寒いな。
 三年待ったけれど、やっぱり君は来ない。
 知ってるけど、君は来ない。
 ほら、雪が……


   弱虫サンタ


 静かに、静かに、雪が降る。
 君のいないこの街で、俺は今でも、君を待っている。この雪は、アメリカにも降っているのかな。きっとアメリカは、日本よりずっと寒いんだろうな。
 気付いていないかも知れないけれど、初めて逢った頃から、俺はずっと君を見ていた。最初は怖い人だなって思ってたけど、厳しい人だと思っていたんだけど、本当は凄く脆くて寂しそうに笑う人だって解って、気が付けば、俺はずっと君を眼で追っていた。
 いつからだろう。視線が交わるようになったのは。
 あの夏の日を、覚えている? 二人で洞窟に入って、満ち潮で入口が塞がった。泳げない君は、置いていって欲しいと言ったけれど、俺は君の手を握って、岸を目指した。波に揉まれて意識を失った君の手を、俺は、離す事が出来なかった。君を失いたくなくて。君が眼を開けた時の喜びを、今でも忘れられない。愛しくて、抱き締めたくなった。もう二度と、君を離すものかと誓った。
 危なっかしくて脆い君は、それでもやっぱり大人で、俺はいつも迷惑ばかりかけていた。男の少ない大帝国劇場で、俺はいつも頼られていて、なんとなく男らしく、強くいられる気がしていた。みんなに頼られている事で、自分が立派な人間だなんて、勘違いをしていたのかも知れない。本当は何にも出来ない弱い男だって事、君だけが知っていたんだ。少女たちに頼られて、好い気になっていた俺を、一度も頼らなかったのは君だけ。それなのに俺はもっと頼りになる男になりたくて我武者羅だった。差し伸べた手に、君は曖昧に微笑んだ。
 君の痛みに気付きもせず、俺は不満を抱えていた。
 子供だったんだ、俺は。君がどうして眼を伏せるのか、その意味すら解らずにいた。ただ頼って欲しかったけれど、本当はずっと君は俺の傍にいて、俺を支えていてくれたんだって事、だから頼りになる男でいられたんだって事、気付かずにいたんだ。ずっと傍にいた君の事、見失っていたんだ。
 それなのに、君のためにもっともっと強くなりたかった。
 二十歳の俺に、半年年下のはずの君は、どうしてかとても大人に見えて、とても遠くて。だから、近付きたくて背伸びをして、その度にまた遠ざかって。そんな、繰り返し。
 俺にとって『奇跡の鐘』の聖母役は、最初から君しか考えられなかったのに、君は信じられないという顔をしたよね。どうしてそんな顔をしたのか、解らなかった。もうとっくに、俺の気持ちに気付いていると思っていたから。だけど君は、俺の心が別の人に向いていると思っていたんだ。そう思って当然の状態があったのに、俺はそれすら解らなくて。


 ねぇ、マリア……。俺はずっと――



 クリスマス公演『奇跡の鐘』。ヒロインの聖母役はいつも君だった。君しか考えられなかったから。俺にとっての聖母。何よりも、大切な、美しいマリア。
 君は白い衣を身に纏い、舞台で夢のように歌っていた。舞台が終わったら、二人で教会へ行った。祈りの作法は関係ないと、指を絡めて祈る君の心の中を、いつでも覗いてみたいと思っていたんだ。君の気持ちが解らないと、自分の気持ちさえ口に出来ない、弱虫だったから。君に幸せを贈りたいと思いながら、動き出せない臆病者。
 自分の弱さを知る度に、もどかしくて苛立って、だけど俺を頼りにしてくれる少女たちの存在が、俺を強くしてくれる気がして――甘えていた。
 少しずつ、少しずつ、離れてゆくのを感じていた。気付かない振りをしていたけれど。俺がもっと強くなれば、君を守れると思っていたから。強くなりたくてもがいた。もがけばもがくほど岸は遠退き、君を苦しめていたのだと知らずに。
 君が、もうとうに俺の手を離れて、海の彼方に消えていたのだと知ったのは、三度目の聖母の時。
 舞台がはねて、教会で、君は言った。
「私、アメリカに行きます」
 何を言っているのか、解らなかったよ。
 ぽかんとしている俺に君は笑いかけて、一人去っていった。

「どうしてアメリカへ?」
 君は答えなかった。紐育華撃団のため? ラチェット君に用がある? 色々聞いたけれど、何も答えてはくれなかった。
「いつ戻ってくるんだい?」
「さぁ……」
 いつもなら期限は明確に話してくれる君が、不意に言葉を濁した。
 あぁ、あの時に君の瞳には確かに影が落ちていたのに、どうして俺は見落としていたんだろう。君の不安を汲み取る事も出来ずにいたんだろう。君の心を覗きたいなんて、そんな事を思ったんだろう。
「君は……俺をどう思う?」
「好きですよ」
「……それでも、何も話さずに行くのかい?」
「好きだから……行くんです。好きでも、一緒にいられない時はあるんです」
 何もかも悟ったような顔をしてさらりと口にするその言葉が胸を締め付けたクリスマスの夜。
 ただ君を幸せにしたくて走り続けた日々が、突然真っ暗になったあの夜。それでも自分の弱ささえ見えない振りをして、悲しむみんなを前に強がって君を説得すると言ったんだ。そんなこと、とても出来なかった。俺が一番必死だったから。悲しみに耐えるだけで精一杯だったから。
 そして本当に、一月の終わりに、日本を発った。みんなに一言の事情も話さずに。別れ際、二人切りになって君は言ったね。
「貴方が好きです」
 それでも行くのかと、俺は聞いた。どうして日本で一緒にいる事を選んでくれないのかと。
「貴方には私じゃ駄目だから」
 困ったように笑いながら冗談ごかして答えてくれたけれど、そんな言葉、聞きたくなかった。引き止める事が出来ないくらい、穏やかな笑顔を見て、どうして俺は……



 君がアメリカへ渡って、三年がたったよ。
 今年もクリスマスがやってきた。きっと、そっちは日本より寒いんだろうね。だけど、きっとクリスマスはこっちよりにぎやかなんだ。今年も君は教会へ行くのかな。
 君は自分の所在を明かす事もしなかった。ラチェット君や甥の新次郎に君の事を聞いてみたけれど、二人とも君を知らなかった。一度だけリトルリップシアターへ行った事があるんだってね。ラチェット君がチラッと見かけたと、すぐに連絡をくれた。ほんの一瞬だったし、しかもすぐには君と解らなかったから追う事さえ出来なかったとラチェット君は言った。随分痩せていたって。元々華奢な君なのに、どうしてそんなことになったんだい?
 何度もアメリカへ行こうとした。だけど、その度にかえでさんに止められた。
 いつか戻ってくるからって、かえでさんの言葉信じながら、君を待って三度目のクリスマスを迎えたよ。
 雪が降ってきたよ。

 静かに、静かに、雪が降ってきた。

 どうしてだろう……涙が、止まらなくなったんだ。
 マリア……マリア……――
 俺は弱虫で臆病で、だからどうしても口に出来なかった。本当は言わなきゃいけなかった事。口にしないと伝わらないこと。
 どうして自分から言わなかったんだろう。君に尋ねるばかりで。
 好きでも一緒にいられない。
 好きだから、一緒にいられないって――君は、そう言った。
 俺は一緒にいたかったのに、一度もそれを口にしないまま君を行かせてしまった。それを口に出来たなら、君は傍にいてくれた? 最後の最後まで、ずっと一緒にいられたんだろうか。
 俺は弱くて臆病で、悲しい思いをさせていたんだね。
 今なら君を守れるって、君を幸せに出来るって、そう思える。だから、俺は今でも一人で君を待っている。いつか戻ってくるって、不確かな言葉を信じながら。
 ねぇ、今なら君を守れるよ。今なら君を幸せに出来る。
 君に幸せをあげられる。
 ……いや。今なら大切な言葉を口に出来る。それだけで君を幸せに出来るって、知らなくて。
 
 マリア……マリア……
 好きだよ。
 好きだよ。
 好きだよ、マリア……
 君が、好きだよ。

 あの時、この一言がいえたなら。
 たった一言がいえたなら、ずっと一緒にいられたんだ。
 そんなことさえ、解らずに、君を一人で逝かせてしまった――


 マリア、マリア、
 優しいマリア。
 美しい、マリア……


 静かに、静かに、雪が降ってきたよ。



 お帰り、マリア。




 君を、愛してる

Fin
「好きだよ」
その一言を口にする勇気があれば
幸せをあげられた。
それに気付かずにいたばかりに……
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