音を立てた唇が艶かしく濡れている。
「ロビン――」
「おやすみ、サンジ」
 困ったな、そんな風に微笑まれたら、抱き締めたくなるじゃないか。
 サンジは肩をすくめて「おやすみ」と呟いた。

 “仲間”だから。それ以上の感情ではない。お互いに。
 今は。


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