あの頃の事、夢の中に。
 思い出が、くるくると、回る……



   花咲く乙女



 明治十二年九月、会津――
 男は愕然とした。かつては鶴ヶ城と呼ばれ、優美な姿を誇っていた白亜に輝く城が、姿を消していたためだ。美しい城だと思っていた。攻撃する事が偲ばれる程に凛々しい姿は、血の海に臥した会津の娘達の健気な逞しさを髣髴とさせた。
 政府からの命を受け、天守閣を初めとした殆どの建物は、五年前に破壊されたと聞いている。しかし、実際に目の当たりにすると、なんとも言えず胸が詰まった。町へと続く細い街道の傍らで、男は深く溜息をついた。
「見ない顔だな」
 背後で低い声が聞こえ、振り返る。今しがた男が歩いてきた通りを塞ぐように、ひとりの少年が立っていた。黒色の布ですっかり髪を覆い、色素の薄い眼で男を睨む。
「何処から来た」
「……青森だ」
 訝る青年に、男は静かに答える。
「ふぅん。生まれは?」
「お前達に何の関係がある? 大体、お前とて日の本の生まれではあるまい」
「失礼。会津は未だに終わらぬ戦争の渦中にいるもんで。薩長の浪人崩れが、狼藉を働くことも少なくない。警戒もしましょう」
 穏やかに問いながらも、その手は腰に帯びた短刀に触れている。答えによっては、斬り掛からんとする異常な意欲が感じ取れ、男は身構えた。男は、維新以前は侍だった。それなりに刀の修練も積み、今は警察に勤めている。この細身の少年に、おいそれとやられるつもりはない。
「生まれは何処だ。名はなんという。何用で会津に来た?」
「まるで鎖国だな。開かねば、会津は滅びの道を辿るぞ」
「今はお答え願えますか」
 少年が、男に一歩にじり寄る。
「……五所川原署の川島と申す。どうしても会いたい者がいて来た」
「五所川原……まぁ、良いか。失礼なことをしました。鎖国したいわけではないが、如何せん今の会津は非力だ。これ以上奪われては、本当に滅んでしまう」
「あぁ……すまない」
 男は瞳を伏せ、小さく青年達に頭を下げた。青年は、青みがかった瞳で男を睨み、低く押し殺したような声で言った。
「いえ。下手な真似はしないで下さいね。これ以上、会津から何も奪わずにいてくれるなら、俺“達”も手出しはしませんから」
 川島は一度頭を下げ、踝を返す。少年は、通りの向こうの林の影に姿を消した。



 会津の町の中程に、一際大きく、真新しい家がある。周囲には塀の代わりにぐるりと卯近木の垣根が設けられている。
 門柱には、『高荷診療所』の文字があった。
 丁度一年前に建てられたこの診療所は、会津戦争で戦死した会津藩御殿医・高荷隆生の忘れ形見である恵が、福島県令から直々に依頼を受けて開いたものだ。
 最初は女の医者に不安を抱いていた者も中にはいたが、医師不足が深刻な会津で、背に腹は変えられぬと頼ったものも多かった。かつて、会津で絶大な信頼を得ていた高荷隆生の娘であると受け入れたものもいた。一方で、十年も消息不明だった娘が突然現れたことで、偽者ではないか、騙されているのではないかと訝るものも少なからずいた。しかし、恵は会津と高荷の精神に則り、誠心誠意会津の人々と、命と向き合い、会津のために働いた。その姿は人々の胸を打ち、恵は自然と受け入れられるようになった。
 結婚はしていないものの、征太郎と昴というふたりの孤児を養子に迎えて家族になった。昨冬から助手として働いている健水と会津を駆け回りながら、充実した日々を過ごしている。
「こんにちは、昴ちゃん」
 診療所の前で子猫と戯れていた昴に声を掛けたのは、小柄で愛らしい顔立ちの女性だった。
「登世子さん。こんにちは」
「お薬もらいに来たの。恵ちゃんはいる?」
「はい」
 昴は登世子に笑い掛け、猫の頭をひと撫でしてから立ち上がった。
 登世子は穏やかで、朗らかな女性だ。背が高く、凛々しい母親とは対照的だが、昴は登世子が好きだった。
「お母さん、登世子さんが――」
「あ、登世子さん。こんにちは。お薬よね。すぐに持ってきますね」
 昴が呼ぶより早く恵は診察室から顔を出し、玄関に立っている登世子に声を掛けた。
「待って、恵ちゃん。ねぇ、まだ……行くつもりはない?」
 登世子が、不安と期待を滲ませながら問い掛ける。微かに声が震えていた。昴には何のことか解らずきょとんとしていたが、恵は登世子の口からこの話が出ることを、凡そ察していたのだろう。困ったように薄く笑い、唇を噛んで頷いた。
「ごめんなさい、登世子さん。まだ……決心がつかなくて」
「でも、もう十二年目になるのよ。みんなきっと待ってるわ。お願い、恵ちゃん」
 昴は框に腰を下ろしふたりのやり取りを見詰めていた。
「お母さん、何処に行くの? 私、代わりに行こうか?」
「ううん、有り難う、昴。でも、これはお母さんが行かないといけないの。逃げていてはいけない……んだけど……」
「お母さんでも、逃げることがあるんだ?」
 何にでも立ち向かって行く逞しい女性だと思っていた。実際、復興の儘ならない荒れ果てた会津にひとりで戻ってきて診療所を開くなど、並大抵の根性では出来ない。その上、赤の他人の子供まで引き取って育てているのだ。挑戦心と強い意志は、誰にも負けないものと思ったのだが。
「逃げてる訳じゃないのよ、昴ちゃん」
 登世子は優しく言ったが、恵は顔をしかめた。
「でも……逃げてるも同然ね……」
「恵ちゃん、そんな顔しないで。解った、私が間違ってたわ。こんな事、無理に頼む事じゃなかった。でも、気持ちが落ち着いたら……ね?」
「うん。有り難う、登世子さん。ちょっと待っていて。薬持ってきますから」
 恵はさっと登世子に背を向け、診察室へ消えた。
「……登世子さんは、これからそこへ行くんですか?」
「そうよ」
「私も、行っても良い?」
「えぇ、みんな喜ぶと思うわ。恵ちゃんの娘が来てくれるなんて!」
 登世子の頬が緩み、唇が笑みを浮かべた。“みんな”が誰かは解らないがそれが人でない事は昴には察しがついた。この一年で、母は会津の人々全員に逢っている筈だ。総ての人々の診察を行い、健康状態の確認に努めた。どんな相手であろうと、母が診察を避けることなど考えられない。
「外で待ってますね」
 昴はひょいと腰を上げ、飛び出して行った。入れ違いに、恵が戻ってくる。
「あら、昴は?」
「出て行ったよ」
「そう……。あ、これ、今回のお薬。……来年までには、行くから」
「うん」
 登世子は柔らかく微笑み、軽く頭を下げて診療所を出た。
 昴は垣根の裏側で登世子を待っていた。
「行きましょうか、昴ちゃん」
「はい。それで、何処へ行くんですか?」
「お墓参り」
 やはり、と昴は思う。やはり今はもうこの世にはいない人だ。先程の話から推察するに、恐らく戦争で亡くなったのだろう。
「お母さんは、どうしてその人のお墓参りに行かないの?」
「……仲が良かったから。会津の殿様に尽くした家老の西郷頼母様の娘様達……特に細布子ちゃんや瀑布子ちゃんは恵ちゃんを可愛がっていたし、田鶴子ちゃんとはよく遊んだようだから。会津の足手纏いにならないようにと、みんな一緒に――奥様や、まだよっつだった常磐子ちゃん、ふたつだった季子ちゃんまで――自刃されたの」
「え……?」
 昴は息を飲んだ。



 恵の助手である健水は、川島に肩を貸しながら歩いていた。川島の左足首には包帯が巻かれ、血が滲んでいる。
「すいませんね、余り久し振りに来たもので、ぼんやりとしてしまって……」
 ぜいぜいと息を切らせながら川島がいうと、いやいや、と健水は首を振った。
「驚かれるのも無理ありません。随分変わりましたからね」
「しかし、土手で足を滑らせるなんて、警察官として情けないです」
「そういう事もありますよ」
 健水はくすくすと笑う。
「もうすぐですから。私が働いている診療所です」
 川島は、呆然と鶴ヶ城のあった場所を見詰めていた。十年で見る影もなくなるとは思いも寄らず、哀しみとある種の絶望が押し寄せてきた。引き付けられるように鶴ヶ城へ向かったが、足元が見えず、土手を滑り落ちたの。そこを偶々健水が通り掛かり、引き上げ、応急処置をして連れてきたのだった。
 川島は恐縮しながら健水に連れられて診療所の門を潜った。
 当然、恵は川島が来る事など知らなかった。知るはずもなかった。川島という男がどんな人間であり、どんな立場の人間かも知らない。
「急患ですか?」
 診療所の近くまで来た時、通りの向こうから少年が駆けて来た。高荷家の養子の征太郎だ。針子に育てられた征太郎は裁縫の腕が滅法良く、近隣の人々の繕い物を安く承っている。その配達を終えて戻ってきたところだった。征太郎は、一年前に恵の息子になったのだが、それ以前から恵に憧憬を抱いており、恵のように人の助けになりたいと望んでいる。
「足を捻って、擦り剥いている。診療所で固定して、血止め薬を塗ろう」
「解った」
 征太郎は、健水の手にしていた荷物を取り、隣りを歩いて玄関の戸を開けた。健水が、ゆっくりと川島を玄関に座らせる。
「母さん、患者さん!」
 征太郎が草履を脱ぎながら、奥へ声を掛けた。「はーい」と、声が聞こえる。征太郎の声音から、然程重症ではないと察したのだろう。返す声に、あまり緊張感はなかった。しかし、足音はすぐに玄関に近付いてくる。
 川島は、ゆっくりと振り返った。何となく聞き覚えのある声。
 次の瞬間に何が起こったのかは、誰にも解らない。川島と目があった瞬間、恵は足を止めた。まるで呪術をかけられたかのように凍り付き、目を見開いた。
 恵の脳裏に鮮烈な光が走る。
 血。
 赤黒い血の海が、一瞬、目の前に広がった。
 血。血。血。
 くすんだ畳に緩やかに広がる血の海。
 血。血。血。
 固く閉ざされた眼。
 青ざめた唇。
 微かな笑み。
 白い首筋。突き立てられた刃。
 血――――
 鋭く瞬き、現れては消える像。ただひたすらに、血の海に横たわる、人の姿が映る。
 恵の指先はみるみる熱を失う。恵にとっては永遠のように長く、他のものにとってはほんの一瞬の出来事。
 恵の顔から、血の気が引く。異変に真っ先に気付いたのは、健水だった。
「恵先生!」
 草履を投げ出し、玄関に上がる。恵の身体が傾いた。
「恵先生…………恵ちゃん! 恵ちゃん!!」
「……母さん? どうしたの!?」
 征太郎も、慌てて恵に駆け寄る。握った指は、氷のように冷えていた。
「え……母さん……?」
「征太郎、川島さんを診察室へ。恵先生は寝台に寝かせる」
 言うなり、健水は恵を抱き上げた。恵はだらりと腕を垂れ、微塵も動かなかった。
「母さん、どうしたの?」
「良いから、早くしろ!」
 殆ど突き飛ばすように征太郎を振り払い、健水は奥へ急いだ。
「彼女は……」
「兎に角、上がって下さい」
 征太郎は川島の言葉に耳も貸さず、革靴を脱がせて診療所に上げた。川島は、兎も角征太郎に従った。足をつくと、痛みが走る。ぐっと奥歯を噛み締め、閉ざした瞼の裏に、征太郎と同じ年端の少女の姿が浮かんだ。
 ――高荷恵。
 川島は、その名を知っている。



 恵を寝台に寝かせると、健水は征太郎に手を貸して川島を椅子に座らせる。
「ちょっと腫れてますね」
 川島の怪我を見ながら、健水は丁寧に治療を施す。征太郎は恵の寝台の脇に衝立を立てて川島との間を仕切り、唇を引き結んでふたりを見ていた。
「川島さん……どちらから来たんですか?」
「……五所川原です」
 何気ない質問だが、俄かに川島に緊張が走る。
「力を抜いて」
「あぁ、はい……」
「……川島さん、お生まれも青森ですか?」
「いや……九州、薩摩です」
 川島の答えに、征太郎の顔色が変わった。薩摩藩、土佐藩、そして長州藩といった、維新の中心になった諸藩に対して、征太郎は憎しみを抱いている。それが原因で、一年前には一騒動起こし、恵に怪我までさせた事がある。“薩摩”という言葉に急に反応し、腹の底が熱を帯びたが、しかし、征太郎はぐっとこらえた。一年前に母と交わした約束を、破るわけにはいかない。
「だと思いました。そう……紹介が遅れましたね。先程ほんの少し顔を合わせられたあの女性……高荷恵といいます。会津藩の御殿医であった高荷隆生氏の忘れ形見です。隆生氏は、やはり医者であった私の父の友人で、私と彼女は幼馴染でした。私の父も彼女の父も、会津戦争で他界しました。彼女は会津を離れていましたが、昨年、この診療所を開くために戻ってきました。
 で、そこにいるのが、高荷征太郎。彼女の息子です」
「……征太郎君、ですか。そう、先程“母さん”と呼んでいたから、驚いたんです。こんなに大きい子供がいるなんて」
「養子です。僕も、戦争で母を亡くしましたから。戦争の最中に生まれたんです。敵が母の腹を開いて、俺を引き摺り出したそうです。性別を当てる遊戯をしていたのだと聞いています。会津の農民達に助けられて、僕は一命を取り留めました。昨年、育ての親が病死して、彼女の子供になりました」
 征太郎は、努めて淡々と語った。生々しい生い立ちを。川島の顔が引き吊った。
「川島さんは、どうして会津に……?」
 静かだが、有無を言わさぬ征太郎の問い。川島は、意を決した様子で顔を上げた。
「会いたい者が……いた……」

 総ては、あの戦争から始まった。
 


 明治元年初秋、会津――
 戦争は激化していた。
 会津勢は城に籠り、予想を遥かに上回る速度で城下に突入してきた新政府軍を相手に戦った。籠城戦に参じたのは男ばかりでなく、女も薙刀や銃を手に危険な戦場に立っていた。怪我人の看護や炊き出しにも、女や子供が活躍した。
 恵は、当時齢十一。
 高荷家は、幼少の頃から女も医術を学ぶ家系で、恵もふたりの兄も、既にそれなりに医者として働ける力を持っていた。
 この戦である。高荷家は、総出で傷付いた人々を救うべきと考えた。しかし、恵の父である隆生とその妻・清加は、まだ幼い恵だけは戦場に連れ出すべきではないと判断した。
「恵、すぐに戻るから……」
 若松城からやや離れた山の茂みで、清加は出来るだけ優しく恵を諭した。秋の会津の日差しは柔らかく、風は穏やかだが、酷く寒かった。
「いや! 私も行く! みんなを助けたいの」
 恵は絶叫にも似た声で懇願した。半ばは本心であったが、半ばはひとりでいる事が恐ろしかったためだった。
「後生だから、言う事を聞いて」
「けど、母様、城へ行く道は敵軍に封鎖されているだろうし、恵ひとりで行かせるのは……」
 次男の隆彦は顔をしかめた。戦場からは、轟音と人の悲鳴が響いてくる。可愛い妹を、こんなところに置き去りにするなんて。
「……父様」
 隆彦は父を見上げる。だが、父は静かに首を横に振った。
「駄目だ。恵は此処に残れ。きっと、戻るから」
「此処からなら、西郷様のお屋敷が近い。誰か助けてくれるかも知れないし、いざとなったら城に逃げられるはずです」
 長男の隆明が言った。家族の顔に、微かに安堵の表情が浮かぶ。
「そうね……。細布子ちゃん達がいれば安心だわ」
「恵、良いかい?」
 隆生が穏やかに問う。
「……はい」
 恵の表情も僅かに和らぐ。家老の西郷家や山川家の子供達とは、高荷家の兄弟は親しくしている。彼女らがいれば心強い。隆生は、頃合を見て西郷頼母邸へ向かうよう言い聞かせ、自身は隆彦を連れ、妻には隆明に共をさせてそれぞれ山を下った。
 恵は、茂みに蹲って時を待った。いつが“頃合”なのか、解らない。砲声や銃声の響く空の下、恵はひとり、寒さと恐怖に震えていた。いつまで待てば良いのか、検討もつかない。恵は勢い良く立ち上がり殆ど転がるように山を駆け下りた。そこら中で戦の火種が上がっているというのに、不思議と人に会うことはなかった。恵の足に草履はなかった。いつの間になくなっていたのか、恵にも解らない。そんな事に気を留める暇もなく、ただただ恵は走り続けた。
 丁度その頃、西郷邸に砲弾を撃ち込もうとしたひとつの部隊があった。掲げる旗に、薩摩の紋。会津に真っ先に突入したのは、板垣退助らの率いる土佐藩であった。しかし、土佐に遅れを取るなと薩摩の一部の軍勢も会津に雪崩れ込み、明らかに格上の者の住居と解る仰々しい屋敷に、砲撃を仕掛けていた。
「……もしや、誰かいれば」
 今正に大砲を玄関に向けたその時、ひとりの青年が口を開いた。若き薩摩の志士、後の川島信行であった。
「もし、中にまだ西郷頼母がいたなら、砲弾で撃ち殺すより、その首を掻き斬って晒した方が良くはないか」
「はっ、成程、それもそうだな。未だに屋敷にいるとは考え辛いが、裏をかいて潜んでいるかも知れない。よし、ぐるりと屋敷を探って来い。お前が戻ったら砲撃を開始する。もし頼母の首を取ったら、手柄はお前のものだ。ただし、小半時戻らなければ直ぐに砲弾を撃つから、そのつもりでいろ」
「承知しました」
 青年はさっと部隊を抜け、玄関から一度、門を振り返った。隊長が、頼もしく頷く。必ず手柄を取って戻ってやると隊長の眼差しに意志を固め、屋敷に踏み込んだ。
 邸内は静まり返っていた。
 青年は、出来る限り音を立てぬように注意を配り、長い廊下を歩いた。塀の向こうは相変わらず砲声が鳴り、粉塵が舞い上がっていた。硝煙の臭いが鼻につく。
 微かな声を聞いたのは、書斎の前を通り過ぎた時であった。此処だ。
 青年はがらりと障子を開く。そこには、確かに、人はいた。数人の女子供が、環座になって床に臥していた。彼女らの身体からは夥しい量の鮮血が流れ、畳を濡らしていた。乾いていないどころか未だ留まらずに身体から広がっている。全員白い装束を纏い、幼児を除いては、各々短刀を握っている。
 自刃したのだ。会津に攻め入る新政府軍に捕縛され、辱めを受ける事を由とせず、自ら命を絶ったのだ。
「…………」
 最早言葉も出なかった。
 これが例えば江戸であれば、こんな事になっただろうか。会津の民は卑怯を嫌い、常に潔く精錬に生きる事を掲げていると聞いた事がある。しかし、武士の家柄でもない女子供まで、こうも迷いなく死ねるものか。戦争になる事が解っていたとはいえ、新政府軍が城下に攻め込んだのは、ほんの一時前の事。籠城戦が始まれば足手纏いになると察し、その時が来たら死ぬ事を、元より心に決めていたのだろう。
 それは、会津のために。
 これを“誇り”と呼ばずしてなんとしようか。なんと気高く、誇り高い生き方か。
 血の海に横たわる女達を前に、青年は憮然と立ち尽くした。
 弔う事は出来ないか……。青年は、混乱した頭で考えた。その時、
「…………ぅ……」
 微かに声が聞こえた。
 そう、声だ。声が聞こえて、この部屋を開けたのだ。
 部屋の片隅で、何かが動く。背中を丸め、額を畳に押し付けるようにして倒れていた娘が、身体を震わせて呻いた。まだ、息があるのか。
 青年は、生きているらしい娘に駆け寄った。十六、七だろうか。上品な愛らしい顔立ちの少女が、虚ろな瞳でこちらを見ていた。
「あ……貴方、味方……?」
 出で立ちを見れば敵か味方かなど直ぐに解ろうが、よく見えていないのだろう。
「敵……?」
 切れ切れの息で呟き、握り締めた短刀を持ち上げようとした。見ると、少女の着物の袂を、別の少女が握り締めている。妹だろうか。きっと、頼れる姉さんだったのだろう。妹達に愛されていたのだろう。既に絶命している少女の死に顔は、余りに穏やかだ。この状況で尚、この少女は戦おうとしている。敵に刃を向け、立ち向かおうとしている。その姿は悲しい程に凛々しく、美しく、涙が視界を滲ませた。
「味方だ……。会津藩の……川島信行だ」
 口にした名は、青年がこの地で最初に刀を交えた相手だった。五対一で滅多斬りにしたが、それでも最後まで食い下がった男だった。
「川島さん……かぁ……」
 知り合いだったのか、声に安堵が混じる。
「死なしてくなんしょ……」
 辛うじて聞き取れる、半ば呻くような声で少女は懇願した。仲間だからこその願い。青年は唇を閉ざして頷いた。口を開けば、薩摩の訛りが出そうで。
 少女は静かに目を閉じた。青年は腰から小太刀を抜き、少女の喉を一気に掻き斬った。切っ先の触れた瞬間に、少女の唇に浮かんだ笑みは、青年の脳に焼き付いた。
 西郷頼母はいない。いるはずがない。仮にこの屋敷の何処かで自死していたとして、その首を斬り、手柄にすることなど、青年には到底出来なかった。
 部屋の隅には、短冊が積み上げられていた。此処で会津の誇りを守り抜いた者達の辞世の句。このまま砲弾が撃ち込まれれば、この句も焼けてしまう。彼女等の骸総てを弔う事は出来ないが、せめて辞世は残したいと、青年は短冊を集めて懐に納めた。
 隊に戻ろう。青年は玄関へと足を向けた。しかし、悪い事は続く。今まさに青年が廊下の角を曲がろうとした時、廊下を駆ける足音が聞こえた。青年は、思わず足を止めた。直後、足音もぴたりと止まる。良い予感など微塵もしなかった。青年は、ゆっくりと振り返った。十歳くらい、だろうか。髪の長い少女と目が合った。裾の擦り切れたボロボロの着物には、臙脂の小花模様が散りばめられ、およそ死装束には見えなかった。恐らく、助けを求めてこの屋敷に逃げてきたのだろう。
 先程命を絶った少女には、はっきりと見えなかったかも知れないが、この娘には青年が敵だと直ぐに解った。
「あっ……」
 少女は声を漏らした。敵の手に握られた小太刀からは血が滴っている。逃げなければと、思ったのだろう。咄嗟に近くの襖を開き、部屋に飛び込んだ。先程まで青年がいた部屋。
「駄目だ、見るな!」
 青年は声を張り上げ、少女を追った。しかし、時既に遅し。少女のむき出しの足は、畳に広がった鮮血を跳ね上げて止まった。
「見ちゃいかん」
 青年は、慌てて少女の肩を掴んだ。少女はその手を振り払い、一番近くにいた女性に飛び付いた。
「千重子様、千重子様! 起きて下さい、恵です。高荷の娘です、千重子様!」
 揺す振っても、幾ら声をかけても、その女性が目を醒ます事はない。女性の傍らに倒れる幼児達にも、恵と名乗る少女は声を掛けた。
「常磐子ちゃん、季子ちゃん、恵よ。ねぇ、ねぇ!」
「よせ……」
「田鶴子ちゃん、律子様」
「もうよせ……」
 青年は、部屋を這って骸に話し掛ける恵を捕まえようとした。だが、恵はその腕を避けて別な少女達に駆け寄った。
「瀑布子さん、細布子さ――」
 恵の前に横たわる少女達、そのひとりは、ほんの数分前まで息があり、ほんの数分前に青年が介錯した娘だった。恵がその名を呼びながら件の少女の肩を押した時、その首はあらぬ方向にずれた。骨ごと半分以上切られていた首は、恵に向かって口を開いた。
「……細布子さん……?」
「“たいこ”……」
 それが、その少女の名か。自分が、息の根を止めた。
「殺したの……?」
「俺が来た時には、皆、自死していた」
「細布子さんを、殺したの……?」
 自らの首を、こんな風に斬れる人間はいない。刀に慣れたら武士でも不可能だ。まして、少女に。誰かが斬った事は明白だ。
「死に切れず苦しんでいたから、俺が……」
「……なら、良かった。もう苦しまずに逝けましたね」
 こんな風に斬ったなら、一息に死ねただろう。涙の跡が残っているが、青ざめた死に顔に苦しみの気配はない。恵は、細布子の手から短刀を抜くと、その手を、彼女の着物を握る瀑布子の手に重ねた。
「細布子さん、瀑布子さん、有り難うございます。律子様、千重子様、お休みなさいませ」
 血の中で、恵はひとりひとりに手をついて回った。ぐるりと全員に挨拶をする間に、恵は全身血塗れになっていた。
「もう、良い。もう、逃げろ。頼むから逃げてくれ」
 気が済んだと思ったか、青年は恵の細腕を掴み上げ、廊下に引き摺り出した。
「私を殺さないの?」
「殺さぬ。だが、もうじきこの屋敷に大砲を撃たねばならん。お前が一緒に死んでしまっては、此処で会津の誇りを守って死んだ者達が哀しむから……生き延びてくれ。頼む」
「敵に情けを掛けられて逃げ仰せれば、それは会津の誇りを汚す事になるかも知れない……」
 恵の瞳は、真っ直ぐに青年を見た。
「でも、貴方の中に、会津の誇りが息づいているような気がします。西郷の皆様が残された誇りが、貴方の中に」
「あぁ……私は、味方だ」
 青年が告げると、ドッと激しい砲声が響き、玄関の方から火の手が上がった。
「逃げろ、会津の娘よ。会津の誇りを胸に、どうか、生きてくれ……」
 恵は青年に、それから書斎の骸達に深く頭を下げ、裏口へ向かって走り出した。
 共に逃げてやる事は出来ない。
 青年はただ、血塗れの少女の幸いを祈る事しか出来なかった。

 長い籠城戦は会津の降伏により幕を下ろした。
 維新後数年を経て、青年は名を“川島信行”と改め、故郷から遠く離れた青森で、市井の臣を守る警察官となった。
 川島の中に、会津戦争は深い爪痕を残した。会津藩士・川島信行の虐殺に始まり、西郷邸での出来事や、若松城への砲撃など、惨たらしい多くの殺戮が、川島の心を抉った。
 会津藩が降伏し、開け放たれた若松城は、しかし、会津の民の誇りを抱き、硝煙に包まれながらも、凛と佇んでいた。




 時は流れ、明治十二年、川島は再び会津の地へ赴いた。あの戦争の頃のように、肌寒い秋の始めの事。あの日、弔う事が出来なかった西郷家の者達の墓があると知り、手を合わせたいと思ったのだ。川島がこの墓の事を知ったのはもっと以前だったのだが、参るまで時間が必要だった。少しばかり、心の整理をしなくてはならなかった。
 かくして訪れた会津にて、川島はうっかり怪我をし、診療所に運び込まれたのであった。
「……西郷様のお墓参りに、ですか」
 一頻り説明した後、健水は溜め息混じりに呟いた。
「いや、そんな事より……母さんは、その、西郷様のご家族が自害された直後にその場に来たって事……?」
「そう。あの時は君と同じくらい……いや、もう少し幼かったか」
「その後、彼女は、医者として敵味方を問わず治療をしていた自分の父親が、助けた長州の志士に斬殺されるところを目撃しています。それを最後に、会津から姿を消しました」
 健水は淡々と語ったが、その言葉の端々に、言い様のない怒りと悲しみが滲んでいた。
「え……」
「……今の話で解りました。恵ちゃんが、何故、西郷邸で自害された方々の墓参りに行かないのか。いや、“行けない”のか……」
 川島は何も言えず、じっと健水の言葉を聞いていた。
「征太郎、川島さんを、“二十一人の墓”に案内してやってくれないか」
「は、僕が? でも、母さんが……」
「恵先生には、俺がついているから」
 健水の言葉に、征太郎は思わず睨みを利かせた。健水はげんなりとした様子で、「頼む」と付け足した。征太郎が恵に寄せる愛情は、母親に対するそれを超えている。相手が誰であろうと、若い男が側にいることを良く思わない。
「少し、ふたりにして欲しい。目が覚めたら、恵先生に話したい事があるんだ」
 出来るだけゆっくりと、健水は征太郎に伝えた。誠意を見せなければ、征太郎は納得しないだろう。征太郎は健水の眼を見詰め、暫し時を置いて頷いた。
「……解った」
「有り難う。では、川島さん。松葉杖をお渡しします。多分ゆっくりなら歩けると思いますが、あまり無理せず。何かあったら、征太郎を頼って下さい」
「解りました。有り難うございます」
 川島は、包帯を巻いた足に靴を履き直し、立ち上がった。一瞬、顔をしかめた川島を、征太郎が支え、松葉杖を握らせた。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、有り難う」
「じゃぁ、行きましょう」
 こつこつと音を立てて、川島は診察室を出た。征太郎はその後ろを歩いて追った。
 征太郎と川島が出て行った診察室で、健水は恵の眠る寝台の隣りに椅子を移動させ、腰を下ろした。
「恵ちゃん……」
 なんて壮絶な経験をしたのだろう、君は。幼い頃に繋いだ柔らかな手は、すっかりささくれて傷だらけだ。
 そっと髪に触れると、前髪が流れて額が露になる。赤黒い傷が白い肌に刻まれていた。



 既に日は傾き、西の空に浮かんだ雲が、淡く桜色に染まっていた。
「征太郎君……だったね」
「はい」
 診療所を出たふたりは、並んで歩いていた。征太郎は、川島に合わせ、ゆっくりと歩いた。
「君は、幸せかい?」
「…………僕の答え如何で、貴方は楽になれますか? 貴方が一番望む言葉が僕の答えです」
「君はなかなか意地が悪いな」
 子供らしからぬ淡々とした口調に、川島は苦笑した。征太郎は小さく息をつき、足元に視線を落とす。蟻の行列が、蝉の死骸を運んでいた。
「だって、貴方は何か後悔してるじゃないですか。辛い気持ちで会津に来ているから……」
 微かな迷いと共に口にされた“後悔”の二文字が、川島の胸に刺さる。
 あぁ、総てお見通しか、と。
「あの戦争が何をもたらしたのか……あの戦争に、あの勝利になんの意味があったのか、それが解らない。もし戦争がなければ、君は親を失わなかった。彼女は惨い場面に立ち会わずに済んだ。あの日、若い女性や子供達まで自死することはなかった。それに、今、会津の人々はこんな風に苦しんではいないだろうと、考えると……」
「“もし”――」
 征太郎は低く呟いた。
「もし、幕府が倒れず、維新が成らなければ、報復を受けたのは倒幕の中枢を担った諸藩でしょう。新政府軍が北上したように、鳥羽伏見の戦いの後、土佐、長州、肥前、そして薩摩と、幕軍は攻めながら南下したでしょう。貴方の故郷は火の海に包まれ、血の海になり、城には、砲弾が撃ち込まれ、忠臣の家族は自刃する。死屍累々の惨状の中、孤児が溢れて途方に暮れる……。幕府は、遠い薩摩に医者を送らず、土地を召し上げて人々は餓えと病に苦しむでしょうね。“もし”会津戦争が起こらなければ……そうなっていたかも知れませんよね」
 抑揚もなく冷たい声で、征太郎は言い切った。
「たとえ会津戦争が起こらなくても、何処かで似たような戦争は起こると思うんです。過去に“もし”なんて考えても、せんない事です。それに……」
 征太郎は、ぐっと奥歯を噛み締め、足元に視線を落とす。長い影が、ふたりの前に伸びていた。
「普通、勝負に勝ったら嬉しいものじゃないですか。でも、貴方は全然嬉しそうじゃない……。十年以上も後悔に苛まれて苦しんでる。戦争の勝敗なんて、見せ掛けのものなんじゃないかって、僕は思います。本当は戦争に勝ちも負けもなくて、残るのは、悲しさとか空しさとか後悔とか、そういうものなんじゃないでしょうか」
 僅か十二歳の少年の横顔に、夕陽に照らされた瞳に、眩い影と淡い希望が揺れた。
 彼は一体、どんな人生を歩んできたのだろう。この十二年間、なかなか進まない復興の中で育った子供。戦場で母親が殺され、無縁の女性に育てられた彼にとって高荷恵は三人目の母親だ。
「君も、悲しみや空しさの中に生まれ、辛い想いをしたんだな……」
「……どうでしょう。僕は、不幸じゃないから」
 征太郎はすっと顔を上げた。



 長い睫毛が震え、黒い瞳に紅い光が差した瞬間、恵は弾かれたように起き上がった。
「――あのっ」
 額に触れていた手を慌てて引っ込め、健水は立ち上がる。
「恵先生、大丈夫ですか?」
「あの……私、どうして……」
「落ち着いて」
 背中を撫でながら、健水は再び椅子に座り、恵の顔を覗いた。
「患者さんが来られたんだけど、恵先生は気を失ってしまわれたんです」
「あの人は……」
「覚えのない方でしたか?」
「解らない。ただ、突然、目の前が真っ白になって、頭の中で戦争の記憶が駆け巡ったの」
 恵は両手で頭を抱えて俯いた。何か思い出せそうなのだが、思い出せない。あの人に逢った事があるのか。
「無理しないで下さい。もう少し落ち着いたら、話します」
「……征太郎は?」
 先程、健水らと一緒に帰って来た筈だ。こんな時、いつも側についていてくれるのに。
「先程の男性が行きたいところがあるそうで、案内しています」
「そう……」
 視線を落とした恵の髪を撫で、健水は目を細めた。
「どうしたの?」
「いえ……ただ、隆明兄や隆彦がよくこうしていたなと思いまして。この十数年の恵先生の事を、俺は何も知らない……それが悔しいし、不甲斐ないと思うんだけど、これからは側にいますから。少なくとも、今は側にいて、力になりたい」
「頼りにしてます、健水先生」
 恵は優しく健水の肩を叩いた。
「さぁ、仕事しましょう。患者さんが待ってるわ」
「はい」
 健水は立ち上がり、恵は寝台を降りた。健水は、本当は恵にはもう少し休んでいて欲しいと思っていたのだが、恵が言う事を聞くとは思えない。良くも悪くも、彼女は会津の人々のために働いているのが一番幸せなのだ。それを手助けする事も、自身の仕事と健水は理解している。
「恵先生が……“恵ちゃん”が幸せじゃなかったら、隆彦が帰って来た時怒られそうだ」
「大丈夫、ちゃんと幸せですから」
「知ってるけど、もっと。一緒に、頑張ろう……」
 健水は、そっと恵の手を取った。細く、骨張ってささくれた手。幼い頃は、こうして手を繋いで歩いた。恵にとって、頼もしく優しかった。兄達や、兄の親友である彼に甘え、手を引かれていると、何処まででも行ける気がした。何でも出来る気がした。彼らと歩む未来には、希望の光が差していると思えた。
「生きていてくれて、有り難う」
 恵は健水の手を固く握り返した。
「それはこっちの台詞です。でも、今度は隆彦達に言いましょう。一緒に……」
 同じ希望を抱いている人がいる。それだけで、もう、なにも恐れる事はない。



 幸せ――
 征太郎は、自分の唇の発した言葉に、一分の疑いも持っていなかった。こんな状況で、こんな生い立ちであっても、間違いなく幸いと思えた。
「辛くはないのかい?」
「辛さと不幸は同じものではありません。辛い時もありますし、悲しい事もありますけど……幸せです」
 こつんこつんと松葉杖をついて歩く川島を横目で伺い、征太郎はゆっくりと息を吐いた。
「貴方が言うように、もし会津で戦争がなかったら、僕は産みの母と今も暮らしているかも知れません。それはきっと幸せな事です。でも、育ての母に愛される事もなければ、今、あの人の側で当たり前のように生きる事もない……。僕は、今、自分が持っているものを不幸だなんて思いたくありません。逆に、僕は実の母の顔を知りませんから、その人を喪った事に深い悲しみを抱けません」
 それはさも当然と言わんばかりに、征太郎は微笑した。自分を生んだ母親に感謝の気持ちがないわけでもないし、会ってみたいと思わないわけでもない。しかし、どうしても会いたいという程のものでもない。それより、今側にいる人との時間を大切にしたい。今を生きている人達と、心を寄せ合って生きることの方が重要。そう思えるのは……あぁ、今が幸せだからだ。
 彼は、幸福と共にある。
「会津に来て……良かった。今日、君に会えて良かった……」
 空の半ばが闇に染まる頃、川島の眼からは大粒の涙が溢れ出した。
 さわさわと風は穏やかで、肌に冷たい。
 間もなく目的の場所が見えてこようという時、向こうから小さな人影がふたつ、こちらに近付いて来た。
「昴、登世子さん」
「こんばんは、征太郎君」
 やって来たのは、妹の昴と母の患者のひとりである登世子だった。
「兄さん、その方は?」
 昴に問われ、征太郎は川島を見た。そうだ、確か登世子は。
「川島さん、妹の昴と、こちらは……登世子さんといって、西郷家の方々の骨を拾ってお墓を作られた方です」
「え……」
「登世子さん、こちらは川島さん。元薩摩藩士で、今は五所川原で警察をされているんだって。西郷家のお墓に参りたいそうです」
「川島……さん……」
 登世子は川島を見上げた。雄々しく、厳めしい身体付きをしているが瞳はどことなく寂しそうだ。
 川島は、突然登世子に頭を下げた。
「登世子さん……申し訳ない。私は、西郷の屋敷に砲弾を撃ち込み、自刃なされた女性や子供達を、屋敷諸共焼き払いました」
「は……川島さん!? 何を――」
 征太郎は、慌てて川島の肩を掴んだ。すると川島は松葉杖を投げ出し、膝と額を地面に擦り付けた。
 昴と登世子は突然の事に呆然とし、理解しようと頭を働かせた。間もなく登世子は落ち着いた顔付きで、川島に向き合って道に膝をついた。
「川島さんお立ち下さい。お侍が、易々とこのような事をしてはいけません。顔をお上げ下さい」
 登世子は彼の肩に手を添えた。
「川島さん、立って下さい。登世子さんにこんな格好させないで」
 征太郎は川島の二の腕を掴んだ。川島は頷き、征太郎の手を借りて立ち上がる。すかさず、昴が松葉杖を差し出した。登世子も立ち上がると、膝を払った。
「貴方が殺したわけではありませんから、貴方が謝ることではありません。それに、貴方が私に頭を下げたところで、亡くなった人達が帰るわけではないじゃないですか。私が貴方に恨みを抱くような事はありません。寧ろ、感謝しているんです」
「え……どうしてなの、登世子さん?」
「会津戦争が終わって、西郷様のお屋敷に行ったら、そこに並んでいた西郷様や殿様の重臣方々のお屋敷が、跡形もなく焼けていました。西郷家の女性達が自刃した事は、誰かが現場に居合わせたとかで、みんなに知れていました。私は籠を背負って、西郷様のお屋敷に散らばっていた骨を集め、此処に運びました。背中で骨が擦れてかさかさと音がして、まるで何かを話しているような、話し掛けられているような……どこか、泣いているような気がしていました。でも、お屋敷は焼け落ちていたのに、遺体も焼けてボロボロになっていたのに、辞世の句は残ったんです。不思議だと思わない?」
 登世子は、昴に問う。なにも知らなければ、それは確かに不思議なことだ。しかし、征太郎はその故を知っている。そして、恐らく登世子も、何らかの理由でそれを知った。
「川島さん、貴方が持ち出して下さったんですよね? 焼き捨てられる筈だった、皆の最後の意志を」
 さっと風が吹き抜けた。吹き付けるひやりとした夜風にも、身を屈める事なく直ぐに立っている会津の人々を前に、川島は涙を流す事しか出来なかった。

 再び墓前に立ち、登世子は目を閉じた。こうして向き合うと、何度でも甦る、あの頃の思い出――
 くるくると、記憶の中に輝く。
 瀑布子や細布子ら、凛と美しい西郷の娘達。その隣りに、季子や田鶴子ら、幼い少女が無邪気に笑う。意志の強い勤勉な高荷の娘も、よく肩を並べて歩いていた。皆、細身ではあったけれど、どこか逞しく、未来への希望を瞳に称えていた。だが、時代の困難を切り抜ける力強さを携えた蕾達は、未来永劫失われてはならない会津の誇りを守るため、自らの命を捧げた。
 彼女らが守り抜いた誇りは、会津の人々の中に生き続け、ひとりの女を呼び戻した。彼女の蕾は会津で花開き、新たな時代の担い手を育てようとしている。



 花達よ、泣くことはない。
 凛々しく誇り高い、貴方達と同じ花が、ほら、生きている。
 幸せと、微笑みながら――


fin
もう二度と、永遠に、咲くことのない花たち。
決して忘れはしない。その誇り高き生き様。
そして、その笑顔を。

この物語はフィクションです。実在の人物、団体等とは一切関係はありません。

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