One more time

 待っているわけはない。そんな事は解っている。
 それでも、もう一度だけ……



   One more time



 もう六月だというのに、肌寒い夜だ。蒙古は寒いと思っていたが、露西亜も大概寒かった。日本は夏に近付いている季節だから、きっと暑いんだろうな……。
 明治十六年六月、俺は船上で空を仰いだ。この船は数日前に露西亜のナホトカを出発し、今、日本に向かっている。明日には新潟の港に着く予定だ。
 満天の星が輝き、天気は上々。五年振りに日本に帰るんで、俺はなかなか浮かれていた。世界をぐるりと一周して、日本は小さくちっぽけな国だと思うようになった。その一方で、日本に対して愛おしさのようなものも感じている。上手くは言えねぇけど、結局俺の魂が日本って国を求めてるんだと思う。亜米利加や欧羅巴の方が気質は合う気がする。それでも、日本は良い国だ。世界中を回って色々な国の言葉と文化に触れてきたのは楽しかったが、いつもどっかで日本語の響きを求めていたし、日本の白い米や味噌汁が食いたいとも思う。兎に角、無事に航海が進めば明日には日本だ。この天気なら、問題なく着くだろう。俺は甲板の上で寝そべった。
「サノ、寒くないのか?」
 甲板で大の字になっていたら、ひとりの男が声を掛けてきた。露西亜で一緒にこの船に乗ったマカル・ミハイロヴィッチ・ボコヴィコフ。なげー名前。日本じゃ十文字以上の名前ってそんなに多くなかったから最初は驚いたけど、外国じゃこのくらい長い名前も珍しくはない。所変わればなんでも変わるもんだと、日本を出て思い知った。マカルは露西亜人のくせに、寒いのが苦手らしい。俺も寒さに強くはねぇが、この程度なら耐えられない事もない。というか、狭くてむさくるしい船内の方が耐えられない。
「気持ち良いぜ」
 まだ不慣れな露西亜語で答えると、マカルはにっと笑い、俺の隣りに寝転がった。
「あぁ、星がきれいだな。良い航海だ」
「だな。マカルは、日本は初めてか?」
「いや、仕事で何度か……良い国だよな。俺は好きだよ。日本人はみんな小さいけど繊細で優しい民族だ。……お前はでかくて大雑把だが」
 こいつは、世界を股に掛ける船乗り……らしい。まぁ、商人とか貴族に雇われて船で力仕事をするだけだと言っていたが。今日乗っているのは、日本に欧羅巴の食料を卸す貿易船だ。港でマカル達と知り合い、密かに乗り込んだ。偉いさんは殆ど乗っていないし、マカルのような雇われ者の顔を全部覚えているわけではない。だから、紛れてしまえば解らない。実際、仕事もしているし役には立っている筈だ。とはいえ、密航者であることに違いはないから、日本に着いたらとっとと逃げないといけない。それまでは、のんびりとした船旅を楽しんでいる。
「女は、待ってないぜ」
 僅かの沈黙の後、マカルは急に身体を起こして呟いた。
「あ?」
「女、だ。昨日……一昨日だったか、言ってただろ。日本に残してきた女がいる、みたいな事」
「残してきたわけでもねぇけどな。別に結婚してたわけでもないし、俺の女だったわけでもない……って言っただろ。」
「だから、“みたいな事”だって。『待ってろ』って言ったわけじゃないのか?」
 真剣な顔付きでマカルは俺を見詰めた。三十代に見えるが、実際には俺より二歳年上ってだけだし、歳が近い事もあり露西亜で意気投合したこいつは、まだ出逢って数日しか経っていないが良い友人だ。言いたい事は遠慮なく言い合える。
「言うか、そんな事。あいつは、仲間のひとりだ。強がりで意地っ張りで……ちょっと危なっかしい女で、何でだろな。目が離せなかった。あいつも俺の事はよく解ってくれたし、俺が海外に行くって言った時も驚きもせずに助けてくれた。で、日本を出る前にあいつから、俺が帰ってきた時、もしまだ自分が独りでいたら……って、言われただけだ。俺が言ったわけじゃない」
 その上、あいつは「なんて、ね」とまで言いやがった。何処まで本気だったかなんて、解ったもんじゃない。
「でも、その約束のために女に手を出さなかったんだろう?」
 お前は随分もてるだろうに、とからかうようにマカルは言った。あの言葉を約束と言って良いものなのかは、解らない。けど俺は、「俺が帰った時、もしあいつが独りだったら嫁にする」という意味だと解釈して、それを約束だと思っている。そして、五年間女の相手をせずに過ごしてきた。女と関わりたいと思わなかったっていうのもあるし、正直、女は面倒くさいとも思っている。マカルの言う通り、言い寄ってきた女がいないわけでもない。それでも女の相手をする気にはなれなかった。
「美人か?」
「まあまあだな」
 そうは言ってみたけど、実際に初めて見た時は美人だと思った。地味な着物を着ていたから商売女ではないのはすぐに解ったが、独特の色香を放つ良い女だと思ったのは確かだ。すぐに阿片絡みだと解って、そんな気は一気に失せて、それ以来容姿に対してどうこう思う事はなくなった。でも、街ではすこぶる評判が良かった。美人で気立てが良いと。勿論、医者としての腕前も相当のものだと。
「賭けても良い。待ってない」
 マカルは断言した。そんな話は耳タコだ。今まで嫌って程聞いてきた。「待ってない」「待ってない」どいつもこいつもそう言った。そんな事は、俺にだって解ってる。あいつは待ってない。待ってろと言ったわけでも、待ってると約束したわけでもない。そんな約束ではなかった。あくまでも“もしも”の話だ。そして、東京で評判の良かった良い女は、会津でも評判が良いに違いない。そんな女がいつまでも独りでいるなんて、誰が信じる。
「っつーか、お前随分こだわるな」
「俺の嫁は待ってなかったからな……」
「は……」
 嫁。いたのか。
「十九の時に一緒になった女がいたんだ。スヴェトラーナって名前の、小柄で愛らしい女だった」
 また長い名前の女だな。十九っていや、俺が日本を出たのと同じ歳か。マカルは遠い星を見詰めて語った。
「最初の内は、二ヶ月、三ヶ月空けても笑顔で迎えてくれた。子供も出来て、幸せだった。けど、俺も世界中あちこち渡って、無事に帰るかも解らないだろ? その内愛想がなくなって会話も減ってな。ふたり目が出来た時、もう待てないと言われた。俺の子じゃなかったんだよ。お前は五年も……碌に手紙も書いてないんだろう?」
 その通りだ。蒙古から一度書いた手紙も、神谷道場宛に出した物だから、あいつの目には触れないだろう。もしかしたら、あいつは俺が死んだと思っているかも知れない。一生帰らないつもりだと思っているかも知れない。それならそれでも良いと俺は思ってるけど。
「その女は……お前の嫁だった女は、その方が幸せだったんじゃねぇか? お前は辛いかも知れねぇけど、幸せを願うってのもひとつだろ。俺は、あいつには幸せになって欲しいと思ってる。辛い経験ばっかしてきた女なんだ。父親と死に別れて、家族と生き別れて、頭のおかしい奴に捕まって幽閉されて、子供も失って、惚れた男には他に女が出来たりな……色々苦労してきた奴だからさ。母親と上の兄貴とは無事に再会してると思いたいし、大事にしてくれる男と一緒になってて欲しいとも思ってる。もし万が一、そういう奴が現れてなかったり、一緒になった男に酷い目に遭わされたりしてたら、その時は俺が何とかする。そういう相手だ」
「そっか……。そういう考え方も、あるんだな。俺も、スヴィェータの幸せを願って……良い女探してまたやり直したいな」
「待っててくれる女にしろよ、今度は」
「待っててくれる女なんかいないのが辛いところだよなぁ」
 まぁ、五年間音信不通にしてなきゃ、待っててくれる女もいるんじゃないか。俺達は笑い合い、甲板を転げた。
 待ってなくて良い。ただ……一度会いに行かなきゃな。あいつが幸せでいるかどうか、確認しねぇと。
 俺は目を閉じた。風が心地良かった。けど、マカルは寒いといって船内に戻って行った。

 「女は待ってない」――耳にタコが出来るくらいその言葉を聞いたのは、俺が飽きもせずあいつの話をしたからで。勿論、剣心や嬢ちゃんの話もしてきたが、それ以上にあいつの話をした気がする。他愛もない約束を交わした、不幸な女の。振り向けばあいつが見ているような気がする事もあった。だから、悪い事は出来ない。悔しいけど、頭から離れなくなる時があって……イラつく。五年間も経ってるってのに、ふとした瞬間にあいつを思い出してしまう。
 あん時は若かったから、つまらない事でぶつかり合った。あいつも、なんだかんだ言っても二十二だったし、若かったよなぁ。お互い意地っ張りで、我侭で我が強かったから、衝突したらどっちも折れられなくて一日無視し合うような事もあったっけ。馬鹿だったなぁ。そのくせ、次の日に会えば何事もなかったみたいに笑い合って軽口を叩き合って。それが行き過ぎてまた喧嘩して。考えてみりゃ、俺の方が悪かった事多いよな。あいつがあんまり正論をぶつけてくるもんだから、意固地になってたのかも知れない。俺が無駄に意地を張れば、結局あいつが「馬鹿」って茶化して微笑んで終わるんだ。今にして思えば、そんなやり取りも楽しかった。
 そういえば、あいつが会津に旅立つちょっと前に、本気で怒らせた事あったっけ。しょうもない喧嘩でうっかり左手使って、怪我を悪化させた時。あの時の怒りようは怖かったな。次の日になっても口を利いてもくれなくて、治療も必要最低限の事しか話さずに黙々と進めるだけで……このまま、こんな関係のままあいつを会津に行かせるのかって思ったら焦っちまって、初めて俺から折れたんだよな。そしたら、瞳を潤ませて「もうしないで」って強く言われた。考えてみれば、あいつは俺の治療が出来なくなる事を心配してたんだ。じいさん達に任せたとはいえ、俺が馬鹿やらかして手が元に戻らなくなる事を誰より心配してたんだ。
 左手を星に翳す。この手が癒えてるのかどうかは、俺には解らない。昔に比べればちょっと歪んではいるけど、痛みもないし、傷も塞いでる。それでも包帯を巻かずにいられないのは、落ち着かないから。日本からしてきた包帯は捨てちまったし、独逸であの野郎に診てもらった時はもう包帯をしなくても大丈夫だって言われたけど、俺はしときたい。あいつに会った時、「まだ治ってないの!?」と怒られそうだけど、主治医なんだからお前がそれを確認しろ。もう、泣かせるような事はしないから、安心してくれ。あの時に目にいっぱい涙を浮かべた顔は、流石に堪えた。――忘れられない。
 忘れられないって言えば、あの後姿も頭から離れないんだよな。会津へ旅立つ日、俺達に――多分、本当は剣心に――笑い掛けて背を向けた姿。髪が風に緩く靡いて、泣いているんじゃないかと思った。色んな覚悟を背負ったか細い肩を支えられる人間が何処かにいれば良いと思った。それが俺じゃない事は解ってた。けど、涼真に聞かれた時即答出来なかったのは、俺にも迷いがあったからなのか。
 あの髪を靡かせる繊細な姿を時々探してしまう。

 最初は、亜米利加だった。紐育の摩天楼に囲まれた広い公園で、久々に日本人に会った。山川捨松。あいつの幼馴染だというその娘は、あいつの口から時々零れる訛りと同じ言葉を話し――あいつより遥かに訛りはきつかったけど――、黒い瞳を輝かせて屈託なく笑った。同郷故なのか、あいつによく似た気丈な顔付きが印象的だった。会津戦争を経験してきた女の強さ、だったのかも知れない。会津戦争では、女子供も戦いに参じたというし。あいつによく似た娘からあいつの事を託されて、俺はあいつの希望を託した。捨松の文を読んだなら、あいつはきっとすぐに青森に兄貴達を探しに行っただろう。生きていて欲しい。きっと生きていると、俺は信じている。今は、一緒に暮らしてるかも知れない。兄貴達と笑い合っているあいつに会いたくなった。
 港の桟橋やステーションのホームに、路地裏の窓に、俺はあいつの姿を探していた。気が付いたら靡く黒髪を目で追っていた。その度に、こんな所にいるわけがないと首を振って思いを消し去った。
 俺が日本を発つ前日、口付けを交わした唇は柔らかくて、少し冷たかった。軽く唇を重ねられ、離れた瞬間に向けられた背中を、抱き締める事が出来たなら――と、今更思う。今更だ。
 日本の事なんか忘れてしまう時もあった。一生日本に帰らずに、あちこちの国で楽しく暮らそうと考える事も時にはあった。そんな風に思えるくらい、毎日は楽しかった。世界中何処に行っても新しい事だらけで新鮮で、総ての国に行くのも面白いだろうなぁなんて考えてた。なのに、ふとした瞬間に隙間風が吹き抜ける。言葉の伝わらないもどかしさだったり、理解出来ない文化、舌に合わない食べ物、それは色んな、些細だけどかなり重要な事が原因で吹く。苛立ちや不安、或いは寂しさ。そんなものを紛らわせるためなら、誰でも良いと思った。そういう時に寄って来る女を抱けば、気が紛れただろう。宿を恵んでやるから相手をしろと言ってきた女もいた。屋根のある所で眠れるのは有り難いと思ったし、一晩関わったところで、問題が起きるわけじゃない。転がり込んでやろうと思った事もあった。だけど、落ちてきそうな星の輝く夜、決まって黒髪の女の姿がちらついて、自分を偽れなくなる。そんな気紛れに身を任せるなんて、あいつに顔向け出来なくなるような事はしたくなくなった。
「そういう女がいるんだ。だから、悪いな」
 女達にそう言って笑って断ると、必ずといって良い程言われた。
「そんな女、待ってやしないよ」
 ……解ってるって。待ってて欲しいとも思ってない。会いたいと思う事がないとは言わないけど、誰かが側にいてやって欲しいと思ってんだから。それは間違いなく。あいつの存在を良いように利用して、体良く断っていただけかも知れないな。ま、それで五年間、女を抱かずにいたわけで。俺も我慢強いじゃねぇかと思うんだよ。別に、あいつを抱きたいわけじゃねぇけど、結局あいつから白い目で見られるような事はしたくないんだよな。また涙でも浮かべられようもんなら、耐えられないだろうし。
 そんで、あいつを思い出す度に思うんだ。――世界一の男になって帰る。それが、俺を涙ひとつ零さずに見送ってくれたあいつへの土産になると信じてるから。

 阿蘭陀では、小夜そっくりの白い像を見た。聖母マリアというらしい。ジーザスとか、イエスとか呼ばれてる“神の子”の母親で、処女にして身篭った女だといわれているんだとか。切支丹が奉ってる女だ。阿蘭陀で偶然天草翔伍達に再会した時、案内された教会で見付けた。世界では、同じ基督教でもマリアを“神の子の母”として奉ったり“ひとりの人間”として特別扱いしなかったり色々あるみたいで、阿蘭陀ではどちらかっていうとマリアは人間だって考えの方が一般的だったらしいけど、翔伍達はマリアを奉る方を信仰してた。カソリックっていうんだよな。
 小夜の事は、死なせたくなかった。多分、特別な感情があったんだろうな。もしあのまま生きていたら、もっと違った関係を築いていたんじゃないかと思う事がある。過去の話に“もしも”なんてありえねぇけど。だけど、マリアの像を見て、ちょっと苦しくなった。小夜の事を思い出して、悔しくなって。長椅子に座ってマリアの像を見上げていたら、ふと、その隣りにあいつがいるような気がして――急に落ち着いた。考えてみたら、小夜の事があって落ち込んで、長崎から東京に帰ってもなかなかすっきりしなくて腐ってた俺を支えてくれてたのは、あいつだったんだよな。励ましたりしてくれたわけじゃないし、優しい言葉を掛けてくれたわけでもない。ただ肩を貸してくれて、ちょっと寄り掛からせてくれた。顔を上げた時、微笑んで「おはよう」と言ってくれた。それだけで随分心が晴れた。未だにあの「おはよう」の意味は解んねぇんだけど、あいつは俺のために掛ける言葉がそれが一番良いって思ってくれたんだよな。つい頼っちまう逞しさがあいつにはある。だけど側で支えてやりたいと思う儚さもある。
 伊太利亜では商人が強盗に襲われかけてて、喧嘩がしたかっただけなんだけど、強盗を蹴散らしてやった。喧嘩となるといつもそうなんだが、左手を使うとあいつが怒るような……泣くような気がして、左の拳は使わないように気にしてる。礼だと言って女物の首飾りを商人は置いてった。馬車が行っちまった交差点で、またあいつの姿を探した。怒るなよ、左手は使ってねぇから。そんな思いで。
 亜剌比亜では、占い師だって女が硝子玉を覗いて、「あんたの中に女の影が見える」と言った。硝子玉で心の中が見透かせる事に驚いたが、俺にはさっぱり検討がつかない。いや、あいつか小夜の事なんだろうけど、丁度欧羅巴を回って小夜によく似た女の像を幾つも見てきたから、小夜の事を考えていたのかも知れないと思った。
「女は待っていないよ。他の誰かと一緒にいるのが見える。背の高い男だ。なかなかの美丈夫だね」
 女占い師はからかうようににやりと笑った。何度目だ、その言葉聞くの。うんざりしながら「そうか」とだけ答えた。
「もう待っている女もいないんだ、此処でアタシと良い事しないかい?」
 占い師は擦り寄って、耳元に唇を寄せてきたが、そこは断っといた。待ってないと解っていても、やっぱりあいつが良い顔しない気がして。つーか、その言葉で俺の中にいる女ってのが小夜じゃない事は解った。小夜は生きてないしな。あいつは誰かと一緒にいる。背の高い男。どんな野郎だ。ちゃんと、幸せにしてもらってるんだろうな。
 今でもあの占い師の言葉は、半分信じて半分信じてない。
 信じてるのは、あいつが誰かと幸せになったんじゃないかと思えるから。それは、嬉しい。最初は、口元だけは笑っていても目は笑ってないような、暗い顔ばかり見ていた。観柳邸での事件を経て、じいさんの助手として働くようになってからは、よく笑うようになった。喧嘩もしたし、罵り合うような事も珍しくなかった。あいつの事は認めてるけど、それを口に出せる程俺は素直じゃないし、あいつが俺の事を認めてくれているのは解ったけど、それを口に出す程あいつも素直じゃなかった。考えれば考える程、意地っ張り同士だな。くそ。でも、それが心地良いと俺は思ってたし、多分あいつもそうだった。そんな相手だから、今も笑っていて欲しいと思う。あの暗い顔は、もう見たくない。あいつが誰かと一緒になったのであれば、それは良い事だ。出来れば信じたい。
 信じてないのは、あの占い師が単に俺をたぶらかすために適当な事を言ったんじゃないかって思ってるのと、なんかよく解らねぇ苛立ちから。あいつは「もしも」としか言ってないけど、俺はその「もしも」に期待している気持ちがあるのかも知れない。正直、無いとは言い切れない。あいつに幸せになっていて欲しいと思う反面、あいつの隣りにいるであろう野郎の存在にちょっと腹が立つ。勝手な事を言ってるってのは解ってる。矛盾してるのも解ってる。けど、そう思っちまう。もう、喧嘩したり、笑い合ったり出来ないんじゃないかと思うと、悔しくなる。それに、占い師の見た背の高い男は、もしかしたらあいつの兄貴じゃないかとも思ってる。あいつが身を固めていて欲しくないと思うわけじゃないけど、硝子玉に見えた男が兄貴であって欲しいという期待はある。
 何にしても、幸せかどうか、確かめにいかないといけねぇな。そうじゃないと、俺も落ち着かない。剣心はきっと嬢ちゃんと上手くやってるだろう。弥彦は小さい嬢ちゃんと――もう、弥彦も小さい嬢ちゃんも小さくないだろうけど――仲良くやってるんじゃないかと思う。四乃森蒼紫と鼬娘は、上手く纏まってるか解んねぇけど、俺が気にするような事でもない。となると、結局一番気がかりなのはあいつなんだ。みんな幸せになってる中で、ひとり苦労を背負い込んで泣く事も出来ずに耐えているんじゃ、納得出来ねぇ。
 俺がとやかく言う事じゃないのは解ってるけど。
 印度のガンジス川のほとりで、或いは蒙古の草原で、星降る夜空の下で眠る夢の中に、あいつはひょっこり訪ねて来た。何をするわけでもなく、小さく「馬鹿」と呟いて微笑んでいた。何ヶ月かに一度、そんな夢を見た。その度に、あの後姿を思い出す。新しい朝を迎えて、あいつが泣いていない事を願う。あいつは、あのか細い肩を震わせてきっと独りで泣くのだ。そんな事がなければ良いと、思う。
 露西亜で明け方の町中に、ついあいつの姿を探しちまった。寒い指をすり合わせて白い息を吐く……雪国の生まれのくせに、「寒い」とぶつぶつ文句を言うような姿。俺も雪国で生まれ育ったけど、寒さには弱い。暑さにはもっと弱いが。白い息を吐きながら、そんなお互いを笑い合うのも悪くないよな。今なら、意地を張り合わずに素直にそんな話が出来るような気がする。



「あいつも……ちょっとは変わったんだろうな。素直に人に甘えられるようにはなってないだろうけど」
 あいつの意地っ張りは、きっと一生変わらない。
 世界を一周回ってみて、俺は変わった。成長したんじゃないかと自分でも思うし、世界一の男になった自負もある。あいつと意地の張り合いをする事もなくなったんじゃないかと思う。そんな姿を、見せてやりたい。早く……
 つーか、こんな事を思うのは惚れてるからなのか?
 その辺は、世界一周してみたけど、結局解らねぇんだよなぁ。
 剣心達はみんな家族みたいなもので、あいつは姉も同然なんじゃないかと思う事もある。俺は妹と弟しかいない――弟に至っちゃ家を出てから産まれたから殆ど関わりもなかった――し、姉がどんなものかは解らない。けど、多分姉貴がいたら、あんな感じなんだろうな。幸せになって欲しいと思うのも、笑っていて欲しいと思うのも、意地を張ってぶつかり合って、そんな事さえ笑い合えるのも、姉貴だからなんじゃないかと……思う一方で、五年間も世界中放浪して、色んな奴に会っても、結局あいつの事を思い出してしまうってのは、なんか別の意味合いがあるんじゃないかとも思う。
 ホントに、解んねぇなぁ……
 お……空が白んできたな。水平線に太陽が覗く。良い朝だ。日本に着いたら、先ずは東京だな。剣心達に会わねぇと始まらねぇ。それから、会津だ。いつか京都にも、長崎にも行かないとな。信州はどうすっかな……。
 そんな事を考えている内に、どんどん空は明るくなってゆく。
 待っているわけない? そんなこたぁ解ってる。
 でも、取り敢えず一度、会っておきたい。

「恵……」

 取り敢えず一度、会っておきたい。
 たとえ、誰かのものになっていたとしても。 


矛盾した思いには気付かない。
今は、世界をぐるりと回って大きくなった姿を見せたいだけ。
「馬鹿」と微笑んで欲しいだけ。



INDEX

広告 [PR]スキンケア  転職 化粧品 無料 ライブチャット