果てしなく続く旅の途中。
 ひとつひとつの出会いが奇跡のようで。



   遠き約束



 一八八○年十二月、紐育――
 街には、ちらちらと雪が降り下りていた。様々な人種の人々が行き交う摩天楼の中を、背の高い日本人の男がひとり、彷徨っている。何処へ行くという目的もない旅を、もう一年以上続けている。船で亜米利加大陸に辿り着き、喧嘩と、時々人助けをしながら流れて、いつの間にか紐育に来ていた。巨大な建物の群れに圧倒され、辺りをぐるぐる見回しながら男は歩き回る。
 男は、相楽左之助といった。左之助は、日本では罪人として扱われている。元は喧嘩屋を自称し、拳を振るう日々だった。そして、成り行きで喧嘩を売るべきでない相手に喧嘩を売り、指名手配されるに至った。その事については後悔はしていない。結局、日本にはいられなくなり、外国船に乗り込んで日本を発った。日本という小さな島国には収まり切らない大きな男だ。これがあるべき運命だったのだと、彼の旅立ちを誰もが納得していた。
 言葉は、亜米利加行きの船の中で自然と覚えた。最初の内は戸惑う事ばかりだったが、いつの間にか習慣の違いにも慣れていた。そして、大陸に着くなり、喧嘩屋稼業を再開したのだった。
 亜米利加は、日本では考えられない程雄大で、全てが大きかった。人間の身長や体格も例外でなく、日本では長身の部類だった左之助より背格好の大きな人間も大勢いた。
 紐育に着き、摩天楼を眺めながらぼんやり歩いていると、突然、見渡す限り芝生の敷き詰められた公園が目の前に現れた。
「なんだこりゃ!?」
 都会の真ん中に突如姿を現した巨大な公園に、左之助はただただ圧倒された。まさか、こんなものがあろうとは。取り敢えず芝生に足を踏み入れる。こんなに手入れされた草原は日本にはない。感心しながら公園を歩いていると、野太い男の声が聞こえた。
「良いじゃねぇか、悪いようにはしねぇよ」
 次いで、若い女の声が
「嫌です。私達に近付かないで下さい」
 何が起こっているのかはほんの僅か聞いただけで大体察しがついた。左之助はくっと喉で小さく笑うと、声の方へ足を速めた。
「だから、近付かないで下さいと言っているんです」
 気の強そうな女の声が耳に触れた瞬間、その姿が視界に入った。身長は左之助と同じくらいだろうか、筋骨隆々の男がふたり、上等そうなドレスに身を包んだ小柄な少女達と向き合っている。少女は四人。その中のひとりが残りの三人を庇うように男達の前に立ちはだかり、睨み付けている。どうやら、その少女は亜細亜人のようだった。黒い髪に黒い眼、赤い唇を引き結んで両手を広げて立っている姿が凛々しい。
「何やってんだ、お前ら。お嬢さんら、嫌がってるみてぇだが?」
 左之助は、男達に声を掛けた。この手の台詞は今までにも何度か言っているから、唇が覚えている。
「何だ、てめぇ?」
「サノスケ・サガラ」
 名乗り、にやりと笑って見せると、男達の顔に笑みが浮かんだ。
「お前が喧嘩屋のサノスケ・サガラか?」
「おっと、何だ、俺有名人だな」
「サノスケ・サガラ? サガラサノスケ……?」
 少女がぽつんと口にした言葉は、左之助の耳には届かなかった。
「面白い、相手してやろうじゃねぇか」
 男のひとりが、左之助と向かい合った。もうひとりの男も、ゆっくりと左之助に対峙する。
「構わねぇけど、俺が勝ったら有り金全部頂くからな」
「上等だ」
 向き合ってみると、男はふたりとも左之助より一、二寸ばかり長身で、ひとりは金色の髪を刈り上げ、ひとりは長い黒髪を編んで背中に流していた。ふたりとも肌の色は白く、鮮やかな青い瞳を煌かせている。
 金髪の男が、左之助に向かった正拳を突き出した。左之助はぎりぎりのところでその拳を避け、男の腹に拳を叩き込む。
「ぐっ」
 呻き声を上げて、男の身体は宙を舞った。
「てめぇ!」
 もうひとりの黒髪の男が左之助の頭部を目掛けて蹴りを仕掛ける。しかし、それも寸でのところでかわすと、その足を掴んで引き倒した。地面に倒れると同時に背中に蹴りを入れて止めを刺す。
 すると、遠くから「ピー」と笛の音が聞こえた。音は、徐々に近付いてくる。
「やべ、ポリスか」
 男達から有り金を巻き上げてやろうと思っていた左之助だったが、警笛の音に驚き、あせりの顔を見せた。
「こっち!」
 耳に飛び込んで来たのは、甲高い少女の声だった。
「みんなも逃げて。サガラさんはこっち!」
 先程、男を前に少女達を庇っていた勇敢な亜細亜人の少女が、左之助の手首を引いて走り出した。
「なんっ……」
「捕まったら面倒くさいでしょう? こっちへ!」
 早口の英語で捲くし立てられて、左之助は呆気にとられつつ、少女に従った。駆けてくる警察官らしき男達を引き離す。そして、その姿が見えなくなったところで、木の茂みに転がり込んだ。
 姿勢を低くしてじっと待つ。雪は降っているが幸いにして積もってはおらず、足跡を探られることもない。警笛を鳴らしながらふたりの警察官が行過ぎるまで、左之助は少女と共に息を殺して茂みに潜んだ。
「行ったみたいだなし」
 少女は雪で白く色付いた木の影から辺りを確認し、小声で左之助に言った。身を潜めるその肩に纏う緊張感は、年端もゆかない少女にしては、余りにも洗練されている。行った、と言いながらも、辺りを警戒して息を殺す仕草が余計にその緊張感を強める。そして、漸く大きく息をつくと、にっとあどけない笑顔を浮かべて振り返った。
「さすけねぇか。あんつぁま、強いだなし」
 英語ではない。どうやら日本語のようだ。しかし、馴染みのない訛りに、左之助は眉を寄せた。
「……は? さ……さすけ……?」
「えっと……Is it OK?」
 少女はやや考えて、英語で問いながら左之助の顔を覗き込んだ。
「大丈夫かってことか。ん、問題ねぇ。あんたは、大丈夫かい?」
 久し振りに日本語で話しかける。それが嬉しくて、思わず口元が緩んだ。
「んだ、さすけねぇ」
「さすけねぇ、ってのが大丈夫って事か。久々に日本人に会ったが、日本語も聞き取れねぇとは」
 英語を初めて聞いた時程難儀はしないが、それにしても別の国の言葉のようで驚く。
「私も久し振りに会いますた。一緒に留学してる友達はいっけど、男の人と会うのは久し振り。日本の名前で、たまげただなし」
「留学か。俺は相楽左之助。今は、流浪人だな」
「流浪人……アメリカで?」
「あぁ、ま、色々あって、日本を脱出してきた」
 脱出、ということは犯罪者か何かだろうか。少女の脳裏にそんな考えが浮かんだが、特に警戒はしなかった。背中に惡の文字を背負っている割に、彼が悪人には到底思えなかった。寧ろ、
「私<わだす>も似たようなもんだなし。山川捨松。官費留学なんて聞こえは良いけんじょ、賊軍の娘だもの。名誉挽回のために送り込まれだんだ」
「賊軍」
 左之助はその言葉に、嫌というほど馴染みがあった。この少女の言葉は恐らく東北地方の訛りだろう。そういうことか、と得心した。戊辰戦争で政府軍に反旗を翻した東北諸藩の娘。明治維新後、相当の辛酸を舐めた事は想像に難くない。幼い少女を外国に送り込んででも名誉挽回したいという家族の覚悟は、“捨松”という名にも表れている。“捨てる”と“松(待つ)”の相反する思いは、希望と絶望が交じり合った複雑な思いによるものだろうと、左之助にも察しがついた。
「俺も、賊軍だ。戊辰戦争じゃねぇけどな」
「んだら、私ら仲間だなし」
 明治政府に納得いかない者という意味では確かに仲間だろう。左之助はにっこり笑って頷いて見せた。
「こっちゃ寒いだな。あっちゃあいばせ」
 少女は、茂みから立ち上がり、日の当たる芝生を指差した。
「あいば……?」
「Let's go to there」
「あ、おぉ、あっちに行こうってことか」
 なかなか噛み合わないが、捨松は上品な唇に笑みを作り、左之助の前を歩いて日当たりの良い場所へ誘導した。
 芝生の端に並んだベンチに腰を下ろすと、捨松は左之助に向き直り、小さく頭を下げた。
「助けてもらって、あんがでぇがったなし。“喧嘩屋の相楽左之助”っていえば、亜米利加の亜細亜人の間じゃ、ちっとした有名人だ。まさかいぎゃうとは思わんかったからたまげたべ」
「へぇ、そうなのか。俺もちょっとはやるってことか。まぁ、亜細亜人だけじゃなくて、ごろつきの間でも知られてるみたいだったけどな」
 捨松の方言は、大体の雰囲気や文脈で意味を掴み、左之助は頷いた。
「左之助あんつぁは強いんだなし」
「明治維新からこっち、喧嘩しかしてねぇからな。つっても、日本一にはなれなかった」
「日本一は、別に……?」
「あぁ、俺の親友が日本一の剣客だ。でも、そいつも超えて……世界一になって帰るって約束したんだ」
 左之助は、ふと遠くを見詰めるように視線を上げた。その視線の先にいるのは、多分優しい人なのだろうと、その眼差しを見て捨松は察した。
「約束したんは、親友?」
「いや、別の奴」
「ふーん」
 捨松は興味津々といった様子で左之助を見詰めた。すると、ふと左之助は捨松を見て、思い出したように大きく頷いた。
「解った、恵だ」
「は?」
「おめぇの方言、恵の言葉遣いに似てるんだ。方言は喋らねぇけど、抑揚が似てるんだよ。極稀にだけど、恵もそんな抑揚で喋ってた!」
「“恵”……?」
 捨松は訳が解らず首を傾げたが、左之助の瞳は喜びや感動に輝いているように見えた。
「そう、高荷恵って女の医者がいて、会津の出なんだよ。もしかして、捨松も会津なのか?」
「高荷恵! 会津! 医者! 恵ちゃんのこと!?」
 左之助の言葉を聞くなり、捨松は大きく眼を見開いた。
「え、あぁ……」
「私、今は斗南藩じゃけど、会津戦争までは会津だなし。恵ちゃんとはちっちぇ頃からの友達で、昔はまってぇぐに遊んだべ」
「つっても、恵の方が年上だろ?」
 見たところ、捨松は年の頃二十歳そこそこで、左之助と殆ど同じ年だろう。恵の方が二、三歳上ではなかろうか。
「んだ。だけんじょ、あねちゃと仲良かったがら、混ぜてもろてたべ。恵ちゃん達が脱藩して、帰って来て少しの間はよく遊んだんだけど、直ぐに会津戦争が起こって……」
「そうか……」
「恵ちゃん、元気だべか?」
「あぁ、俺が知る限り、元気だぜ。昔はどんなだったか知らねぇが、今は逞しい女だ。ひとりで会津に診療所を構えて、まだ復興出来てねぇ会津のために働いている。まぁ、俺は恵が会津に戻って直ぐに日本を出ちまったから、その後どうなったかは解んねぇけど、今も頑張ってんだろうよ。性格は色々あったみてぇでちょっと捻くれてるけど、根は真っ直ぐで優しい女だ」
 恵のことを語る左之助はどこか誇らしげで穏やかだった。捨松は何度も頷きながら、頬を染めて左之助の話に聞き入った。
「恵ちゃん、会津に帰ったんだなし。お医者さんになって。お医者さんになるのが夢だって言ってたんだなし」
「すげぇ女だよ。俺の知る限り、日本一の女だ」
「だから、世界一になるんだべ?」
「…………まぁ、そうだな……」
 言いながら、左之助は頬を赤らめた。
「ところで、隆明<りゅうめい>あんつぁと清加様は? まだ会津さ戻ってねぇべか?」
「隆明あんつぁ? 清加様? 誰だ、それ……」
「恵ちゃんのあんつぁまと母様だ。まだ青森にいるだか……」
「は!?」
 左之助は思わず立ち上がり、捨松の肩を掴んだ。白い息を吐き出す唇が、小さく震えている。
「恵の母ちゃんと兄ちゃん、生きてんのか!?」
「え……?」
 捨松は眼を瞬かせた。左之助が言っていることが、捨松には理解出来なかった。
「生きて……るべ? 少なぐとも、私が斗南にいた頃は生きていたべ? 戦争であねちゃが怪我したけんど、治療してもらったんだなし。死んだことになってるべか?」
「いや……消息不明で、恵は家族を探すために東京から会津に戻ったんだ。生きてんなら、知らせてやらねぇと」
 左之助は走り出しそうになる気持ちを抑え、捨松の肩を掴む手に力をこめた。一瞬、痛みで捨松が顔を歪めたため、慌てて手を離した。
「早く知らせてやらねぇと……」
「だったら、私が文を書くべ。会津の高荷恵ってことさえ解ってればきっど届く」
「ありがてぇ。頼んで良いか?」
「さすけねぇ。任せてくなんしょ」
 左之助は嬉しそうに満面の笑みで捨松の頭をがしがしと撫でた。荒っぽく髪を撫でられ、捨松は手で軽く髪を整えると、凛とした表情で立ち上がった。
「子供扱いしないでくなんしょ。私は、もう二十歳だべ」
「お、同い年か。そりゃぁ悪い事したな。でも、本当に助かる。宜しくな」
「その代わり、左之助は世界一の男になるべ。約束」
 捨松は、そっと右手を差し出した。左之助は力強くその手を握り締めた。
「約束だ」
「左之助、世界一さなったら、恵ちゃんの事お嫁さんにしてくなんしょ。今もひとりって言ったべ?」
「なっ……」
「日本一の女子<おなご>には、世界一の男<おのこ>でねぇと吊り合わねぇべ」
 捨松はらんらんと瞳を輝かせて左之助を見詰めた。左之助は握手している手とは逆の手で頭を掻くと、はぁと深く息をついた。
「俺が世界一になった時、あいつがまだひとりでいたら、俺のものにするって、そういう約束なんだよ」
「そうでねぇと! 恵ちゃんと左之助なら、絶対吊り合いも良いべ。そうときたら、直ぐに文をださねぇとな」
「あぁ、頼む」
 捨松は手を離すと、凛々しい口元を引き結んで力強く頷いた。
「今度は日本で逢うべ、左之助」
「きっとだ、捨松。あとは、任せた」
「うん」
 ふたりは瞳を見交わすと、さっと互いに背を向けて歩き始めた。
「あぁ、恵ちゃんのもので良かった。でないと、私が婿に欲しくなるところだった」
 捨松は、左之助の凛々しく逞しい姿を思い出すだに顔の赤らむのを感じた。これが初恋かも知れないと思うと、自然と口元が緩んだ。初めて恋した人の頼みだ、絶対に恵に文を出さなければと、強い決意を胸に紐育を後にした。



 捨松はその日の内にコネチカット州の寄宿先に戻り、会津の診療所の高荷恵宛に文を書いた。
 しかし、結論から言うと、捨松の文は恵には届かなかった。この頃、恵は海外の薬師や製薬会社と秘密裏に繋がり、会津で必要な薬を密輸していた。繋がりを政府に暴かれないように幾人もの人を介していたが、政府にしてみれば、会津の人々が傷を癒し、病気を治して決起し、西南の役のような戦争を引き起こすことを恐れ、恵を重要危険人物のひとりとして見張っていた。そのため、海外から恵宛に届いた手紙を警戒し、内容も確認せずに処分したのだった。
 捨松はその後、明治十五年の暮れに帰国し、翌年、参議陸軍卿・伯爵の大山巌と結婚する。恵との再会は、その後の事になった。

 恵は長い間、母と兄の消息を知ることが出来ない――




fin
此処にいる。
遠く離れたこの場所に、縁の繋がった誰かがいる。
その出会いがあるから前に進める。
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