ただ、彼女が好きだった。それだけで全部許される気がしていた。
 彼女は総てを受け入れてくれて、俺は彼女の総てを受け入れた。
 だからこそ、今、立ち止まる。


   分岐点


 初めて彼女に出逢った日の事を、今でもよく覚えている。冷たい眼をした、眩い影を纏う女性。だけど、こんなに美しい人は初めてだと思った。所謂“高嶺の花”。俺には手の届かない人。彼女は俺には望みのない人だと思った。
 いつからだろう、彼女を意識するようになったのは。
 初めて舞台美術の手伝いをする事になって、読み方の解らない図面をテーブルに広げ、食堂で唸っていたら、何も言わずに珈琲を煎れてくれた。嬉しくて、お礼もまともに言えなかったっけ。そうだ、あの時は未だ「少尉」って呼ばれてた。
 初めて「隊長」と呼んでくれた日の事は、忘れられない。あの時見た彼女の笑顔が忘れられない。
 彼女の心の闇に触れたの時、見守る事を決めた。だけど、彼女が俺を認め、心を開いてくれたと同時に知った事実に、胸が痛んだ。俺が入り込む余地はないと思ったから。あの時既に、彼女を愛しいと思っていた。
 隙がなくていつもキリッとしているのに、実は可愛い物にも惹かれていて、ひらひらと愛らしいヒロインの衣装に憧れていた。頬を染めて慌てる彼女がいつもと違って見えて、そんな彼女を知っているのが俺だけだって事が嬉しくてたまらなかった。
 二人きりで出掛けたのは初詣が初めてで、それまではいつも誰かと一緒だった。でも――“二人になるのを避けていた”と、後に彼女が言っていた。緊張するから、と。
 初めて手を繋いだ日も、初めて口付けをした日も、嬉しくてなかなか寝付けなかった。
 二人切りで露西亜に行った時、ずっと寄り添って、窓の外の雪を見ていた。俺は何も出来なくて、彼女は今はそれで良いと言った。時間がかかっても、ゆっくり愛情を温めていきたかった。
 初めて結ばれた日は、嬉しくて泣いてしまった。彼女も、泣いていた。

 心が通ったかと思ったら一年も離れ離れで、手紙を書くにも彼女だけというわけにいかず、一年ももどかしい想いをした。俺が帰って来たかと思えば今度は彼女が三カ月も出張で、辛かった。激闘に次ぐ激闘、勝利、それから今度は俺が海外出張で帝都を離れた。その時は巴里だった。
 巴里には彼女も他の仲間と一緒に来てくれたけれど、少し寂しそうな貌をした。
「何でも解ってるつもりでいたけれど、私は貴方の事を何も知らないんですね」
 彼女の寂しさにも気付かず、自分だけが辛いと思い込んでいた自分が恥ずかしくなった。
 帰国した時には敵陣に潜入したきり行方不明だと心配させられるし、俺達は息つく暇もなかった。
 春、巴里のメンバーが帝都に来たり、色々あった。その後、俺は大帝国劇場の支配人になった。
 此処までの道のりは楽ではなかったけど、俺の傍らにはいつも彼女がいた。恋人として、副隊長として。

 彼女と出逢って四年が過ぎた。恋人と呼べる関係になって三年。
 俺は、“恋人”から踏み出したいと思っていた。二人で、この先ずっと一緒にいるための誓いを交わしたいと。彼女もそれを望んでいると思っていた。



「マリアさ〜ん!」
 マリア・タチバナ。それが、俺の最愛の女性の名前。事務の榊原由里君が、マリアを探している。
「どうしたんだい、由里君?」
「あぁっ、大神さん、マリアさん知りませんか?」
「いや、知らないけど……どうしたんだい?」
「マリアさんにファンの方から花束が届いたんです。それで、渡そうかと思ってて……」
「あぁ……」
 公演の時以外にも、ファンからプレゼントが届く事はよくある。マリアと若手の男役のレニは特に多い。
「渡しとこうか?」
「え〜、支配人にそんなの、悪いですよぉ」
 そうは言いながらも、由里君は期待に瞳をきらきらさせている。本当はそうして欲しいって事。でも、支配人になった俺に雑用を頼んだら、彼女の上司である藤井かすみ君に怒られるのだ。俺が率先して「やらせて欲しい」とか言わないといけない。そうすると、“支配人の頼みを断るわけにはいかない”という事になるわけだ。
「やらせてくれないかな?」
「そうですか? 有り難うございます、大神さん!」
 全く、現金なんだからなぁ。それが由里君の魅力でもあるから良いんだけど。
 由里君と一緒に事務所に行くと、大きな花束があった。赤を基調にした華やかな色使い。赤い薔薇とピンクのスイートピーが特に鮮やかだ。
「はい、お願いします」
 由里君に差し出されて受け取ると、思ったよりも重かった。綺麗だけど、マリアにはもう少し赤みを抑えた花の方が似合うと思った。でも、自分の劇団員がファンに愛されるのは喜ばしい事だ。
「それにしても、マリアさんの人気は最近特にスゴいですねぇ」
「え?」
 マリアのファンは、昔から多かったが。
「前は八割九割が女性からでしたけど、今は男性からも多いんですよ。特に此処一、二年で益々美しさに磨きが掛かったと思いませんか? 舞台でのきりっとした男役の凛々しさと、雑誌とか舞台以外のところで見せる女性らしさのギャップが男性ファンを激増させた理由だと思うんですよねぇ。あと、『奇跡の鐘』の聖母役! あれは絶対理想の女性像ですもん。あの後から急に増えて……丁度、大神さんが巴里に行ってた頃あたりで、男女比率が半々になったんです」
 由里君はかなり興奮して捲し立てた。マリアの人気は知ってるつもりだったけど、そんなに男性ファンが多いとは知らなかった。そういえば、このところ男役しかやってないけど、俺が巴里に行ってる間にやった『十二夜』のヴァイオラ(セザーリオ)役は大好評だったらしいしな。
「そのお花も、男の人からなんですよ。すっごい熱烈なファンで、週に一回は、こういう大きいお花を送ってくるし、公演の時はお菓子とか香水とかアクセサリーとか。あ、前に指輪も――」
「あぁ、由里! また支配人に頼み事して!」
 嬉々として話す由里君の言葉を遮り、裏口から入ってきたかすみ君が声を上げた。こういう事はしょっちゅうで、俺ももう慣れっこだ。「別に良いよ」と言いかけたところで、かすみ君の後から、マリアも入ってきた。
「お帰りなさい、マリアさん。かすみと一緒だったんですね」
「買い物に行ってたんだけど、途中でかすみに逢って、蒸気自動車に乗せてもらったの」
「あぁ、また“アレ”ですか? マリアさんは特に気を付けなきゃ駄目ですねぇ。レニさんもだけど」
 由里君が、困った様子で息をついた。“アレ”?
「“アレ”って、一体……」
「独りで街を歩いていると、ファンの人達に囲まれてしまうんです」
 かすみ君が説明をしてくれた。成程、そういえば、以前、女性ファンに囲まれて身動きが取れなくなっていた事があったっけ。あの時は加山が騒ぎを知らせてくれて、二人で現場に走った。俺が割って入ろうとしたら、帝劇のもぎりとしてみんなに顔を知られているから、俺がマリアとの関係を問われて大騒動だった。その間に加山が隙をついてマリアを人混みから引っ張り出してくれたが、加山に手を引かれて遠ざかるマリアを見ていると、自分の情けなさに腹が立った。その上、加山にまで嫉妬してしまった自分の馬鹿さ加減に呆れた。加山に言ったら笑われた。勿論、マリアには言えるわけがない。悔しかった。
 今日は、偶々かすみ君が蒸気自動車で通りかかって、マリアを乗せて帰ってきたらしい。
「支配人、その花……」
 心無しか疲れた様子のマリアが、俺の抱えている花を指す。俺達の関係は隠しているわけではないが、明かしているわけでもなく、みんなはそれとなく知っている状況だ。公私の区別ははっきりとつけ、マリアは帝劇内では俺を「支配人」か「隊長」と呼んでいる。
「あぁ、君にファンから……らしいんだけど」
「そうですか、有り難うございます」
 マリアは微笑み、俺に両手を差し伸べた。俺はマリアに花を渡す。
「これは、部屋に?」
「あとで、サロンに飾ります。見事なお花ですから、私だけで愛でるのは勿体無いですし」
「そう。そう……だね」
「では、失礼します」
 マリアは会釈して、花束を抱えて去っていった。
 マリアが街を行くと騒動になる。最近、国内の有名時計メーカーでモデルをしていて、街中の至る所にマリアのポスターが貼られているから、余計に注目されているのだ。そのポスターがまた恰好良くて、女性を魅了したのは勿論だけど、視線を流して浮かべた微笑は、色気があってその上美しいから、間違いなく男性ファンも増えた。街でマリアのポスターを見ながら、「あの時のあの役が」と、俺の知らないマリアの話をして通り過ぎて行く人達が、羨ましくて仕方ない。男の嫉妬なんて醜いと思いつつも、どうしてもそう感じてしまう。
 この間の紐育出張は、二人切りで過ごしたのがほんの数時間で、後は殆ど別行動が数人での行動だったし。まぁ、俺が別行動を申し出た時もあったんだけど。
「ねぇ、支配人。ちょっと聞きたい事あるんですけど?」
 俺がぼんやりしていると、由里君が俺の前で手を叩いた。俺ははっとして、顔を上げる。
「実際のところ、マリアさんとどうなってるんですか?」
 この帝劇で、この手の話題を直球で聞いてくるのは由里君だけだ。「どうって?」と惚けても仕方がないし、別に隠す必要もない。
「上手くやってる……つもりだけど?」
「ん〜、険悪な雰囲気はありませんけど、進展してるって風にも見えないんですけど?」
 鋭いなぁ。でも、由里君に話すと一気に広がりそうだ。マリアの耳にも入るかも知れない。
「偶には、話してしまった方がすっきりするかも知れませんよ? 悩み事なら幾らでも聞きますし、絶対誰にも言いませんから」
 由里君の後ろから、かすみ君が顔を出した。この手の話に自発的に混じってくるのは珍しい。いつもは諫める側なのに。成程、彼女も興味はあるのか。
「それはそうだけど……」
 かすみ君は黙っていてくれるだろうけど、問題は由里君だ。ちらりと彼女を伺うと、目を丸くしてきょとんとした。
「え、あたしですか? あたしが喋ると思ってるんですねぇ? 言いませんよ、大事な事なら。これは絶対の絶対です!」
 握り拳を固めて力説する由里君は真剣そのもので、ちょっと安心出来た。
「うん……。まぁ、知っての通り、職務での擦れ違いは多々あるけど、なんとか三年やって来たよ」
「三年……ですか。それじゃぁ……」
「うん、そろそろだと思ってる」
 そう、もうずっと前から、そのつもりだった。この間の公演『ああ、無情』で、なんとなくみんなが結婚を意識しているのが解った。マリアもそうなんだと思った。思ったは良いけど、なかなか前に進めない。何となく、俺は、マリアが解らずにいる。
 結局俺は言葉を切り、その先は何も言わなかった。


 俺は紐育から帰国して以来、マリアと二人で出掛けてない。これだけ人気があるのでは、二人でなんかとても街を歩けない。忽ちスキャンダルだ。帝劇内でも碌に話せていないのに、これでは本当に恋人なのかも怪しい。
 マリアは今、サロンにいるだろうか。さっきの花を活けてるのだろうか。あの花、例の指輪の人からだ。指輪は受け取れないと、マリアは言った。俺が指輪を贈ったら、マリアは受け取ってくれるだろうか。
「綺麗な花ねぇ。ファンから?」
 サロンから、声がした。やっぱりマリアはサロンで花を活けているようだ。ただ、この声は男の人の物。俺の苦手な相手だ。
「えぇ、よくお花を贈って下さる方がいるんです」
「あぁ、週に一度の?」
 マリアが、くすくすと笑った。頷いたのかな。
「貴方、毎週お花を活けているものね。綺麗だわ。一輪貰っても良い?」
「どうぞ。やっぱり赤い薔薇ですか?」
「そうね。私に一番似合うでしょう?」
「ふふ。どうぞ」
 ちらっと覗くと、マリアが赤い薔薇を差し出していた。相手は、思っていた通り、薔薇組の隊長の清流院琴音大尉。何故かマリアは琴音さんと仲が良い。
「綺麗だけど、貴方のイメージではないわね。貴方は赤より白い花が似合うわ。大輪の百合とか」
 そう、俺もそう思う。
「そうですか?」
 そうだよ。『奇跡の鐘』の初演の時、ファンから貰ったのか、白百合の花束抱えてたけど、よく似合ってた。
「だから、あの時は百合だったんですか?」
「『奇跡の鐘』の時? そうよ。それに、百合は“マリア”と呼ぶ事もあるでしょう? 聖母の花、貴方の花よ」
 あの花……琴音さんが? そうなんだ、百合って、そういう花なんだ……。
 俺は、壁に背中を付けて二人の話に耳を傾けた。何で俺、こんな出歯亀みたいな事してるんだろう。
「花嫁衣装にも百合かしらね。百合のコサージュを作って贈ってあげるわ」
「花嫁衣装……」
 急に、マリアの声が沈んだ。喪服の話をしているわけでもないのに、そんなに落ち込むのはどうしてなんだろう?
「貴方は肌が白いし背も高くて首も長いから、真っ白なドレスがよく似合うと思うわ。胸の辺りを広くあけて、上半身のラインが綺麗に出るお衣装が良いわね。肩と髪に百合を飾って……白いビーズと絹の刺繍糸で模様を縫い込むの。今から菊之丞に仕立てさせましょうか?」
 言うまでもなく、俺は想像した。流石に美しい物を見る目がある。琴音さんのいう花嫁衣装は、きっとマリアにぴったりだ。
「結婚、しないつもり?」
 俺が想像を膨らましていると、琴音さんは突然とんでもない事をマリアに問う。
「どうでしょう。その時になってみないと……」
 マリアが、答えた。どういう事だ? マリアは、結婚を考えていなかったのか……。
「プロポーズされたら考えるの? あぁ……そういえば、貴方のご両親は――」
「いえ、私は両親が結婚していなかった事に関しては、それで良いと思うんです。私は私で幸せでしたし、誰から見ても、問題は結婚以前のところにありましたから。でも、自分が子供を産む事を考えたら、やっぱり結婚したいです」
 そうか、マリアの両親は、国と宗教の関係で結婚出来なかったんだ……。でも、俺も、マリアとの子供が欲しい。そう望むなら、結婚するのは別に考えるような事じゃないじゃないか。
「今、すみれが抜けて、揺らいでいる時期だから、今すぐにとなると考えてしまいますね」
「そっか。そうよね。貴方、結婚したら女優辞めるんですものね」
「……えぇ」
 ――――え?
 俺の身体が凍り付いた。女優を辞める?
 人気絶頂のマリアが、女優を辞めるなんて。
 俺は、確かにマリアが大事だ。勿論、結婚したい。だけど、俺は帝劇も大事だ。帝劇の支配人として、これからもっとみんなに活躍して欲しいと思っている。先日、実家に戻るために帝国歌劇団を退団した神崎すみれ君に関しては残念だと思うけれど、この上マリアまで辞めるなんて。
 それに、どうして琴音さんが、それを当然のように知っているんだろう? マリアは、俺に一度だってそんな話をしてくれた事はなかったのに。俺の額には脂汗が浮かんで、身体が中心から熱くなるのを感じた。
 ずっと、マリアと結婚したいと思っていたのに、マリアは俺に何も話してはくれてなかったんだって……それが、悔しい。琴音さんには、何でも話すのかい? こんな事で、マリアを責めたくはないけれど。
 俺は、その場を立ち去った。


 まさか、こんな事で不安が生まれるなんて、思ってなかった。あまり考えないようにはしていたけれど、もどかしい物理的な距離が、心にまで隔たりを作ってしまうんじゃないかと、俺はずっと心配だった。その懸念があたらないように祈ってた。だけど、マリアの心が、今は見えない。
 俺がこのところ忙しくしていて、なかなか話が出来ないのは確かだ。マリアも俺のフォローをしつつ、花組のリーダーを務めていて、忙しい。話が出来ないのはある程度仕方がない。そんな中で、(いつも割と暇そうな)琴音さんとの雑談で、あの話が出たのかも知れない。さっきの話の様子からすると、結婚云々の話は、時々はしていたみたいだし。
 今すぐには無理でも、その内する事は考えているんだろう。
 でも、マリアが舞台を降りるなんて。
 花組の事を差し引いても、俺は純粋にマリアが舞台に立つ姿が好きだ。俺がいない間の公演のポスターやブロマイドを売店の高村椿君に見せてもらったけど、どれもマリアによく合っていた。それだけに、観られなかったのが悔しい。マリアの舞台姿が好きだって、マリアには何度も言った。マリアも、それを嬉しいと言って、ずっと舞台に立ち続けたいと……言っていた。あの時は、結婚を考えていなかった? だからそう言ったんだろうか。でも、どうして結婚したら、舞台を降りるんだろう。それが、解らない。俺が辞めて欲しいと言う訳じゃない。ずっと、続けていてもらいたいのに。
 マリアが舞台を降りない限り、結婚できないのか? 結婚しない限り、舞台を続けてくれるのか?
 帝劇にも、例の時計のポスターが貼ってある。顔を少し左に向けて、こちらに視線を流し、微笑むマリアは、恰好良いし美しい。ファンが増えるのも当たり前だ。
 マリアのファンの数は半端じゃない。さっき由里君も言っていた通り、マリアは男性にも女性にも好かれてる。確かにファンに嫉妬してしまう事もあるけれど、だからって、ファンからマリアを奪って、独り占めしたいわけじゃない。

 マリア……、俺は君と話さなくちゃならない事が沢山あるよ。


 考えていたって埒が明かない。考えないようにしようと、俺は机に向かった。仕事をしていれば、少しは気が紛れると思ったから。だけど、気が紛れたって、問題が解決するわけじゃない。
 というか、何かやろうとしたって、気なんか紛れない。考えないって事が、出来ない。
 俺が悶々と悩んでいると、誰かが俺の部屋のドアをノックした。
「はい?」
「大神支配人? かえでです」
 副支配人であり、副司令である藤枝かえでさんの声だった。かえでさんは、俺の上官であり、上司――だった。俺が支配人になったから、今では部下という事になるみたいだけど、それってなんか変な感じだ。責任を押し付けるわけじゃないけれど、かえでさんには俺の上司でいて欲しい。
 俺が扉を開けると、かえでさんが書類の束を抱えていた。気を紛らわす材料が増えそうだ。
「これ、目を通せば良いですか?」
「んー。やめとこうかな、今は」
「え?」
「何か悩んでる顔してるわ。相談に乗るわよ、“大神君”?」
 そう言って、総てを見透かした顔をしてにっこりと笑う。あぁ、全く、この人には敵わないな。この人は絶対に言いふらしたりはしないし、帝劇内で一番信頼できる人かも知れない。マリアとは違う意味で。
「お願いします」
 俺はどんな顔をしていただろう。招き入れると、かえでさんは「しょうがないわね」と笑った。
 俺はベッドに腰を下ろし、かえでさんは椅子に座る。
「どうしたの。マリアの事?」
 本当に、何でも見透かされてる。
「俺は、マリアと……結婚したいと、思ってます」
「……そう。それ、マリアには言ったの?」
 俺は、首を横に振る。
「プロポーズは、してないのね」
「未だ……」
「何を迷っているの? やっぱり、結婚となると踏み出せない?」
「いえ。俺は、今直ぐにだって――」
 言いかけた俺を、かえでさんは掌を突き出して止めた。少し興奮していた。俺は、息を整える。
「焦ってるの?」
「え?」
「私は貴方達の出会いから知ってるわけじゃないけど、貴方達は、任務で海外に離れ離れになる事が多かったでしょう? それで、お互いに相手の事を知らない時期が長くて、不安になってるんじゃないかと思うの。何かで必死に繋ぎ止めたい――貴方が、そんな風に焦っているように見えるわ、時々ね」
 かえでさんは、俺の顔をじっと見詰めた。その眼が心の中にある汚いものまで全部見透かしてるんじゃないかと思えて、戸惑った。
「そう……かも、知れません。今も、話す時間がなかなか取れなくて、さっき、偶々マリアと琴音さんが話しているのを聞いたんです。マリアは、結婚をしたら舞台を降りるって……。俺は、そんな話聞いた事なくて」
「降りて欲しくないの?」
「勿論です。俺は、花組が大事だし、マリアの舞台姿が好きだし、マリアには沢山のファンがいて……その人達から、俺がマリアを奪うんだと思うと、申し訳なくて……」
 俺がそこまで言うと、今度は微塵も笑っていない、だけどあの見透かすような眼差しで、かえでさんは言った。





「うそつき」










 言われるまで、気付かなかった。
 マリアが好きで。
 マリアは俺を想ってくれて。
 その真実だけは揺るがないというのに、俺達は、いつだって嘘つきだった。

 俺達は何も話さなかった。
 話すことを恐れていたのかも知れない。
 気持ちが深くなればなる程、湧き上がってくる不安があって、俺達はお互いにそれを言葉に出来ずにいた。
 マリアの両親のように、結婚をしなくても繋がっていられる関係もあって、俺達のように、想い合っているのになかなか上手く言葉に出来ない関係もあって。
 俺はかえでさんに、マリアは琴音さんに、何でも話してしまうけれど、それを互いに話さないといけないって事、解らない振りをしている。
 時間が出来ないなんて言い訳だ。
 みんなの前で恰好つけて、誤魔化してるなんて馬鹿らしい。関係を、“隠しているわけではないが、明かしているわけでもない”なんて、結局はみんなに気を使わせるだけなのに、俺達は明かせずにいた。 
 ゆっくり話をしよう。ちゃんと、話をしよう。


 俺は嘘つきだよ。
 本当は、君を独り占めしたい。
 だけど、本当はそんな事、したくない。
 でも、したい――


 だから話をしよう。ちゃんと話をしよう。遠い世界の誰かじゃなくて、俺達二人の問題だから。

 机の一番上の引き出しに鍵をかけてしまっているもの。先日の紐育で、マリアと別行動してまで買ったもの。君の指に、きっと合うはずだから。君にきっと、似合うものだから。
 嫉妬深い俺を、許して欲しい。
 離れていても、想い合える二人でいたいから。

 嘘をつかずに、本当の話を、しよう。

fin
大人になると、自分に言い訳をする。
誤魔化す。
そうじゃなくて、向き合おう。
君が好き。その気持ちさえあればそれで良い。
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