貴方を想い、貴方のために駆ける。
 この想いが、いつか届くと信じて。或いは、届かぬと知りながら。
 女達は、駆けてゆく――



   乙女心の午前



 明治十一年初夏、京都――
 明け方といえど夏の空気は生ぬるく、ねっとりと首筋に纏わりついた。じわりと額に滲む汗を拭い、高荷恵は息を殺して傷を縫い合わせる。
 この夏、京都では事件が立て続いた。幕末の志士であった志々雄真実なる男が、日本政府転覆を目論んで京都で暗躍し、各地で事件を起こした。京都市中は、特に警察組織は大きな打撃を受け、負傷者が続出し、市中から医者が消えた。志々雄を討つため東京から駆り立てられた緋村剣心は、志々雄やその側近の瀬田宗次郎、そして春に一戦交え、因縁の敵となった四乃森蒼紫との戦いで、瀕死の傷を負った。恵は剣心重症の報せを受け、東京から一夜で京都まで駆け付け、徹夜で治療にあたった。
 剣心の治療を終えた恵は、蒼紫の仲間である隠密御庭番衆の面々、特に蒼紫に恋情を抱いている巻町操の懇願を受け、直ぐ様蒼紫の治療に移った。
 負傷したのは剣心だけではなかった。怪我の大小はあるものの、全員が何処かしらに傷を負った。応急処置は、医学知識を多少ながら持ち合わせている御庭番衆の白尉が行った。剣心の手当ても、白尉を始め、御庭番衆の面々が手を貸した。しかし、蒼紫の治療は事情が違った。蒼紫自身が他者を寄せ付けない不穏な気を纏い、誰も近付く事が出来なかった。唯一恵だけは、患者である蒼紫を救いたい一心で対面することが適った。
 恵と蒼紫との間には、剣心と蒼紫以上に深い因縁がある。恵がある男に軟禁され、阿片の密造を強要されていた時、男の護衛と恵の監視のために雇われていたのが蒼紫だ。しかし、御庭番衆の者たちはその事を知らない。
 恵は蒼紫の治療の間、剣心の親友で、恵にとっても気の置けない友人である左之助に、剣心の側で様子を見るよう頼んだ。剣心を恋い慕う少女・神谷薫にも、近付く事を許さず、左之助以外は睡眠を取るよう指示を出した。最初は不満を漏らす者もいたが、薫の弟子であり、最年少――僅か十歳――の明神弥彦の号令で、隣り合わせの部屋に男女分かれて布団を敷いて休むこととなった。
「こんな朝っぱらから眠れる訳ないじゃない」
 苛々と何度も同じ事を呟くのは、隠密京都御庭番衆で御頭を名乗る操だった。とはいえ、操を含めて此処にいる全員が戦闘を終えたその日から既に丸二日徹夜している状態である。途中、何度か転た寝程度はしているが、布団では眠っていない。
「大体、どうして蒼紫様の側にいさせてくれないのよー」
「私だって、剣心の側にいられなかったわよ」
 操を宥めるつもりで言っている事ながら、薫の言葉には私情が混ざり、不満が見え隠れしていた。東京で神谷活心流剣術道場の師範代を務めている薫は、東京で一度は剣心に別れを告げられたが、剣心への想いだけを胸に京都まで参じ、激闘に身を投じた。それだけ強い想いを持って京都まで来ているのだし、右手が殆ど使えない重症の左之助より役に立つ自信はある。薫を始め、左之助や弥彦ら東京から来た面子は、恵が剣心に想いを寄せている事を知っている。薫は、医者という立場を利用した体の良い嫌がらせなのではないかと半ば勘繰っている。
「それは、先生にも考えあっての事よ」
 ふたりを諭したのは、京都隠密御庭番衆がひとり、近江女。しかし、やはり操の不満は納まらないようだ。河豚のように解りやすく頬を膨らませて意志を主張する。尤も、だからと言って蒼紫の部屋に乗り込む気はあまりない。恵に、言う事を聞かなければ蒼紫の治療をしないと言われたためでもあるが、半分は、蒼紫の部屋に入る自信がないためだ。蒼紫の放つ禍々しい程に歪んだ気は、部屋に立ち入るものを絞殺さんとする勢いがあった。
「それにしても、先生は蒼紫様のあの部屋に入れるかしら……」
 操の隣りで、同じく京都御庭番衆の増髪が不安げに呟いた。
「……私でさえ入れなかったのに…………」
 操は、ごろりと布団に横たわった。
 葵屋で剣心、左之助、そして四乃森蒼紫を待ち、戻って来たところを直ぐに東京の「赤べこ」の姉妹店である「白べこ」に移動したは良いが、操も御庭番の面々も、蒼紫に話し掛ける事は出来なかった。剣心を運び込み、医者を探しに駆け回っている間に蒼紫は奥の部屋に引き籠もって禅を組み、黙り込んだ。しかし、話し掛けるどころか誰も部屋に入る事さえ出来ずにいる。左之助が、「未だ何か足りないのか」と漏らした。比叡山で起こった総てを見届けた左之助だからこそ解る事があるのだろうが、左之助は敢えてそれを語ろうとはしなかった。
「蒼紫様……」
 操は寝返りを打つと、
「蒼紫様、蒼紫様、蒼紫様、蒼紫様、蒼紫様、蒼紫様ぁぁぁ……」
「うっせー!」
 隣りの部屋から、襖越しに弥彦が怒鳴った。
「恵を信じて、黙って寝てろよ!」
 隣りの女部屋からぶつぶつと声が聞こえて来て、弥彦もなかなか寝付けずにいた。
「大体、薫まで一緒になって何言ってやがんだ!」
 弟子の苛立たしげな台詞は、全くその通りで、薫も反論出来ない。仕方ない。こうしていても剣心の側に居させてもらえる可能性は低いのだから、取り敢えずは恵の指示に従おうと、薫は漸く結い上げていた髪を解いた。手櫛で結び目を梳きながら、小さく息をついて布団に寝転がった。
「白と黒は寝てるの?」
 増髪が声を細めて問う。静かな声だが、不思議と弥彦の耳にははっきり届いた。
「……いや。なんか……惚けてる」
 部屋に入ってから碌に話をしていないので何気なく二人を振り返ると、京都御庭番衆の白尉も、黒尉も、ぼんやりと天井を仰いでいる。
「惚けてるぅ?…………あ、本当だわ」
 突然、近江女が二つの部屋を分かつ襖を開いた。増髪、操、薫も続く。
「なんだよ、いきなりっ!?」
「白も、黒も、もしかして恵ちゃんに惚れちゃったんじゃないの?」
 あまりに締まりのない二人に、近江女は呆れていた。
「いや、というより……あの手術を間近で見られた事に感動してしまって」
 近江女の声に我に返った白尉は、瞳を輝かせた。
「まるで着物でも縫うみたいな、あの鮮やかな手捌き!」
 黒尉も、興奮覚め遣らぬ様子だ。あまりの恍惚振りに操は呆れ返っていたが、その横で増髪と近江女は頬を紅潮させた。
「それは解るわ! 私もあれには感動したもの。つい見入っちゃって……」
「総ての動きが正確で、かつ無駄が無いのよね!」
「……そーいや、左之助の手術した時、凄かったよな……」
 ふと、弥彦は京都に来る前、斎藤一と戦って肩を負傷した左之助を治療した時の事を思い出した。左之助が血塗れで倒れていたのに、僅かな動揺も見せずに素早く適格な指示をして、手持ちの少ない手術道具で左之助の傷を縫い合わせていった。
「ふぅん。それで、“縫い針小町”?」
「何それ?」
 操が男部屋で胡座をかいて座る。その隣りに、近江女も腰を下ろした。
「昨日、左之助が言ってた。巷で評判の“縫い針小町”だって」
「成程」
 言い得て妙だと、黒尉が唸る。
「御庭番にも腕の良い医者は何人かいたけど、あの先生に比べたら足下にも及ばないな」
 白尉も、頷いた。幕末、京都御庭番衆で医務方を務めておりいた白尉は御庭番の中でも戦闘より補佐役を得意とし、怪我人の治療をよく行っていた。戦闘能力もそれなりに高いが、それ以上に医術に長けた白尉には、恵は非常に興味深い存在だった。白尉だけでなく、元市中警護方の黒尉、京都探索方の増髪と近江女にも、恵は関心の的となっていた。
「けど、なんで心配してる私達を側にいさせてくれないわけ? 納得いかない!」
 四人の感動などそっちのけで、操が声を上げる。
「まぁだ言ってやがんのか」
 今度は、弥彦が呆れた様子で溜め息を吐く。
「っかつくー。あんたって、本っ当に女心が解んないわねぇ」
「解りたくねぇよ」
「まぁまぁ、お孃、落ち着きなって……」
 白尉と黒尉が弥彦と操を宥めに入るが、二人とも頑として引こうとしない。
「あの人も女のくせに女心解ってないのよ」
「お前より恵の方がよっぽど大人だからな、女心だって違うだろうさ」
 終いには、
「何よ、やろうっての?」
「上等。表出やがれ!」
 操は苦内を構え、弥彦は竹刀を握った。
 しかし――
「何してるの、貴方達!?」
 がらりと男部屋の襖を開き、怒鳴り込んだのは、当の恵だった。
「恵……」
 一つに纏めた髪を肩から胸に垂らし、やや頬を紅潮させているところを見ると、どうやら手術を終えたところのようだ。
「先生、蒼紫様は……」
 白尉が勢いよく立ち上がり、恵に駆け寄る。続いて、操も立ち上がった。
「傷の縫合は済んだわ。暫くは安静にして、動けるようになるまで五日くらいは休ませた方が良いわね」
 殆ど白尉以外に聞かせるつもりがないようで、密やかな声で伝える。しかし、御庭番の耳は非常に優れ、その話は操にもしっかり聞こえた。
「本当? 蒼紫様、起きてる?」
 操は脱兎の勢いで部屋を飛び出そうとした。しかし、恵は入口を塞ぐように仁王立ちになり、操を塞き止めた。
「先に話を聞いて頂戴」
「蒼紫様に先に会わせてよ!」
 落ち着かない様子で恵の前で足踏みをする。その想いの強さは、恋情によるそれだと、恵には直ぐに解った。それ以前から、彼女の蒼紫に対する溢れて止まない感情や心情は、中途半端な想いでない事が解っていた。それだけに、双方が傷付かないように配慮しなくてはならないと、恵は考えていた。
「子供じゃねぇんだから、ちょっとは落ち着けよな」
 俺よりよっぽどガキじゃねぇか、と、弥彦は露骨な溜め息を吐く。
「うっさいわねぇ。やるなら相手になるわよ」
「それだからガキなんだよ!」
 操が素早く両手に十六本の苦内を構えた。弥彦も、竹刀を正眼に構える。
「あんた達!」
 薫が叫ぶが、二人は止まらない。二人の気合いの怒号が響き、今、踏み切ろうという、その時――
「いい加減にしなさい!!」
 部屋を揺らすかのような恵の声。正に鶴の一声だった。操と弥彦は元より、部屋の中にいた総ての者が一瞬で硬直した。
「…………恵……」
 肩で息をする恵の眼が、怒りに震えていた。
「弥彦君、そこに座りなさい」
 恵は一方の床を指す。迫力に気圧され、弥彦は咄嗟に指示に従った。
「操ちゃんはそっち!」
「…………」
 弥彦の反対側を指す。操も、渋々従った。
「みんなは適当に座って頂戴。話があるから」
 薫と御庭番の四人が慌てて床に座ると、恵は部屋全体を見渡し、それから「ちょっと待ってて」と、背を向けた。斜向かい――女部屋の向かい――の部屋の戸を開けると、左之助の逆立った黒髪が目の前に現れた。
「大した声だな」
「悪かったわね。これから、みんなに話があるんだけど、あんたは此処にいてくれる?」
「ん? あぁ」
 頭上の恵の顔を見上げて、左之助は答えた。
「あんたには後で別に話すわ。右手も、もう少し待ってて」
「おう……」
 左之助が納得したのを確認すると、恵は「悪いわね」と一言残し、ゆっくりと戸を閉めた。
「今後の事も話さないといけないから京都御庭番の御頭の――」
 恵が全員の前に正座をしながら言いかけた時、操が大張り切りで手を上げる。
「はいは〜い、私が御頭!」
 …………。
 一瞬、恵は視界がさっと真っ白になるのを感じた。何を馬鹿げた事を言っているのだろう。目を瞬かせ、首を傾げる。
「操ちゃん、そういう冗談は良いのよ」
 何と答えて良いものか解らず、軽くいなしてみたのだが、操が怒るより先に、弥彦が吹き出した。
「そりゃ、誰だって信じないよなぁ」
 と、言うからには本当なのだろう。
「……本気でいってるの……?」
「あったりまえじゃない!」
 操があからさまに頬を膨らませて怒りを示した。
「いや、先生。お孃が御頭を名乗っているだけで、別に正式な手順を踏んでる訳じゃないんですよ。本来は、今は外出していますが、“翁”という者がおりまして……お孃の保護者みたいな者なんですが」
 不思議そうに眉根を寄せて操を眺める恵に、白尉が慌てて説明した。実際、翁が蒼紫と闘って敗れた時に、半死半生の翁を見て、操が勝手に御頭を名乗り出しただけなのだ。
「えぇ、私もその翁さんに話をするつもりでいたんですけど……いつ頃戻られますか?」
「なんでよー。白さんはどっちの味方!?」
「どっちの味方でもないよ、お孃。強いて言うなら、蒼紫様の味方だ」
 上手くかわしたな、と、誰もが思う。操は蒼紫の名には逆らえないだろう。
「昨日の夕方出て……明日か明後日には戻ると言っていたましたが……」
「詳しくは私達も知らされていないんです」
 本来は責任者として此処にいるべきなのに、と、増髪が溜息混じりに答えた。頷くと、恵は不貞腐れた操に向き合った。
「操ちゃん、貴方を馬鹿にしてるつもりは無いんだけど、貴方はもう少し落ち着きを持つべきよ。“御頭”を名乗るのは生半可な覚悟じゃないと思うわ。“御頭”がそんな軽い気持ちで務まるとは思っていないでしょう?」
 恵の問い掛けに、操は咄嗟に答えられなかった。
 怒りと勢いに任せて「御頭」を名乗った。確かに、軽い気持ちで言った訳ではない。祖父である先代御頭や、憧れている現・隠密江戸城御庭番衆御頭の蒼紫のようにみんなを引っ張ってゆくのだと誓った。京都大火を阻止出来たのも、自分が御頭として先頭に立ったからだと思っている。けれど、明らかに何かが足りない。それが何かは解らないのだが、自分が御頭として完成されている訳では無い事は確かに感じていた。
「きちんと説明をしなかった私も悪いけど、剣――緋村さんや四乃森さんの手術に立ち会わせなかったのは、その間に休んでもらうためよ。貴方達の治療が後回しになる以上、貴方達には無理をさせたくなかったのも理由の一つなの」
「このくらい、どうって事無いのに……」
「お馬鹿」
 ふふん、と、誇らしげに自身の頑強さを鼻に掛ける操に、恵は空かさず厳しい言葉を投げた。
「貴方、自分の身体の事が解ってないわね。外傷は大して無いように見えるけど、内側は酷くやられてるのよ。興奮したら貴方は痛みを忘れる質みたいだけど、それは痛みが消えてる訳でも癒えている訳でもない。時間が経てば経つ程、寧ろ悪化する可能性が高いのよ。解らない?」
「……それは……」
「肋、折れてるんじゃないの?」
 操は、咄嗟に脇腹を押さえた。志々雄の束ねる戦闘集団「十本刀」の一人、「大鎌の鎌足」の鎌の柄尻に繋がれた鎖分銅が直撃したところだ。確かに、あの時骨が折れたような感覚があった。
「折れた骨がずれたら、もう元通りにはならないかも知れないし、もしも内臓に刺さったらどうなるかくらい、簡単に想像は付くでしょう?」
 恵は感情を露わにせずに淡々と話していたが、操の腕には鳥肌が立っていた。まるで考えていなかったが、肋骨が内臓に刺さる――。もしもの事を考えると、ぞっとする。
「こわっ」
「笑えないわよ。言っておくけど、よくある事なんだからね」
 それまで苛立ったり怒ったりと興奮気味だった操が、徐々に勢いを失っていった。
「詳しくは翁さんに説明するけど、緋村さんも四乃森さんも、今は私の許可無しに部屋に入らないで下さい」
 恵に断言され、操は不満そうな顔を見せたが、口には出さなかった。何年も探して日本各所を駆け回って、漸く側にいられると思ったのにこの仕打ち。操にしてみれば、蛇の生殺し状態である。
「四乃森さんは、全治二週間くらいね。取り敢えず、五日程休ませて様子を見るわ。でも、明日には面会出来ると思うから、操ちゃんは今は安静第一で考えて。また暴れたりするようなら、面会許可は出せないわ」
「……はぁい」
「緋村さんに関しては、もう少し様子を見ます。麻酔が切れたら直に意識は戻ると思うけど……脇腹の傷が思いの外深いから、完治には時間が掛かるわ。でも、一月もすれば普通の生活が出来る筈よ」
 この言葉に、薫はほっと胸を撫で下ろした。剣心の状態が解らすにヤキモキしていたのだ。
「これから、操ちゃんと左之助の手当てと、全員の診察をするわ。終わったら順次休んで頂戴」
「解った」
「必要に応じて、手伝いを求める事があると思うけど、その時はお願いします」
 恵の言葉に、白尉はにっこり笑って了承の意志を示した。



 かくして恵の話はひとまず終わり、診察と治療が始まった。女部屋へ戻った操は、思いがけず素直に治療に応じた。蒼紫への想い故だろう。
 恵が受けた印象に依ると、巻町操という娘はどうやらじっとしたり黙っているのが苦手のようで、恵が沈黙しているとあれこれ質問をしたり、好き勝手に思い付いた事を口にする。最初は、ひたすら蒼紫の魅力を語り続けたが、次第に恵へ興味に擦り変わったらしい。
「ねぇ、恵さんて幾つ?」
「二十二」
「私はね、十六」
「あら、薫さんと一つしか違わないのね」
「そうなの。姉妹みたいでしょ?」
 恵は内心、十六にしては幼く見えるし、騒々しい姉妹だな、と思った。しかし、口に出したらまた五月蠅そうだと小さく息をついて微笑んだ。
「そうね。貴方も東京の生まれ?」
「解る?」
「言葉がね」
「恵さんは?」
「会津」
「それって何処だっけ? 北の方?」
「東京より北よ」
「結婚してる?」
「残念ながら」
「恋人は?」
「それも残念ながら」
「好きな人は?」
「……いるわよ」
「え、誰? どんな人!?」
 案の定、この手の話には大喜びで喰らい付いた。
「み……操ちゃん、あんまり人の事あれこれ詮索しない方が……」
「え〜、薫さんは知ってるんだ!?」
 隣りで聞いていて、大慌てで止めに入った薫だったが、逆に操の興味を煽ってしまったらしい。ちらりと薫が横目で恵を伺うと、恵は唇の両端を吊り上げて勝ち誇ったように笑っていた。
「ね、ね、どんな人? カッコ良い? 恵さんて外見こだわりそう〜。蒼紫様、カッコ良いでしょ? でも蒼紫様はダメよ。私のだぁぁい好きな人なんだからね。あ、でも、もしかして左之助とか? 勿論蒼紫様の方が百万倍カッコ良いけど、左之助も悪くないかもだし。意外と恵さんに似合いそうかも。ってか、ねぇ、どんな人? ねぇってば〜」
「操ちゃん!」
 操に犬のような尻尾が付いていたら、千切れんばかりに振りまくっていただろう。眼をきらきらと輝かせ、薫の肩に前足――ならぬ、両手を乗せて見詰めている。
「動かないで、操ちゃん。包帯結んだら終わりだからこっち向いて」
 恵が操の手を引っ張った。操はそれでも興味の対象を逸らさず、尻尾をぱたぱた振り続ける。
「操ちゃん、はしたないわよわよ。……すみません、恵先生……」
 増髪と近江女が苦笑いを浮かべている。が、かく言う彼女らも興味があるようだ。
「知りたい、知りたい〜」
 恵は、そっと包帯に鋏を入れた。
「言った通り、安静にしてなさい。動いちゃ駄目よ。直ぐに寝なさいね」
 恵は手早く道具を片付け、立ち上がった。
「ちょっとで良いから教えてよ〜。眠れないって」
 睡眠不足も興味に変わればこの通りで、操の瞳は爛々と輝いている。成程、眠りそうにも無い。恵は薫を伺う。薫は恵の視線に気付かず、操を止めるのに必死だった。それにしても先程といい、なかなか止められずにいる姿は情けないものだ。尤も、操に勢いがあり過ぎるのも確かだが。
「……剣さん」
「え!?」
 ぽつりと漏らす。操は聞き取れなかったようで、更に瞳を輝かせて恵に飛び付いた。
「剣さんよ。――緋村剣心」
 思いがけない答えにきょとんとする京都御庭番の女達を余所に、恵は優雅な仕草で部屋を出た。
 その直後の――本当に寝る気があるのか疑わしい――大騒ぎで、隣りの男部屋から怒鳴られたのは言うまでも無い。



「待たせたわね、左之助」
 言いながら妙に重たい襖を開くと、左之助の頭が凭れ掛かって来た。
「重っ。起きなさい、この鳥頭!」
 恵が右手の拳で軽く小突くと、左之助は締まりのない顔で目を開いた。
「ん〜、悪ぃ、寝てた」
「見れば解るわよ」
 恵は呆れた風でも無く、まるで表情も無く、冷ややかに言った。
「ん。怒ってんのか?」
「不機嫌なのよ」
「……違いが解んねぇな」
 左之助はゆったりと身体を起こし、頭を左手で掻きながら大きな欠伸をした。
「ま、良いや。手当て頼まぁ」
「それが人に物を頼む態度なの? 剣さんを見ててって言った筈でしょうが」
 溜息を吐きながらも、白尉がきちんと応急処置をした包帯を手早く解いてゆく。この瞬間、左之助ははっきりと目を覚まして黙り込む。悔しいけれど、彼女のこの医者の顔をしている時の手捌きは鮮やかで、尚且つ美しい。「手当てして貰えるなら幾らでも怪我するのに」などと冗談混じりの舎弟達の言葉が、時々冗談でもなんでも無くなっている事に気付く。
 左之助は何も言わない。操と違い、恵の指示に大人しく従い、指の骨がどうなっているだの、皮膚がどうだのと言った細かな説明にいちいち相槌を打った。何処まで正確に理解しているかは解らないが、思いがけない真摯な態度に好感が持てた。恵はあっという間に処置をして右手の指を一本一本固定しながら、丁寧に包帯を巻いてゆく。
「はい、終わり。明日また処置するから、無理に動かしちゃ駄目よ。全治三ヶ月、絶対指示に従って、無理に動かさないようにね」
「お……おぅ……」
 動かすなと言われても、まるで巨大なマッチ棒の先のようなこの手をどうして動かせると言うのだろうか。
「あんた……」
 恵が右手から左之助の顔へと視線を上げる。
「随分落ち着いたわね……」
 久し振りに向き合う左之助は、東京にいた頃とは何処か違う。具体的には解らないが、抽象的な言葉を使うなら“男らしくなった”。
「そうか?」
 恵の意外な言葉に首を傾げる。まさか、この女がそんな事を言おうとは。
「なんか……暫く会ってないと変な感じだな……」
「……そう?」
「久し振りにお前の治療見て、白尉の奴とあんまり違うからちっと感動した……」
「褒めても何にも出ないわよ」
 恵は、左之助の額を軽くはたいた。
「斜向かいの部屋で弥彦君と白尉さんと黒尉さんが休んでるから、あんたも一緒に休んで頂戴」
「おめぇは?」
「剣さんを見てるわ」
 恵は剣心の横に座り、乱れてもいない布団を掛け直した。
「……ん。解った」
 小さな恵の背中に、左之助は頷いた。先程、蒼紫の部屋に向かった恵は、しなやかな強さを持っていた。しかし、今はまるで繊細なか細い一人の女なのだ。
「有り難な、恵……」
「何が?」
「いや……、手当てとか」
「当然でしょう、医者なんだから」
 か細い背中が答える。
 それにしても、東京から京都まで駆け付けるのが医者として当然の事であるとは到底思えなかった。「剣心がいるからか?」――だが、それは聞くまでも無く明白な事で、左之助は言葉を飲み込んだ。例えば重傷を負ったのが自分だったとしても、この女医者はきっと駆けて来てくれる。それは確かにそう思えるけれど、剣心程心配してもらえる自信はない。徹夜で過酷な治療をした後、側についていてもらえる気はしない。それは、剣心が相手だからだとはっきり解る。
「んじゃ、お休み」
「えぇ、ゆっくり休みなさい」
 左之助は静かに襖を閉じた。

 女部屋は、相も変わらずの大騒ぎだった。操の騒ぎ声が――何を言っているのかは殆ど聞き取れないのだが――響き続けていた。男部屋から左之助が怒鳴ると、操は今度は左之助の文句で騒ぎ続ける。実に騒々しい。先程、蒼紫を思って見せたひたむきでしおらしい態度は好感の持てる年相応のそれだったが、こうも騒がしいとなると、弥彦よりも幼いのではないかと思われた。結局、恵が乗り込んで言った「丸二日面会禁止」――しかも連帯責任で薫にもとばっちり――により、漸く大人しくなったのだった。
 一度静かになれば騒ぐ気も最早起きないようで、水を打ったように静まり返った。疲れていたのは確かだろう。本当に眠れないようなら薬を飲ませるつもりだったが、その必要もなさそうだ。
 恵はほっと胸を撫で下ろし、剣心の顔を見た。
 一体何があったのか、どんな闘い方をしたのか恵には想像がつかなかった。多くの傷口は肉が抉れている上に火傷のように爛れていた。普通の刀傷ではない。恐らく、“通常の日本刀”とは異なる種の刃物――だが、扱いは日本刀と同じ――を使う敵だったのだろう。斬り殺すのではない、痛め付けて殺す武器だ。残忍な性格の敵が振るったに違いない。この剣の持ち主こそ、志々雄真実であると、恵は確信していた。かと思えば、研ぎ澄まされた刀による傷跡もあった。通常の刀傷なら縫合もし易い。傷跡の付き方から、同じ刀傷でも使い手の癖が出る。恐らく、剣心は三人の敵と剣を交えたのだろうと恵は推察した。
「剣さん……」
 この人でなければ、きっと志々雄真実の暗躍を止める事は出来なかった。これ程傷付き、日本の命運を背負って命を懸けて戦った人に、医者の一人も来てはくれなかったというのか……。警察や政府は医者の一人も回してくれなかったというのか。明治政府にとって、彼もまた駒でしかなかったのかも知れない。
「…………剣さん……」
 紅い唇が、微かに震えた。
 この人が生きている――。その奇跡を、恵は噛み締めていた。けれど、解っていた。この人が生きて帰って来られた理由を。


 初夏の夜風が緩やかに赤い髪を撫で、いつの間にか高く上った月が、戦士の眠り顔を煌々と照らす。大きな瞳は閉ざされたまま動かないが、確かな呼吸の音が恵を落ち着かせた。
 冷えるかしら……。止まない風が怪我人の体に障るかも知れないと、恵は腰を浮かせた。窓の外には、満月を過ぎて少し欠けた月がぼんやりと浮かんでいる。
 恵が、窓の障子に手を掛ける。月明りに照らされて青白く浮かび上がるその横顔を捉えたのは、赤みを帯びた瞳。うっすらと開かれた瞳がその姿を認識すると、瞳の主は囁いた。
「…………めぐ……み……どの……?」
 僅かの間、瞳の中で青白い貌の女が硬直する。
 ゆるりと振り返った恵は、その眼に確かに微笑む彼の人の姿を見た。
「剣……さん……」
「恵殿……。では、此処は――東京――?」
 少しずつ視界がはっきりとして来る。たおやかな女の夜闇に溶けるような髪の向こうに、月が輝いている。
「いや……京都……未だ、此処は京都か……」
「えぇ、京都よ」
 答えながら、剣心の側に膝をつき、顔を覗き込む。
「わざわざ東京から来てくれたのでござるか……」
「私――私は、医者だもの。患者さんがいれば何処へとも行くわ」
 顔色、心拍数、体温と、異常のない事を確認する。
「みんなは……?」
「さっきまで治療をしていたんだけど、今は休んでるわ。大丈夫、時間は掛かるけど、完治する筈だから。……まぁ、無理矢理動かさない限りは、ね」
 付け加えた一言は重かったが、何処か呆れたようでもあった。恵がそういう理由が、解る気がする。操が加わっただけで、彼らの勢いは二倍三倍に跳ね上がったのだ。元気なのは良いが、恵の苦労は手にとるように解る。容易く想像出来た恵の奮闘振りに、剣心はくすくすと微笑う。
「笑い事じゃないですよ」
「あぁ……すまぬ」
「ふふ……」
 そうして恵は微笑んだが、剣心の瞳は宙を仰ぐ。胸の内に掛かる想いの傷が、彼の中でまだ塞がずにあるのかも知れない。例えばその内にあるであろう、仲間に対する気がかりならば、少なからず取り除けるはずだと恵は思う。
「薫さん達は至って元気よ。弥彦君の火傷や薫さんの傷は大したものではないし、白尉さんの処置のお陰ですっかり良くなってるわ。元気過ぎて困るくらいね。操ちゃんは肋骨を折ってるけど、無理さえしなければ問題はないし。剣さんは、一ヶ月くらいで普通に生活出来るようになるわ。左之助の右手だけは剣さんより重症だけど……それでも、時間を掛けてでも私が治すから、大丈夫よ」
 取り敢えずの現状報告に、剣心は笑みを溢した。守られるばかりでなく、己の身を守り、他を守る者達は必ず傷を負う。だが、その傷の状況が信の置ける医者である恵の口から聞ければ、安心出来るというものだ。
「それと……四乃森蒼紫ですけど、剣さんとの闘いで深手を負っていますが、剣さん程ではないですから、間もなく回復すると思うわ」
「蒼紫……そうか。蒼紫も、ちゃんと戻ってきたのでござるな、みんなのいるところに」
「えぇ」
「……すまぬ、恵殿」
 何を謝る事があるのか。しかし、恵にはその訳もしっかり解っていた。
「良いの。大丈夫よ……。あの男も、漸く帰る場所を手に入れたのね……。ずっと、怖かったわ。私が光を手に入れた傍らで、あの男が闇に飲まれたのではないかと思うと」
「え――」
 思わず、息を飲む。
 逞しい女性だ。そして、優しく温かい女性だ。どうして気に掛けられよう、自分を苦しみに縛り付けた男を? 再び相見える事は、互いに苦痛を呼び起こす事必定であろう男を、彼女は慈しむ。己の苦しみなど露程も気に掛けず相手を想う心の深さに、剣心はただただ胸を打たれた。
「みんなを助けてくれて、有り難うでござる、恵殿」
「医者の務めですもの。それに……私にはこんな事しか出来ないんだから……」
「十分でござるよ」
「でも――」
 無力なものね。たとえ救う事は出来ても、守る事は出来ない。救う事すら、万能ではない。
「……惨い戦い……。傷口を焼く刀を使う男だったのね、志々雄真実は……」
 恵の手が、剣心のこめかみに触れる。小さな火傷が残っていた。
「左之から聞いたでござるか?」
「そうじゃないけど……蒼紫にも同じような傷があったし、傷の付き方を見れば、癖や武器くらい解るわよ。剣客を患者に持ってる以上、剣術についても勉強するし……」
 何気ない事のように彼女は語るが、技術は勿論の事、幅広い知識、観察眼と洞察力、その総てを当たり前のように求める彼女こそ、“本物の医者”なのだ。
「やはり、恵殿は最高の医者でござる。医者として、これからも宜しく頼むでござるよ」
 未だ麻酔も抜け切らず、疲労がたまって動かし辛い体を無理矢理奮い立たせ、剣心は恵に右手を差し出した。
 床に落ちかけたその手を、恵は両手で受け止める。
「怪我しないでくれた方が助かるんだけど?」
「そうでござるな」
 くすりと微笑う。
「剣さんが示してくれた道だもの……」
 剣心の右手を握る恵の手に、俄かに熱が籠る。
「生きていてくれて、良かった」
 涙を堪えているのが、剣心には解った。懸命に笑おうとする瞳の微かな震えに、剣心は小さく微笑んだ。
「待っていてくれて、有り難うでござる」
 右手に力を込め、彼女の手から髪へと触れる。
 いつだったか、医者は患者の前ではいつでも笑っているものだと彼女は言った。不安な顔をしてはならないと。それは、人を守る剣を振るう者が、常に強くあらねばならないのと同じだと。
 不安と戦いながらも、彼女は微笑う。たとえ胸の内で泣いていても。
「恵殿は最高の医者でござる」
 言われて恵は微笑んだ。
「当たり前でしょう」

 彼が守ってくれた命で、彼の示してくれた道を生きる。
 けれどそれはまるで――荊の道。胸に秘めた想いは、告げる事は出来ない。
 荊の、道。


fin
貴方の示してくれた道だから、もう迷う事はない。
けれどこの心を、明かせぬ道の苦しさよ。


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