血の繋がりはないけれど、彼らは家族。
 幸せの形って、本当に、それぞれなんだな。


     Hopeless Resolution
   〜高荷さんちの家庭の事情〜




 明治十六年、六月。
 会津に立て続けに嵐がやってきた。天気は上々、だけど、思いがけない騒ぎが到来したのだ。



 俺の名前は健水。江戸時代から代々会津の町で医者として務めている相葉家の末裔。幕末、会津戦争で家族と死に別れた。その後、肝煎の奥内惣兵衛様に救われ、紆余曲折あって、今は高荷診療所の助手をしている。此処の先生、なんと女だ。
 高荷恵。診療所の女先生は、遥か室町から続く医師の家系で、会津藩の御殿医だった高荷家の娘だ。生前、東北の医師の間で“生ける理想”と詠われ、今や日本中の医者が尊敬するという高荷隆生先生の忘れ形見。頗る腕が良く、戦後十年経っても復興の兆しの見えない会津のために、時の福島県令が東京から呼び戻したのだ。
 隆生先生と俺の親父は昔から仲が良く、医者として共に学んだらしい。それ故、俺達子供も仲が良かった。特に隆生先生の次男の隆彦<りゅうげん>とは、親友ともいえる間柄だった。恵先生は、隆彦のみっつ年下の妹。子供の頃から可愛くて、はっきり言って、俺の初恋の相手は彼女だ。隆彦も応援してくれていた。因みに、隆彦は当時、恵先生と仲の良かった家老・山川家の常盤様に想いを寄せていた……というのは、最近になって恵先生から聞いた事だ。
 今は、診療所に通って働いているが、いずれは診療所を構えたいと思っている。助手としてではなく、恵先生と対等に並び立ちたい。
 実のところ、高荷診療所を継げば良いのではないか――つまり、恵先生の夫になれば良いのではないかと思っていた人は、会津には結構いた。恵先生のひとつ年上、年頃も合っているし、医者として会津のために尽くしたいという志は同じだ。常に近いところにいる男女の間に、そういう感情が芽生えても不思議はない。恵先生も俺を信頼してくれているのは解っているし、上手くやっていける筈だ――と思われて早五年。俺と恵先生の関係は、一向に変わらない。いや、寧ろ後退している。最初は期待していた筈の会津の人々も、いつの間にか歯牙にもかけなくなっていた。恵先生が俺を選ぶ事はないと、既に決めつけている。
 恵先生に惹かれる男はかなり多い。会津の中にも沢山いたが、この五年の間に、殆どが高嶺の花と諦めた。
 彼らにとって厄介なのは、会津の外から来る色男だ。背の高い美丈夫で、京都の老舗旅館の若旦那。しかも、八代将軍の時代から、江戸城を影ながら守護していた隠密江戸城御庭番衆最後の御頭に、史上最年少で就任したという、非の打ち所のない男だ。京都に婚約者がいるのだが、年に数回会津を訪ねてきて数日滞在する。どう見ても恵先生に気があるし、会津の人々の七割は、彼が恵先生の夫になることを期待している。俺への期待が弱まったのも、彼が出来過ぎているからだろう。
 しかし、この男・四乃森蒼紫と恵先生の関係は、やはり全く変化のないまま五年の月日が流れた。実は、まだ入り込む隙があるのではないかとか、そんな噂が流れ始めた矢先、現れたのは、蒼紫さんとは正反対の騒々しい男・相楽左之助。なんでも、海外に逃亡して、五年間掛けて世界一周しながら喧嘩をしていたらしい。意味が解らない。そして、蒙古から新潟の港に辿り着き、東京に向かおうとして会津に来てしまったという。益々意味が解らない。俺も会ったけど、見た目からして歌舞伎者、豪放磊落で掴み所のない男だった。力自慢だけあって、力仕事には率先して手を貸してくれたし、裏表なく清々しい性格だが、何しろ声がでかい。まぁ、嫌いじゃないんだけど。
「なんだか、静か過ぎて落ち着かないわね」
 二週間程滞在したその左之助が今度こそ東京に向かってふつか後、帳面に筆を走らせながら恵先生が呟いた。
「元に戻っただけなのに、変な感じですね」
 因みに、未だに敬語。距離縮まらないなぁと思うことしきり。
「静かな方が良いよ。左之助さんは粗野でかなわない」
 不機嫌そうに口を挟んだのは、恵先生の長男・征太郎。伸び盛りの十五歳。長男、といっても、血の繋がりはない。恵先生には、八人の養子がいる。その最初の子にして最年長が征太郎だ。
 高荷家を知るためには、彼らの話をしなければ始まらない。俺にとっても家族のような大事な存在だし、紹介しておこう。

 長男、高荷征太郎。十五歳。身の丈五尺八寸で顔立ちも整っているし、しかも母親が会津で最も有名な医者の恵先生とあって、若い女性の間では、婿にするには最適と早くも人気が出ている。
 会津戦争の只中に生まれ、同時に母親が戦死、通りがかりのなんの所縁もない女性に拾われて育てられたという。更に、その女性が病死し、女性の義兄と暮らすが折り合いが悪く、会津に戻って間もない恵先生が、養子として引き取ったのだそうだ。
 十年育てた女性が針子で針仕事を教わったらしくて、裁縫と縫合が抜群に上手い。後、洗濯物と天気を読む事も得意だ。計算は苦手だが読み書きは出来るし、一見すると非常によく出来た子供のように思えるが、実は何より厄介なのは、恵先生の事が大好きだって事だ。それの何が問題と思われそう――自分を育ててくれる人に懐くのは当たり前、そりゃぁそう――だが、好き過ぎても困りものだろう。どのくらい好きかといえば、最早それは恋と呼ぶに相応しい程に深い。母親を女として見て、愛情を抱いているなんて、あってはならない事だ。でも、ある日突然現れた美しい女性が母親としてずっと近くにいたら、否が応でも惹かれるだろう。男としては、正常な感情だと思う。そんなわけで、俺には勿論、蒼紫さんにも左之助にも敵意剥き出し。突っ掛かってきても、寧ろ微笑ましく思えるくらいで嫌味はないから不思議なものだ。
 二番目は、長女の昴。十四歳。腰まで伸びた柔らかい髪を、いつも丁寧に編んでいる。品の良い顔立ちをしているが、目付きが怖い……って、口に出したら怒られそうだが。
 肝煎の奥内家に生まれ、会津戦争の打撃を受けなかった別業(別荘)で育ったが、その分妬まれて苦しい立場に立たされていた。実際、医者不足、食糧不足の会津で、大きな屋敷に住み、俺という医者の卵を抱えて独占していたのは事実だ。妬む人がいるのは無理からぬ事……だが、俺が医者としての働きをしていたかといえば全くそうではないし、奥内家は主君なき会津のために働きながら、数々の辛酸を舐めてきた。そういう事を理解してもらえた今となっては、「そんな事もあったな」って思えるけど、当時、昴は相当辛い思いをしていた筈だ。両親亡き後、俺は頼りにならないし、周りの大人からは冷たい目で見られ、子供からは虐められて……。幾ら気丈な昴でも、恵先生がいなければ、生きてさえいなかったかも知れないと。そう思うと、恵先生は偉大だ。当初は無口でぼんやりしている事が多かったが、今では下の子の世話を買って出るほど働き者だ。
 征太郎の、恵先生へのあらぬ想いに真っ先に気付いたのは彼女で、しばしば辛辣な言葉を浴びせているが、当の昴は蒼紫さんに思いを寄せている節がある。しかし、征太郎と同じ轍は踏まないという思いがあるのか、蒼紫さんに側にいて欲しいとは思いつつも自分と結ばれる事は望まず、恵先生と夫婦になれと焚き付けるややこしい娘だ。征太郎の事を惨めだとか情けないだとか思っているんだろうけど、それで策を労しているところが可愛いげがないんだよ。
 三番目、次男の瀧尋。昴と同じ十四歳。長く伸ばした後ろ髪は、馬の尾のように風に靡く。頬に刻まれたふた筋の傷は、男らしさの証らしい。変に大人びた上二人に対し、単純明快で竹を割ったような、良く言えば清々しい性格をしている。左之助滞在の僅か二週間で、世界一周分のあらゆる武勇伝を聞いて、すっかり左之助に心酔している辺り、解りやすくて良いな。性格が左之助に近いんだろう。やんちゃで、頭は良くないが正義感が強くて、腕っぷしに自信がある。強さこそ全てとでもいうような。
 今はそれなりに落ち着いているが、以前は、追い剥ぎや盗みを働いていた山賊“正蓮団”で暴れ回っていた。弟分の葉月のため、正蓮団から抜けて恵先生の八人目の養子になったのは、二年前の事か。正蓮団は悪ガキ集団ではあるが、なかなか結束力は強く、それ故か瀧尋は家族思いだ。頭は良くても腕力や身体の弱い兄弟に替わり、母や家族を守るのは自分の仕事だと思っているらしい。
 明るさと真っ直ぐさが、瀧尋の一番の魅力だろう。左之助によく似たその気質を、恵先生はとても好いているように思う。
 四番目は三男の光黄。頭が切れ、話上手、いつも穏やかな笑顔を絶やさず、真面目で気が利く料理が得意で冷静な十三歳……と言えば非常に聞こえは良いが。極端な思考と執着心故に、ややこしさは征太郎や昴を上回る。
 光黄の勘の鋭さには、本当に驚かされる。時に、人の心が透けて見えているのではないかと思う程だ。どこか神秘的で、少年ながら美しささえある。
 生まれは京都、育ちは東京。実は、会津にはなんの縁もない血筋の人間だ。東京から会津に捨てられ、恵先生が保護したのだが、すぐに会津を飛び出し、東京へ戻ろうとした。しかし、偶々東北を旅していた宗次郎という青年が連れて戻り、結局恵先生の養子に落ち着いた。経緯はよく解らないけど、「僕が笑っていられるのはお母さんのお蔭」と言い、恵先生が幸せでいる事を何よりも強く望んでいる。勿論、他の子供たちにもそういう考えはある。しかし、彼女の幸せのために何か出来る力が自分にあるとは思っておらず、積極的に他人の力を利用しようとしているあたりが他と違う子供らしからぬところだろう。身体が弱いためもあるのだろうけど、蒼紫さんだったり左之助だったり、誰が母のためになるか、常に算盤を弾いているところが小憎たらしい。俺は、早い段階で省かれたようだ。で、恵先生のために自分がなにかしたい征太郎とは、度々衝突している。
 でも、なんだかんだ言ったって、歪みの中から滲み出る純粋さや哀しみに触れると、何かしてやりたいと思うし、正直可愛いとも思う。今ではすっかり、“会津の子”だ。
 五番目、次女の紫。母親を早くに亡くし、父親に育てられていた。恵先生が会津に戻ってから、長い間患者として接していた十二歳。明朗快活、お喋りと色恋話が好きな、笑顔の可愛らしい娘だが、ほんの三年前、恵先生の娘になるまでは、笑い方すら忘れてしまったような、儚げな少女だった。
 当初、多くの人がそうだったように、紫の父親も恵先生を受け入れていなかった。高い薬を売り付けられるとか、実は政府が会津を潰すために送り込んだ使者で、薬と見せかけて会津に毒を撒きに来たんだとか、悪い噂を信じていた。紫の父親は厳格というか、頑固なくせに短気で、直ぐに紫に手を上げた。紫を大切に思っていたし、悪い医者から守らなければという気持ちも強かったようだけど、何を信じれば良いのか、何が正しく、何が間違っているのかが解らず、結果として紫を苦しめていたように思う。あの親父からは、俺もかなり殴られた。昴は泣くし、恵先生は怒るし、大変だった。
 きちんと治療すれば治る病気だったにも関わらず、父親のせいでなかなか恵先生の診察を受けられなかった紫も、今はすっかり回復し、恵先生と蒼紫さん……や、左之助の行く末をワクワクしながら見守っている。父親の死を以て紫が笑えるようになったのだとしたら、それは皮肉で哀しい事だ。でも――この明るさが、本来の紫なんだろう。今は料理に家事を教わりながら、恵先生の助けになるべく奮闘している。
 六番目、四男の葉月は、生まれて間もなく“正蓮団”に拾われ、山賊になるために育てられた。正蓮団の団長である浦正が、何処からともなく連れてきた子供――というのは、瀧尋の弁。瀧尋は幼い葉月を育てるために、数々の盗みを働いたらしい。現在、十歳。やんちゃな瀧尋を反面教師にしたのか、本来の気質かは解らないが、葉月は実に落ち着いていて、どちらかというとおっとりしている。しかし、自分の言いたい事ははっきりと言う意思の強さがある。冷静で落ち着きがあり、視野の広い蒼紫さんを尊敬しているようで、昴と結託して蒼紫さんが来る度に引き留めようとする。左之助に憧れる瀧尋と反対なのは、足の怪我の所為もあるだろう。
 葉月は、左足が自由に動かない。事故で神経に傷がついたためだ。山の中での山賊稼業は最早不可能となった時、正蓮団で浦正の相方の蓮次が、恵先生に頭を下げたらしい。金は払うから、怪我が治るまで世話して欲しい、と。しかし、恵先生は、治療の条件を養子になる事とし、正蓮団を抜けさせた。葉月は今、薬師となるべく懸命に勉強を続けている。恵先生の予想を上回る早さで歩けるようになったことといい、兄弟で一番の努力家だろう。
 七番目の五男、達幸は、その出生自体が大変な騒ぎだった。忘れもしない、五年前、俺を医者にしてくれたのは彼の誕生だった。恵先生が会津に戻って最初に生まれた子供でもある。そんなわけで、俺にとっても恵先生にとっても、更には蒼紫さんや征太郎、昴にとっても、達幸の誕生は記憶に刻まれる事となった。蒼紫さんも征太郎も昴も、その現場にいたのだ。昴が後に、衝撃的だったと語ったこの一件は、幼いふたりを急速に成長させたと俺は思う。そして、どうやら蒼紫さんにも変化をもたらしたらしい。会津に来る度に、仕切りに達幸やその親の曜介とちあきさんに会いに行っていたという。恵先生は、他人に関心を持たない蒼紫さんが人を気にかけるなんて珍しいと嬉しそうに言う。しかし、自分が、蒼紫さんから物凄く気にかけられている非常に珍しい人物だということには気付いていない。そういうところが鈍いっていうんだよ。
 心配事もあったけど、達幸は順調に成長している。特に昴に懐いて毎日楽しそうだし、最近は楓の面倒まで見るようになった。利発な顔立ちは曜介譲りか。元気で腕白な会津の希望たる少年が、これからも伸びやかに健やかに育つよう、俺も頑張らなければ、と思う。
 そして、八番目の子供が三女の楓。年齢の上では八番目だが、恵先生の子供になったのは、征太郎、昴に次いで三番目だ。達幸が生まれた翌年に生まれ、誕生と同時に母親が他界したために恵先生が引き取った。しかし、生まれたばかりの乳児を育てたことがない上に、医者働きも忙しい恵先生がひとりで楓を育てる事など不可能だ。楓より一月早く桃太という男の子を産んでいた有加が乳をやり、色んな人の手を借り力を借りて育てた。楓に関しては、母親とは名ばかりで、母親らしい事は何一つ出来ていないと、恵先生は気にしている節がある。実際、どちらかといえば昴の方が子育てに積極的に参加していた感は否めないが、それはいた仕方ない事だろう。恵先生がひとりで楓を育てていたら、患者で溢れていた会津はとんでもない事になっていたはずだ。しかし、それでも僅か四歳にして「おいしゃさんになりたい」と言うくらい恵先生に憧れているのだから、恵先生が思うよりずっと、楓は恵先生の背中を見ているのだ。
 沢山の人の愛情を受けて育ち、人懐っこく、明るい娘に育った。時々、診療所を抜け出して山や川に遊びに入る危なっかしさはあるが、恵先生や兄弟達の英才教育もあって、医者としての将来は有望のようだ。

 と、高荷家はこんな兄弟達と恵先生の九人で構成されている。俺はこの家族の中には入れず、近いところで見守っている。戦後の喧騒の中で生まれてきた子供達は、孤独や絶望を嫌というほど味わってきた。捻くれたり、歪んだりしているところもあるけれど、それも纏めて可愛いと思える。一番付き合いの長い昴は勿論、瀧尋や葉月にも、愛情はある。恵先生に対しても、少年時代と変わらず見守っているつもりだ。
「これで、暫くは静かに生活出来る。仕事がはかどるよ」
 征太郎が嬉しそうに笑う。本当のところは、左之助と恵先生が仲良く笑い合っているのを見ているのが寂しかったんだろう。正直、俺も吃驚した。恵先生があんな風に明るく笑う姿を、あまり見たことがなかったから。あんな風に打ち解けて笑い合える仲間を、恵先生は東京で見つけてきたんだな。あの笑顔が見られるなら、もう少しいてくれても、俺は良かったんだけど。左之助、良い奴だし。
 そんな感傷に浸っていた時。
「ごめんくださ〜い!」
 玄関から、元気な少女の声が響いてきた。聞いた事のない声だった。
 恵先生と征太郎は顔を見合わせ、それから直ぐにふたり揃って玄関へ走って行った。俺も、後を追うように玄関へ向かう。玄関には、蒼紫さんが、若い女性を連れて立っていた。左之助が会津を発って三日。まるで、左之助の去るのを待っていたかのような来訪だ。
「四乃森さん、操ちゃん。随分急ですね、どうしたんですか?」
 大きな目と満面の笑みを湛えた口元の印象的な、可愛らしい女性。この人が、件の婚約者だということは、直ぐに解った。名前は、巻町操といったか。溌剌とした明るさや元気の良さが全身から溢れている。蒼紫さんとは正反対の性質を持っているように感じられた。左之助との方が合うのではないかと思ったが、左之助と一緒にいたら相当五月蝿そうだ。兎に角声が大きく、賑やかな女性だ。
 大嫌いな蒼紫さんが婚約者を連れてきたのだから、征太郎は内心喜んでいるのではないかと思ったが、寧ろ酷く不機嫌だった。蒼紫さんを好いている昴は、機嫌が悪くなるというよりげんなりしているようで、蒼紫さんの婚約者である巻町操孃に逢う事が、心の底から不愉快らしい。それを解りながら、恵先生は征太郎の背中を軽く叩いた。
「征、おふたりを居間に案内して頂戴。瀧はいなかったわよね。光黄とか……紫とか葉月とか、挨拶させてあげて」
「はい」
「健水君、お茶入れるから一緒にお願い」
 恵先生は、さっと一礼をして台所に引いて行った。
「……恵先生…………?」
「健水さん、操さん初めてじゃないんですか?」
「あ、そうだ」
 慌しく台所へ行ってしまった恵先生を見詰めていると、征太郎が俺の腕を叩いた。
「高荷診療所の助手をしています、相葉健水と申します」
「恵さんの友達の巻町操です。ほら、蒼紫様も挨拶して」
 まるで連れ合いのように蒼紫さんを促す。社交的ではない蒼紫さんが、初対面の俺を無視していると思ったのだろう。蒼紫さんは、硬い表情のまま俺に軽く会釈した。
「ごめんなさい、健水さん。この人愛想がなくって。私の婚約者の、四乃森蒼紫です」
「……婚約者、ね。恵先生からお噂は予々。どうぞ、上がって下さい」
 出来るだけ笑顔で言いながら、俺は恵先生と同じように征太郎の背中を叩いた。解ってる、と、征太郎が不機嫌そうに俺を窺う。



「操ちゃん……ねぇ……」
 珍しく、恵先生まで気乗りしない様子だった。台所でお茶を入れながら溜め息をつく。
「恵先生、操さんと何かあったんですか?」
 俺は隣りに立ち、耳元で囁いた。蒼紫さんだけでなく彼女も元御庭番だと聞いている。何処かに潜んでいる気がして、どうしても声が細くなる。
「そっか……健水君はあの時いなかったものね。以前、四乃森さんが操ちゃんを連れて会津に来たんだけど……昴と言い合いになって、征太郎が止めに入ったの。その時に征太郎が怪我をしたもので、そのまま直ぐに四乃森さんは操ちゃんを連れて帰ったのよ」
 そういえば、そんな話を聞いたことがあるような……。そうか、その問題児が彼女だったのか。
「昴は四乃森さんの事を気に入っているから、いつも側にいる操ちゃんが羨ましいのかも……。いつまでふたりがいるかは解らないけど、昴をよく見ていてね、健水君」
 恵先生が、俺の肩をぽんぽんと叩く。解っているのかいないのか。困った女性だ。
「解りました」
 俺は、蒼紫さんが手土産に持参してくれた羊羮を盆に乗せ、お茶を入れた恵先生と居間に向かった。居間では、ふたりの客人の他に、征太郎と光黄、紫、葉月がいた。相変わらず、征太郎は蒼紫さんに睨みを利かせている。
「お待たせしました。……昴は?」
「達幸と楓とお昼寝」
 征太郎が答えた。瀧尋は、朝から畑仕事を手伝いに出たまま戻っていない。
「そう」
 恵先生は、蒼紫さんと操さんにお茶を出した。俺も、後から羊羮を出す。
「なんだぁ、昴ちゃん、いないんだ? 折角、蒼紫様とらぶらぶなところ見せようと思ったのに!」
「あら、やっぱり何かあったのね」
 嬉しそうな声音の恵先生を横目で窺うと、光黄も同じように窺っていた。征太郎は、まだ蒼紫さんを睨んでいる。
「別に、何もない」
 意味深長な笑みを振り撒く操さんに対し、溜息混じりに蒼紫さんは言い切った。征太郎が、くすりとこぼす。
「何もなければ、ふたり揃って来ないでしょう。四乃森さんにとっては自然な事かも知れませんけど、操ちゃんには重要――なんて事もありますしね」
 恵先生は、柔らかく笑う。とても優しく、素敵な事を言っているようで、恵先生は残酷だ。気付いているのかいないのか、解っているのかいないのか……。操さんを安堵させる言葉を口にしてはいるが、子供達でさえ全く口にすることの出来ない秘密を、恵先生は抱えている。蒼紫さんが頻繁に会津に来ている事を、操さんは知らない。
「何もなくても、私と蒼紫様はらぶらぶだから!」
 らんらんと瞳を輝かせる操さんは、とても二十一には見えない。幼気で十代の少女のようだ。下手をすれば、昴の方が大人びているのではないだろうか。
「なんだ、やっぱり何もないの」
「なくはないけど!」
「ないんでしょう?」
 紫がころころと笑いながら口を挟んだ。蒼紫さんが、穏やかに瞳を細めた。
「で、本当にどうしたの? 来て頂いたところ申し訳ないんだけど、あまりお構いも出来ないの。直ぐに出なくちゃいけなくて」
「蒼紫様の御師匠様が仙台にいるんだ。それで、会いに行きがてら寄ったの」
 それも、知ってる。
「蒼紫様は結構よく御師匠様の所に来てるんだけど、私は来た事ないから」
 御師匠様の所に行く度に会津に寄ってるし、多分御師匠様の所に行かずにこっちに来てる事もある。その大半を彼女は知らないだろう。子供達は、決して触れない。隠し事の苦手な紫は口元に表れる笑みを懸命に噛み殺し、葉月はちらちらと恵先生の方を見ている。光黄は、葉月と紫を見張るように、ふたりを圧倒するような視線を送る。征太郎は、ただただ睨むだけだ。それが、操さんの感に障った。
「何よ、何であんた、蒼紫様の事睨むわけ?」
「……元々こういう顔ですよ、操さん」
「ふん、知ってるんだからね、あんたがへたれだって事も、恵さんの事が――」
「操」
 低く静かな声で、蒼紫さんが操さんを一喝する。操さんでさえ、征太郎の恵先生への恋心は知っているようだ。それを制した……ように見えるが、実際はどうだろう。単に操さんが不用意な事を言って征太郎を怒らせ、征太郎が蒼紫さんの秘密を明かされる事を警戒しているようにも思える。彼にとって、最も厄介なところだろう。
「征太郎、あんまり愛想の無い事しないの。ほら、仕事終わってないんでしょう?」
「ん……解った」
 征太郎は渋々立ち上がる。
「僕も、午餉の支度をしないと。ついでに夕餉の仕込みもするから、手伝って、紫。お客様が来てるんだから、腕を奮わないと」
「有り難う、光黄。昼は戻らないけど、後は任せるわね」
「はい」
 光黄は歯切れ良く答えた。
「光黄って、素直で可愛いなぁ。征太郎とは大違い」
 自分を誉めた操さんに、明るく笑顔を残して出て行った光黄に苦笑した時、蒼紫さんと目が合った。知る人ぞ知る、光黄の裏の顔。彼女は知らずにいてくれた方が有り難い。
「恵先生、もう出ますか?」
「うん、少し遅くなるから、急患があったら征と昴に手伝わせて」
「はい、行ってらっしゃい」
 恵先生は、小走りで診療所を出て行った。
「客間に布団出しますから、少し休まれては如何です? 長旅お疲れでしょう」
 俺は、出来るだけ丁寧に言った。ふたりが連れ立って会津に来た理由はさっぱり解らない。恵先生も敢えて触れようとはしなかった。
「何か、手伝う事ある?」
「操、お前は少し、休ませてもらっておけ」
「疲れてないよ、蒼紫様」
「良いから」
 有無を言わせぬ威圧的な物言いの理由は解らなかったが、「夜まで体力を残しておけということかな」と軽く言っておいた。征太郎達がいる前では絶対に言えないが。操さんは嬉しそうににやにやし、蒼紫さんからは睨まれた。
 客まで布団を敷いていると、操さんはあからさまな溜息を零した。
「お疲れですか?」
「そうじゃないけど。健水さんって、恵さんの事好きなの?」
「好きですよ。大事な先生なんで。俺の親友の妹でもありますし」
「そうなんだ? じゃぁ、健水さんと恵さんて、付き合ってるの?」
 目を見開き、操さんは俺に詰め寄ってきた。俺は咄嗟に枕を差し出し、操さんと距離を取る。
「そうじゃないけど……」
 本当に、紫のようだな。若い女子は、こういう話が好きなのだろうか。色恋や噂話。
 好きか嫌いかと問われれば、当然好きに決まっている。恩も感じているし、隆彦の大切な妹であり、俺にとっても初恋の人であり、会津に欠かせない大切な人だ。この感情を恋と呼ぶことが相応しいかどうかなど、俺には解らない。
 操さんに布団を敷いて休ませ、葉月と薬を煎じていると、蒼紫さんはその傍らで本を読んでいた。頁を捲る手が遅い。何処かぼんやりとしている様子だった。
「蒼紫さん、相楽左之助は知っているんですよね?」
「あぁ」
「左之助が帰って来た事もご存知で?」
「帰国したのか? それは聞いていない」
 本から顔を上げ、こちらを見た蒼紫さんの表情は、確かに、微かな驚きが見えた。本当に知らなかったようだ。
「来たのは二週間くらい前……だっけ?」
「うん。うちに来た。東京に行こうとしたら迷ったとかで。それで、会津の事色々手伝って東京へ行った。帰ったのは三日、四日前」
 蒼紫さんは、そうか、と短く答えて、また本に視線を戻した。
「てっきり、左之助が帰ってきたから、恵先生の様子を見に来たのかと思いました」
「だとして、操を連れてくるか?」
「ですね」
 しかし、まぁ、左之助が帰ってきたから様子を見に来た、というところは否定しないわけか。気付いているのかいないのか。
「俺は、蒼紫さんが来てくれて嬉しい。ずっといて欲しい」
 葉月はいつになくうきうきとしていて、作業の手も早い。さっさと作業を終わらせて、蒼紫さんと話がしたいのだろう。俺一人でやるからと言いたいところだが、今日は兎に角煎じる薬の量が多い。一週間前に建築現場で倒壊事故が起きた時に、薬を大量に使ってしまった。左之助や浦正達のお陰で死者は出ずに済んだが、怪我人は多かった。作り置きしていた薬を使い、血止め薬は底を尽きたし、痛み止めも殆ど残っていない。炎症を抑える薬も大分使ってしまった。時間のある時に一気に作ってしまおうと葉月とふたりで決め、左之助が出て行って落ち着いた今の内に作業しようと思っていたのだが。
「蒼紫さんも、手伝って。出来る?」
「あぁ」
 葉月の言葉に、蒼紫さんは頷いた。
 しかし、蒼紫さんに手伝ってもらっても、作業は夜半まで続いた。途中で夕飯を食べ――操さんは熟睡していて、起きてこなかった――、達幸や楓に蒼紫さんを取られている間は葉月とふたりで作業を続けた。子供達が寝る時間になり、今度は蒼紫さんとふたりでの作業となった。
 日付の変わる頃、漸く総ての薬を作り終えた。
「有り難うございます、蒼紫さん」
「いや。大した量だな」
「葉月が手伝ってくれるから、随分楽になったんですよ。征太郎や昴に手伝ってもらっていた時期もありましたけど、一番大変な時期を、俺と恵先生ふたりで乗り切ったんです。毎日深夜まで治療に駆け回って、朝まで薬を煎じて、日が昇ったらまた駆け回って……」
 休まず働き続けて、お互いに身体を壊したり身動きが取れなくなったりもした。これではいけないと、自分の身体にもお互いの身体にも気を使い合い、つい頑張り過ぎてしまう性分を、抑制しあうようになった。恵先生が、恵先生を補助する俺が、動けなくなっては会津も終わりだ。そんな意識を持つようになって。
 俺は、部屋から縁側に出てぐっと伸びをした。真っ黒な空に、細い三日月が浮かんでいる。一仕事終え、達成感と充足感で身体が軽く感じられた。恵先生は、未だ戻らない。いつもの事だけれど。
「そういえば、蒼紫さんて意外と子供がお好きなんですね」
 ふと思い立って、そんなことを聞いてみた。蒼紫さんは、不思議そうに俺を見る。
「…………?」
「達幸とか葉月とか、紫や昴もそうですけど、みんな懐いてるし、蒼紫さんも可愛がってくれているから。最初に逢った時は表情もなくて、何考えてるか解らなかったけど、今は――今も表情は少ないけど――なんとなく感情は伝わってきていますよ」
 表情が然程変わらなくても、笑っている、喜んでいる、傷付いている、怒っているといった感情の変化はぼんやりと解るようになってきた。恵先生なら、もっとはっきり解るのだろう。
「高荷や、お前たちのお陰だ……健水」
「え……」
 “健水”。はじめてこの人に名前を呼ばれた。殆ど口を利かないので、時折「お前」などと呼ばれるくらいだったというのに。
「会津は、居心地が良い」
「なら、ずっといれば良い。昴や葉月も喜ぶ」
「征太郎は嫌がるだろう」
「その内諦めもつくはずだ。何だかんだと言いながら、征は間違いなく蒼紫さんを認めてる」
 悔しいだけだ、余りに優れていて、ひとつも自信を持って勝てると言えるものがないから。征太郎だって本当は知っているのだ。自分の恋心が成就しないことなど。解っているから、余計に悔しいのだ。後は、時が解決してくれる事を信じて待つしかない。
「お前は?」
「ん?」
「健水は、俺が此処にいても、構わないのか?」
 “此処”は、“会津”ではなく“高荷診療所”を指しているのだろう。
「……結局、俺も光黄と同じ事を考えているのかも知れない。恵先生を一番大切に、幸せに出来る人なら、誰でも構わないんですよ。蒼紫さんだろうと、左之助だろうと、緋村剣心だろうと」
「相楽左之助は……変わりなかったか?」
「変わりも何も、初めて会った人だから。でも、恵先生の反応を見ていると、変わりないんじゃないですか。まるで昨日も会った友達のようでしたし。左之助とは、仲が良かったんですね。あんな恵先生を見るのは初めてでしたよ」
 安心感のある男だからだろう。誰とでも自然に打ち解け、嫌味も恐れもない。瀧尋など、殆ど一目惚れのように左之助に心酔してしまったし、俺も下らない事を言って笑い合う間柄になった。僅か二週間で。
 そうか、と呟いた蒼紫さんの、小さく笑うような穏やかさに、微かなざわめきが混じる。
「ところで……なぜ、今回は操さんを伴われたんですか? 正直に言って、厄介……でしょう」
 言葉を選ぼうと思っても、率直に、その言葉しか出てこなかった。だって、厄介だろう。この際、蒼紫さんが恵先生をどう思っているかとか、そういうところは別にして。以前もめた事実があるから、操さんを連れてきたくなかったというのは解る。でも、蒼紫さんが来るとなれば操さんが来たがるだろうから、今まで黙っていたのも勿論解る。だけど、恵先生は此処にいる。結果として、蒼紫さんは婚約者である操さんに黙って別の女性の元に通っていたことになる。そのつもりがなくても、そう捉えられても仕方のない状況になっている。そんなところへ、婚約者を連れてくるなんて、厄介以外の何物でもない。……というのは、一般論だと思うのだが。
「操が仙台に行きたがった。それだけだ」
「御師匠様に逢いたがったわけですか。で、折角だから恵先生にも逢いたいと言い出した訳ですか」
 ふむふむと頷いてはみたけれど、蒼紫さんは何も言わない。或いは……蒼紫さんが提案したかだな。「会津に寄って行くか」と。どちらにせよ、操さんが仙台に行きたがった故には、自分が蒼紫さんの婚約者である事を、周囲に認識させて後押しを促そうという打算が見え隠れしている。それを、蒼紫さんはどう捉えているか……。
「操さんは、二十と一ですよね。そろそろ答えを出してあげるべきじゃないですか?」
 俺が言った直後、蒼紫さんはさっと顔を上げ、診察室の入り口を睨み、俺に掌を向けた。喋るなという合図だと解り、俺は咄嗟に口を噤んだ。暫しの沈黙の後、バタバタとけたたましい足音が響いた。その音は、瞬く間に近付いてきたかと思うと、ギュギュギュッと床をこする音を立てて止まった。操さんだった。
「操ちゃん、静かにして頂戴。もうみんな 寝てるのよ」
 操さんが顔を出した直後、壁の向こうから、低く潜めた声が聞こえた。恵先生だ。
「もうそんな時間? どんだけ寝てたのー」
「しぃーっ」
 恵先生が、操さんを押し込むようにして部屋に入ってくる。俺は立ち上がり、恵先生に駆け寄った。
「お帰りなさい。疲れてる?」
「……少し」
「相当ですね」
 恵先生の手から応診用の鞄を受け取り、額に触れる。身体が火照っているようで、ほんのり熱い。
「休みますか?」
「ううん、折角だから、少しだけ……」
「ですね」
 俺は恵先生を縁側に導き、座らせた。程好く涼やかな風が、疲れた身体を癒す。
「恵さんと健水さんて、本当に仲良いねぇ」
 操さんが、恵先生の隣りに腰を下ろした。
「幼馴染みだし……今は、医者として一番信頼してるもの」
「へぇ……初耳」
 半ば茶化すように口を挟むと、恵先生はくすくす笑う。俺は恵先生の鞄から、患者さんの事を書き留めた帳面を出し、灯りをつけた。患者さんの容態や処方した薬は勿論、他愛もない話まで細かに記している。俺と恵先生はそれぞれに帳面を持ち、あらゆる状況を書き留める。お互いに同じ情報を持つようにするためだ。
「なんだかんだ言って、恵さんと健水さんは実はらぶらぶなんじゃない。ねぇ、蒼紫様?」
「そんなこと無い。医者だからだ。俺は、医者として恵先生を尊敬してるし、恵先生がいなきゃ、会津はどん底だ」
「でも、恵さんだって医者として駄目なとこもあるじゃない?」
 操さんの言葉に、俄に険が籠る。
「恵さんだって、間違うことあるんだから」
「そりゃ、人間だからね。でも、重大な誤診は聞いた事がないよ」
「あー……健水君、私、東京で重大な誤診をしたのよ」
 恵先生が弱々しく手を挙げた。えっ……それは、なかなか信じられないな。
「そうそう、死体人形を薫さんだっていうから、薫さん死んじゃったと思った」
「死体人形……?」
 なんだそれ。
「死体から人間そっくりの人形を作る外法があって、私達の友人の薫さんが殺害されたように見せ掛けられたの」
「ちょ……全然解らないんだけど、えっと……兎に角、人間の身体から造った“薫さん”そっくりの人形? それって、どの程度の出来なんですか?」
「見た目には解んない」
 操さんがむくれながらも、さらりと答えた。
「どうやって人形だと判明したんですか?」
「蒼紫様が斬ったら、骨の代わりに縄とか棒とかで繋いであって」
「蒼紫さんは、見た目で解ったんですか?」
「いや……それまでの経緯を聞いていると、不自然な点も幾らかあったし、そういう外術がある事は知識として知っていたから、可能性は高いと考えた」
 普通、そんなことがあるなんて考えない。蒼紫さんが特殊な環境で生きていたがために偶々知っていたに過ぎないのだから、恵先生の重大な誤診というには、余りに乱暴ではなかろうか。
「まぁ、同じことは起こらなそうで良かったです……」
 としか、言いようもないだろう。
「解んないよー。もし、征太郎の死体人形が現れたら、また間違えるかも知れないじゃない」
「それは、大丈夫。そんな事絶対にないわ」
「ですね。そんなことが出来る人間がそうそういるわけもありませんし」
 自信満々に微笑む恵先生に賛同する。しかし、
「そうじゃなくて。どんなに精巧に作られていたとしても、私が征太郎の事を間違えるわけないじゃない。昴や、他の子供達でもそうだけど。仮に同じことが起こっても、もう絶対に間違えないわ」
 あぁ……もう、この人は。
 この人は、なんて。
「すっげぇよ、恵ちゃん」
 流石、隆生先生と清加様の娘、隆明と隆彦の妹。愛情深い人々に包まれて育った、最高の会津の娘。屈託のない笑顔が、少女の頃のあどけなさを滲ませていて、俺は思わず腕を伸ばし、恵ちゃんの髪をくしゃくしゃと撫でた。
「征太郎達が聞いたら、泣きそうだな」
 蒼紫さんが呟いた。
「絶対泣くだろう」
「ふふ、まぁ、それはさておき。背負うものが大きくなったからこそ、もう同じ轍は踏まないわ。私は医者として、最善を尽くせるように……それだけよ」
 言いながら、恵先生はふらりと立ち上がる。俺も腰を上げ、恵先生を支える。
「うん、大丈夫。今日はもう休むわね」
「ん、お休み」
 恵先生は、静かに寝室へと消えていった。
「やっぱ、恵さんの事好きなんじゃない」
 からかうように、操さんが囁いた。

 そうじゃない。そうじゃなくて――

 横目で伺った蒼紫さんの眼に、月が光と影を落とす。
 暗い瞳に、微かに宿る光は、何かの決意を灯しているかのようにも見えた。



 恵先生に子供達、俺も含めた会津の人々、それから蒼紫さんに、左之助に操さん……。
 さて、これからどうなることやら。
 ややこしくって愛おしい高荷家を、俺はこれからも側で見守っていたよう。


fin
生きるか死ぬか。
今、死ぬより。
明日死ぬかも知れなくとも、今を生きる。



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