貴方は月になりたい言った。
 目に焼きつくような強い光でなくて良い。人の足元を照らす光を放てるような、と。
 それなら、ねぇ、私は――


    流れ星でいい




 吹き抜けた風に、桜の花弁が舞い、往来を彩る街。樹に芽吹き始めた青葉が、月明かりに照らされて輝く時分。いつもは人でにぎわう大帝国劇場も、眠りについたかのようにしんと鎮まり返っている。廊下の窓から射し込む光に交わるのは、一筋の懐中電灯の光だった。
 帝国華撃団花組隊長、大神一郎。彼が、この帝劇内の見廻りをしているのである。夜の見廻りは、帝国華撃団花組隊長の仕事の一つだ。大神が隊長に就任する以前は、前隊長であるマリア・タチバナの仕事だった。
 大神は、足元を照らす光を眺めながら、ゆっくりと帝劇を歩いた。今日は、大神にとって記念すべき日だ。マリア・タチバナに大きな変化があったのだから。
 マリアの心は、閉ざされていた。いつも……。
 譬えるなら、氷。彼女の故国、ロシアのように、凍りついた心だった。表情に感情を表すことは極めて少なく、人間味のない、何処か機械的な人間だった。戦闘に関しては、それまで士官学校にいた大神でさえ、見た事のない冷静さと機動力を持ち、状況判断にも長けていた。
 十九の少女とは思えない。
 しかも、同期の桐島カンナの経験しているような、試合という形の闘いではなく、命懸けの闘いをしていたのではないかと思ってしまうような戦い振りだった。しかし、それにもやはり人間らしさというモノは見えず、ただ、戦闘用の機械のようであった。大神の事も、隊長とは認めなかった。故に、“少尉”と呼び続けていた。
 そのマリアが、初めて大神のことを“隊長”と呼んだのである。それが、大神の心に、光が射したかのよな感動を憶えさせた。いや、大神の心もさることながら、マリア自身の心の氷を溶かし、大神は、彼女の胸の奥に光を灯したのだ。空に懸かる月のように、淡く、優しい光を……――。
 大神の心には、喜びが溢れている……筈だった。だが、決してそればかりではなかった。喜びの裏側に、何ともいえない負の感情が生まれてい。真実を知ったがために……。
 今回の一件で、大神はマリアの過去を知ってしまった。彼女には戦闘の経験があった。その戦闘能力の高さは、それで納得がいった。それに、マリアが自分の事を“隊長”と呼ばなかった理由……。確かに、自分の事を隊長と認めていなかったという事もあった。が、“素直に認められない理由”とでも言うべきだろうか。つまり、マリアにとって、“隊長”というモノは特別だったのだ。
 かつて愛した男が、そうだったのだから……。

 “隊長”

 そう呼ばれた今でも、何か引っかかっているような気がする。胸の奥で蠢く感情が、大神を苛立たせた。
「変な……気分だ……」
 服の左胸の辺りをぐっと握り締め、自分でも理解出来ない何かに深い溜め息が漏れた。
 自分の足下ばかり見るともなく見詰めながら歩く。と、不意に大神は、正気に戻らされた。窓から差し込む月明かり。その光の中に、うっすらと人影が浮かんでいるのだ。大神は、窓の外へ視線を移した。屋根の上の――それは、明らかに人だった。屋根の上に、人が座っている。逆光で、それが誰かはっきりとは解らない。だが、どうやら敵ではないようだった。時折屋根に登ることがあるから、カンナかとも思ったが、それは違う。先程、カンナの部屋の前を通った時、カンナの寝息がしっかりと聞こえたのだから。
 ――では……
「……マリ……ア……?」
 大神は屋根裏へ上り、窓を開いた。すると、突然声がとんできた。
「誰……?」
 この声。
「やっぱりマリアか……」
 大神は、窓から身を乗り出した。
「……隊……長……?」
 “隊長”――その言葉に、思わず顔がほころぶ。が、同時に何か別なモノ――さっき、廊下で感じが“何か”が胸の奥を刺したような気がした。
「隣り、良いかな……?」
 大神は、マリアに断って屋根に登り、マリアの隣に座った。
「こんな時間に、こんな所で何をしていたんだい……?」
「いえ、別に何という程の事ではありません。ただ、月を見ていたんです……」
 大神に微笑を見せ、マリアは月に目をやった。
「月……か……。綺麗だな……。今夜の月は、特に綺麗だ」
「私も、そう思います……」
 囁くように声を漏らしたマリアの頬は、心なしか紅かった。
 こんな日だから、そう思うのか。それとも、月の所為か。マリアの顔が、いつもと違って見える。月を見詰めるマリアの横顔ばかり気になってしまう。いつもマリアの周りに感じる、見えない壁のようなモノがない。なんとなく、穏やかに見える。『愛ゆえに』で演じているオンドレのような凛々しさよりも、女性的な――ギリシア神話の美の女神・アフロディテや月の女神・アルテミスを思わせる、繊細さが感じられる。 そんなつもりはないのに、大神はマリアを横目で伺っていた。しかし、その視線にマリアが気付かないのも不自然であった。いつもなら、きっと気付く。気付かない振りをしているだけか、本当に気付いていないのか……。
 どれ程の間そうしていただろうか。長い間、お互い言葉一つ交わさなかったが、大神は、その沈黙を破った。
「街が、昼間と違って見える。月の所為かな。なんか、さっきまで戦っていたのが嘘みたいに思えるくらいだ……」
「ええ……。本当に。ずっと……、ずっとこんな風であれば……」
 十にもならない幼い砌で戦場に赴き、大切な人を失ったマリアの、切実な祈り。“平和”というあって当然のものを望んで、十九の少女がこんな顔をするのか、と、大神は愕然とした。
「……ああ……」
 また、沈黙が生まれた。月を見詰めるマリアの瞳は、先程とは違い、隠しても隠しきれない憂いを帯びている。
「それにしても……、月というのは凄いモノだな……」
「……え?」
 やはり、沈黙は大神によって破られた。
「だって、ほら。月がなければ、帝都は闇の底に沈んでいる。目に焼きつくような光じゃない。淡くて、優しくて。暗がりで迷う人は、その足下を照らされれば、どれ程心強いだろう。そんな光を持っている月って、凄いとは思わないかい?」
「…………」
応えないマリアの表情を見ることなく、大神は俯いて、小さく微笑んだ。
「……俺は、月のような人間になりたいと思……」
「駄目!」
 叫び。それはあまりに突然のモノで、大神の顔に浮かぶのは、驚き以外の何ものでもなかった。眉を寄せ、近しい人間が今にも死んでしまいそうだとでもいうような、悲しげな表情でマリアは大神を見詰めた。しかし、大神の驚きの形相に我に返ったマリアの顔は、みるみる内に耳の先まで紅潮し、大神と目を合わせていることすらままならずに、俯いてしまった。恥ずかしさを紛らわすようにわざとらしくきょろきょろと周りと気にかける。
「だ……誰も気付きませんでしたよね……。すみません。私ったら……」
 大神は、思わず笑みをこぼした。
「気にしないで。大丈夫。誰も気付かなかったようだから。それより、どうして“駄目”なんだい?」
 今まで、こんなマリアを見たことがあったろうか。気恥ずかしさに、言葉を詰まらせるなんて。マリアが落ち着いたのは、それから二、三分後のことで、それまで大神は、穏やかな微笑をたたえてマリアを見詰めていた。その後のマリアの告白など、知る由もなく。
「かつて、同じ事を口にした人がいました。もう、五年以上前のことです。あの時も、今夜のように月が綺麗で、こうして二人で月を見上げて話していたんです」
「……それって、ロシア革命の時の隊長……?」
 大神は、直感でそう言った。
「え……?どうして……それを……」
「あ、いや……。決して調べたとか、そう言うわけじゃないんだ。ただ、話に聞いて……」
 今度は、大神が慌てる。マリアは、肩をすくめた。
「いえ、構いません。あんな勝手な行動をとったのですから、知られても当然だと思っていますから。……そうです。その、隊長が仰ったことなんです。月のような人間になりたい、と……。大神隊長と全く同じ事を言ったんですよ……」
 マリアの消えてしまいそうなくらい微かな笑みに、大神はまた、感じた。月を眺めていて暫くおさまっていた、胸の中の蠢動。それはまるで、時を刻む毎に増しているようであった。
「君にとっては、大切な……」
 それ以上の言葉を紡ぐことが出来ず、大神は口を噤んだ。
 マリアはそっと目を閉じた。
 空の晴れている夜は毎日のように外に出て、幼い少女であったマリアと、隊長・ユーリーは、星を見上げては色々な話をした。
 これからの戦いについて語り合い、夢を語り合った。
「月のような人間になりたいと思っている。目に焼き付くような、強いモノでなくて良い。淡く、優しく、人々の足下を照らせるような光を放てる、月のような人間になりたいと思う……」
「それなら、隊長。私は……――」
 翡翠色の瞳を輝かせて、マリアは白い息を吐いた。

 マリアは、そっと目を開いた。
 翡翠の瞳は、月を仰ぐ。
「月って……、遠い所にありますよね……?」
 マリアは、囁くように言った。
「……え……?ああ。そりゃ……ね……」
「でも、なんとなく近く感じるんです……」
「……そう……だね……」
 マリアは、くすりと微笑った。
「私にとって、隊……あの人は、本当に月のような人でした。優しくて、暖かな光を持った人でした……。けれど、遠い人……。あの月のように。近くにいるのに、何故か触れることも出来ないくらい遠く感じることがありました。あの月だって、なんだか……。なんだか、手を伸ばせば届きそうなのに、決して届かなくて……」
 大神は、ぐっと唇を噛み締めた。どうしてこんな顔をするのだろう。たった一人の男を思って、どうしてこんな表情が出来るのだろう。大神は、心の内側を掻き乱されたように眉をしかめた。こんな気持ちは、初めてだった。
 何が自分に、いつもと違ったマリアを見せるのか。何が自分に、こんな気持ちを持たせるのか。この妙な感覚は何なのか。大神には、まるで解らなかった。そんな大神の変化に気付いているのかいないのか。マリアは、言葉を繋いだ。
「あの時、私は幼くて、咄嗟に言ったんです……」
「なんて……?」
 大神は、平静を装って問い返した。
「『それならば、私は流れ星になりたい』と……」
「……流れ星……?」
 思わず声を漏らす。
「流れ星……か……。どうしてまた……?確かに、綺麗だけど……でも……」
 遠いどころか、一瞬で消えてしまう――大神は、その言葉を繋げることが出来なかった。それより早く、マリアが口を開いたのだ。
「ほんの、一瞬でも良いんです。少しでも、あの人に近付きたいと思ったんです……。少しでも、あの人の近くへ行きたいと……。それに、流れ星は願い事を叶える星だと云います。流れ星を見付ける度に、あの人は願い事をかけていました……。だから、流れ星になって、その願いを叶えたくて……。ほんの一瞬でも良い……、どんなに短い命でも良い……。そう、思っていたんです……」
 今は、どうなのだろうか。そんな疑問を持ったが、尋ねることは出来なかった。答えを聞くのが、怖かった。
「その願いって、何だったんだい?」
 問われて、マリアは大神と視線を合わせた。無理矢理に笑っているように見える。マリアは、首を傾げて見せた。
「さあ……。解りません。尋ねても、いつも答えてはくれませんでしたから……。ただ、いつも、『俺がそれを成せたら良いのだが』と言いました。革命の成功……。渡米……。それとも……――」
 そこまで言って、マリアはふと笑みを浮かべ、微かに首を振った。
「やはり、解りません……。けれど……――」
 今度は、マリアの方が唇を噛み締めた。ぐっと両手を握り合わせて、躰を小さく震わせる。
 そんなマリアの姿に、大神もまた、拳を固め、膝の上に押し付けた。足の骨に、ずんずんと力が加わる。わけの解らない自分の中の何かに戸惑いながら、いや、それすらも忘れて、大神はただ、マリアを見詰めることしかできなかった。
「けれど、私は流れ星にはなれなくて、ユーリーは月になってしまったんです……。本当に、もう手は届かないんです……」
 マリアの唇に血がにじんだ。
「マリア……」
「すみません……。こんなこと……。こんなこと話したのは、大神隊長が初めてです……。本当にすみません。下らないことを……。私……は……」
 下らないこと――そんな筈がない。マリアは五年も、独りでこの想いを背負ってきたのだ。月を見る度に、自分の不甲斐なさと罪悪感に胸を痛めて。
「下らなくなんか、ない……」
 それだけの言葉を絞り出すのが精一杯だった。
「……すみま……せん。でも……だから、大神隊長には、月にはならないで欲しいんです」
 微かに震えた声。マリアは大神を見詰めた。
「遠くへ……行かないで下さい。近くにいるのに遠く感じるなんて嫌です。本当に遠くへ行ってしまうのも、嫌です……」
 それだけ言って、マリアは目を細め、眉を寄せて笑った。酷く、儚げに。
「なんだか、幼い子供のようなことを言ってますね、私……。隊長は、『月のようになりたい』と仰っているだけなのに……。可笑しいですね」
 大神は、首を横に振った。
「そんな事ないよ……。有り難う。約束するよ。俺は、月になんかならないよ。その代わり、マリアも約束して」
「……え……?」
「君も、流れ星なんかにならないで。一瞬で消えてしまうような、儚い命にはならないで。ずっと、そばにいて……」
「……隊……長……?」
 マリアの顔が紅に染まる。
「……あ……。あ、いや、だから、俺は……、だから、その……」
 思わず出てしまった言葉に、大神は戸惑いを隠せなかった。自分が今、何を言ったのかさえ朧気にしか解らない。そうして慌てふためく大神に、マリアは笑顔を見せた。大神も、初めて見る笑顔。演技の時とはまるで違う。頬を染めて、まるで花が咲いたように。大神は、自分の胸が高鳴るのを感じた。さっきから何度も起こっている、胸の奥のわけの解らない何かが、すっと消えて行くのが解った。大神も、つられて笑顔を返した。と、マリアは大神との距離を縮めた。
「約束……します……」
 そう囁いて、大神の肩に額をあてた。


 泣いて……いる……?

 
 気がつくと、明日が今日になっていた。大神は、顔を上げて凛とした表情――いつもと同じマリアを部屋へ送り届け、遅くなってしまった見廻りを再開する事にした。



 一度に記憶を掘り起こされて、それでもみんなの前では強がっていた。だからこそ、独りに戻った時、心が急に脆くなってしまう。――マリア。
 マリアは、自室の窓から月を眺めた。胸にかかっているロケットを握り締めて。
「ユーリー……」
 そう呟いて、マリアは黙り込んだ。瞳を曇らせて、じっと俯く。が、瞬間、決心したように顔を上げた。
「ユーリー……。ごめんなさい。いつか、私はやっぱり流れ星にはなれません。そして、いつか貴方のそばにいたいという想いさえ、消してしまう日が来るかも知れません……。でも、それが私の素直な気持ちです。……許して下さい……」
 マリアの頬を、涙がつたう。それはまるで、いつか来る本当の意味での訣別を予告しているかのようであった。

 大神は、中庭に出て、ふと月を見上げた。さっきとは違う場所にある月。
「彼女は……、マリアは強すぎる。貴方の、所為ですよ……」
 自分には、どうすることも出来ない。そして、今の自分を、マリアは頼りにはしてくれない。
「貴方の願い、俺には解ります……。貴方は、マリアを……――」
 口惜しい。何もできない自分が。しかし、大神の顔には、自信が浮かんでいた。
「俺にはまだその力はありません……。けれど、いつか、必ず……必ず、貴方が叶えられなかった願いを、俺が叶えてみせます。流れ星の力なんかなくても、俺が、成してみせます。貴方の代わりではなく、俺として。大神一郎として!」

 空に輝く蒼い月は、そっと帝都を照らしている。
 淡く、優しく……。
 そんな月の隣を、流れ星。
 一筋、白く……。
 
 誰かの想いを、すくい上げるように……――。



Fin
これから、何かが始まる。
きっと、未来は輝いて……



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