1/2〜左之助編〜

 神様は何も禁止なんかしてない。
 “愛してる”――


   1/2


 別になんか用事があるって言うわけでもなかったんだけど、なんとなく、小國診療所に寄った。神谷道場で飯でも食おうと思って行ったら、出稽古で誰もいなかったから、なんとなく。まぁ、あの女狐――高荷恵に飯でも食わせてもらおうと、そんな感じで立ち寄った。

 小國診療所の医者・小國玄斎は、俺が玄関を開けると、妙に嬉しそうに――どっかほっとしたように――にこにこと笑いながら駆け寄ってきた。
「丁度良いところに来たのう。儂はこれから往診なんじゃが、恵君が身体を壊して奥で寝とってな……多分、疲れが出たんじゃろう」
 じいさんは早口で説明した。どうやらこのこの十日働き詰めだったらしい。確かに、ひっきりなしに来る患者を世話していたし、この二、三日、町で“診療所の女医者”が話題になっていた。僅か十日で街中に知れ渡る程働いた――つまり、過労だ。
「それはそれで、医者としてどうなんだよ」
「嬉しかったんじゃろう、医者として働けることが。儂には、楽しくて仕方がないというように見えたよ」
 そういうものか。……あいつ、医者として生きられなかったばっかりに死のうとしたんだよな。人の命を救うはずの医者が、人の命を奪い、毒の薬ともなりうる阿片をばら撒く罪に加担したために。ま、俺もそれを責めたわけだが。
「休ませてやりたいが、往診には行かねばならんし。暫く留守を頼んで良いかの。ただし、恵君が休んでいるからって、手を出したらただじゃ済まんぞ」
 言いながら、じいさんは俺を見たこともない形相でにらみつけた。「良いな」と念を押され、解ったと答えた。誰が出すか、あんな女狐……。あのじいさんも、すっかり恵を気に入ってるらしい。俺の返答を聞いて、じいさんは慌しく出て行った。
 で。俺は、恵の寝間を開けた。恵は布団に横たわり、寝息を立てていた。眉間に深い皺が刻まれ、額には玉のような汗が浮かんでいる。
「恵」
 思わず声を掛けた。只事とは思えない。息苦しそうに喘ぎ、魘される様は、今にも呼吸の止まりそうな程に痛々しい。
「恵」
 肩に手を掛けると、触れた頬は酷く熱い。大丈夫かよ、本当に。なんかヤバイ病気とかじゃねーだろうな。
「恵、おい、恵!」
 軽く揺すると、恵ははたと瞼を開いた。焦点の合わない瞳が、頼りなく俺に向けられた。
「恵……?」
 恵は怪訝な顔つきで俺を凝視した。
 まるで、初めて見るものに向けるような視線。
 なんだ、こいつ? そう思った直後、俄かに恵は身体を起こし、俺から離れた。
「ここは……?」
「は?」
 寝ぼけてんのか? それとも、本当に忘れちまったのか?
「相……楽……左之助……」
「おう……どした、恵?」
 ……忘れたわけではなさそうだけど。夢をみていたのか。夢に魘されてて、いきなり起こしたから、まだ夢の中にいた気分なのかも知れない。起こさないほうが良かったか? けど、あんな険しい顔で魘されてたら、誰だって起こしたくもなる。少なくとも、良い夢を見ていたわけではないのだろうから。
 細く白い首を、汗が流れ落ちる。恵は汗を拭いつつ寝巻きの胸元を寄せて、静かに息をついた。
「なんでもないわ。それより、あんたはどうしたの?」
 あ、誤魔化しやがった。いつもの恵だ。極めて冷静に俺を見据える視線。可愛げがない程に落ち着いている。
「たまたま近く来たからよったんだよそしたら、お前が身体壊して寝込んでるって言うしよ。じいさんは往診があるってんで、留守番任されたんだ」
「……玄斎先生ってば」
 恵は困ったように息をついた。どこか、呆れているようにも見える。あー、そらそうか。こいつは身体壊して寝てるわけで。俺は男で、こいつは一応女で、しかも誰もいないわけで。つまり、こいつは俺が無理矢理犯すんじゃないかと心配でもしてるわけか。ったく、女狐相手に欲情するか。っつーか、あんな顔で魘されてたら、それどころじゃなくなる。それに、
「お前が休んでるからって、手を出したらただじゃすまないって、すげー形相で睨まれた。まだ十日だっつーのに、すっかり父親面してんな、あのじいさん」
「…………そう」
 あっという間にじいさんが気を許すほど、あっという間に街中で噂になるほどの女。しかも女が医者やってるからって馬鹿にするんじゃなくて、ただ(それなりに)美人だからって男共が鼻の下伸ばしてるだけでもなくて、腕が良いとか、子供を助けてくれたとか、医者として評価されてる。最初に逢った時みたいにたぶらかしに掛かってるわけじゃなく、これが本当の“高荷恵”ってわけか。
 父親、なんて自分で言って、自分で感心しちまったけど、当の恵は深く俯いて、落ち込んでいるようにも見える。
「ねぇ、私はもう大丈夫よ。有り難う。悪いけど、今日は帰ってくれない? 何か食べたければ、台所の戸棚に頂いたお菓子があるから」
 さっさと帰れと言わんばかりだな。悪いこと言ったか。それに、留守を頼まれてるからって訳じゃないけど、今のお前を放って帰る気にはなれねぇな……。
「お、邪魔か?」
 俺は恵の肩を軽く叩いた。が、いきなり恵は、その手を叩いた。その勢いで、漸く顔を上げたその表情に、一瞬、心臓がざわめいた。今まで見たこともない顔をしていた。不安とか、恐怖とか、そういうものがごちゃ混ぜになって、何かに怯えているように見えた。
「……見ないで」
 無理矢理に搾り出したような震える声で、恵は呟いた。
「今は私を見ないで頂戴」
「恵……」
 と、言われてもな。「見るな」と「帰れ」と言われているけど、どうにも俺には、「ここにいて欲しい」と言っているようにしか聞こえない。今、ひとりには出来ない――本能的にそう思った。けど、兎も角顔を見るなと言われているんだから、その願いくらい聞いてやるか。
 俺は、黙って背中を向けた。
「ちょっと!」
 非難がましい口調で言われても、とても聞く気にゃなれねーな。
「残念だったな、俺はそう言われて帰れるほど素直に育っちゃいねーんだ」
「何よ、『ここにいて』って言ったら帰ってくれるの?」
「言えるもんなら言ってみろ」
 この女狐に、そんなことが言えるわけない。どんだけ気が強いんだか、意地っ張りなんだか、兎に角、こいつは厄介なくらい自分が本当に思ってることを口にしない。この十日で、俺とこいつは似てるってことは解った。こいつが強がって言うことは、ひっくり返して聞いたくらいの方が丁度良い。剣心には――日本一の剣客、緋村剣心には素直に言うくせに。素直に笑って、本当に心のそこから、ちゃんと思ってることを口に出来るくせに、俺に対してはそうじゃない。それが段々解ってきた。それに、俺も言われたことを素直に聞ける程お利口じゃねぇ。俺を馬鹿だ馬鹿だと言うけど、おめぇも大概馬鹿なんだよ。
 迷っている空気だけは、感じる。お前には気まずいかも知れねーけど、本当にひとりでいる方がお前が安心できるって言うんならとっくに帰ってる。だけど今日は、そうじゃねぇだろ。
 小さく、息を飲む音が聞こえた。かと思ったら――いきなり、恵は背中に寄り掛かってきた。咄嗟に、振り返りそうになったが、それを制するように恵は俺の服を掴んだ。何の冗談だよ。
「恵……?」
 くそ、流石にその嫌がらせは読めなかった。
「ごめんなさい……」
 恵の声は、さっきの“見ないで”と同じように、震えていた。
「少しだけ……」
「あぁ……」
 そう答える事しか出来ず、取り敢えず座り直した。
 嫌がらせじゃなくて、本当に俺の背中にすがってる。この気の強い女が。何かの間違いじゃないかと思ったけど、背中に感じる重みと体温が、間違いでも夢幻でもないと俺に知らせる。こんな恵は、初めてだ。
 腰に覗く手は、声と同じで微かに震えていた。あれ、こいつの手って、こんなだっけ。長い指。骨張った手。白い手の甲に、青白く血管が浮かんでいる。指先は赤くささくれ立って、よくよく見ると、小さな傷や痣もある。古い傷だ。会津戦争でついたものかも知れない。俺のダチを殺した、阿片を作った手。けど、ほんの十日で誰からも認められる程に人を救うことの出来る手。齢二十二、男だってそんな年で、一人前の医者にはなれない。今はこの診療所で助手をしているとはいえ、経験豊富なじいさんから“薬学の達人”と称される知識と、街で早くも“縫い針小町”の異名をとる技術。身につけるために、ガキの頃から相当の努力をしていたはずだ。一朝一夕で身につくようなもんじゃない。
 ……すげーよ。
 背中に伝わる熱が、俺の体温を上げる。こいつを傷つけるようなことを言ったりもしたけど、今ではちゃんと認めてる。本物の医者だ。立派な医者だ。でも、こんなに細くて、脆い。
 何でだろう。この手を握り締めたいと思った。出来れば今すぐにでも振り返って、その顔を見たいと思った。いきなり湧き上がってきた衝動を、抑えることで精一杯だ。
 恵の手が一瞬開かれ、もう一度握られる。ほんの少しのそんな動きさえ、俺の衝動を揺さぶる。おいおい。
「好き」
 恵の声が、そう言った。
 …………は?
 今、なんつった? ヤバイ。すげー、熱い。今、こいつ、なんつった?
「私……好きだわ」
 “好き”っつった? 言った。間違いなく、言った。ちょっと待てよ。覚悟出来てなかった。こいつから、そんな風に思われるなんて、考えてなかった。けど、わりぃ、じいさん。我慢出来な――
「剣さんの事が」
 ……ん?
「剣さんが、好き」
 まるで初めての打ち明け話のように、意を決した風に恵は言う。いや、お前、それはないだろう。
「知ってる」
 肩の力が急に抜けて、溜息と一緒に吐き出した。そうは言ってみたけど、本気だったんだと、今、知った。最初は剣心の奴たぶらかして逃げようとしてたんだろうし、ついでに譲ちゃんをからかってたんだろうと思ってたけど、こんなに声震わして、打ち明けるほど本気だったのか。っつーか、本気で動揺した俺が馬鹿みてーじゃねぇか。
 恵は、俺の服から手を離し、背中から身体を離しかけた。けど、俺はその手を捕まえた。背中が急に軽くなったのが、なんだか落ち着かなくて、思わず。華奢な手。多分、その気になれば簡単に折れる。着物の袖から覗く手首も細くて、今振り返って押し倒したって、きっと抵抗なんか出来ないだろう。でも、そんなことする気にもなれなかった。こいつは、剣心に惚れてるんだ。
「まぁ、暫くそうしてろ」
「天の邪鬼!」
「おめぇもな。……で、どうした?」
 可愛げがねぇ女だ。でも、一瞬の間の後、観念したのか、もう一度背中にもたれかかってきた。背中にまた熱が宿る。
「こんな気持ちは初めてなのよ。剣さんが好きで……」
「二十二にもなって、初めてとは……意外と乙女だな」
「煩いわね!」
 ってぇ。殴りやがった、この女。ホント、気の強い女だよ。けど、思いがけず、自分がほっとしてることに気付いた。“初めて”だという、その言葉に。いや、この年で経験ないっつーのもどうかと思うけど、寧ろ、良いんじゃねーかと思えた。
「良いじゃねぇか。仕方ねぇのも解るしな」
 会津戦争で家族と分かれて、年頃になるまでひとりで生きてきたんだろ。医者の勉強しながらなんて、並大抵の事じゃねぇ。けど、東京に出てきてからは、阿片を作り続けてたわけだ。こいつを軟禁して阿片作らせてた武田観柳が手を組んでたっつー医者がどんな奴かは知らねーが、ろくな奴じゃないってのは想像がつく。この気丈な女が、そんな男に惚れるわけもねぇ。その後は、観柳とその私兵。仕方ないとしか言いようがないだろ。
 恵の手に力がこもった。
「剣さんを、守りたい」
 独り言のように、恵は呟いた。何を言い出すかと思えば、なんつー突拍子もないことを。剣心を守るって、あいつは日本一の剣客だぞ。
「もう、失いたくないわ」
「剣心を“守る”って?」
 “失いたくない”、だから、“守りたい”か。もう、ってことは、前にも誰か失ってるって事か? あぁ、会津戦争で親父さん亡くしてるんだっけな。有名な医者の親父さんの意志を次いで立派に医者になっ――そうか、医者なんだ、こいつ。
「そいつはまた……」
 すげー話に思えたけど、こいつは医者なんだから、
「そいつは……お前にしか出来ないかもな」
「は?」
「剣心の命守るなんて、医者のお前にしか出来ねぇだろ」
 つまり、そういうことなんだろ。俺が笑うと、背中の女は急に大人しくなった。
「馬鹿……」
「他に言うことねぇのかよ」
 恵は無理矢理俺の手を振り解き、手を引っ込めた。ったく、意地っ張りな女だ。
「けど……だとしたら、こんなところで止まっている場合じゃないわね……」
「休まなきゃいけないときはしっかり休んどけ。倒れたんじゃ、話になんねぇからな」
「そうね……」
 くすくすと笑い、恵は小さく息をついた。背中に掛かる重みが増した。
 俺は黙って、背中の熱を感じていた。少しずつ、自分の鼓動が早まるのを感じながら。背中に恵の心臓の音が響くみたいだ。俺の鼓動とぴったり重なるようにドクドクと音を立てている。なんか無性に振り向きたくなった。恵の顔を見たい。取り敢えず、笑ってる顔が見たくて。
「……恵」
「…………」
 無視か。
「おい、恵」
 しかし、返事はない。ムカついて黙ってみると、すーすーと寝息が聞こえ始めた。寝たのか? 身体を捻って背中を覗くと、恵の身体が傾いた。咄嗟にそのまま振り返り、抱き止める。
「ん……」
 微かに声を漏らしたが、起きる気配はない。仕方なく、そのまま布団に寝かせた。
 本当に疲れてるんだな。っつーか、もしかしたら、寝てねぇんじゃねぇか? もしかしたら、夜も魘されていたのかも知れない。さっきの魘され振りには驚いた。その上「ここは?」だ。観柳のとこにいた夢を見て、今自分がいるのがどこかも解らなくなって……更に働き詰めじゃ、身体も壊す。危なっかしい女だな。
 ほっとけない。
 何だ、この感覚は?



 日が傾き始めた頃、「ただいま」と玄関で声がした。
 恵の事は、もう大丈夫だろう。声を掛けない方が良さそうだ。今は、休ませてやろう。俺が恵の部屋を出ると、じいさんがとことこ歩いてきた。
「どうじゃ、恵君の様子は?」
「さっきまで起きてたけど、今は寝てる。休ましといてやってくれ」
「そうかい。今日は助かったよ。台所の菓子は食べたかい?」
「いや」
 俺が答えると、じいさんは笑いながら台所に向かった。
「じゃぁ、食べていきなさい」
「良いよ、もう帰るから」
 そう言ったものの、じいさんは聞こえないのか、そのまま台所へ行ってしまった。ったく……本当に帰るからな。
 玄関に足を向けて、ふと、恵の部屋に目を向ける。もう、大丈夫……のはずだ。そろそろ剣心達も出稽古から帰るだろうし、晩飯食いに行くか。剣心が居候してる神谷道場の師範代の神谷薫と、一番弟子の明神弥彦、三人で朝から出稽古に出てるが、いつもこのくらいの時間には戻ってくる。
 俺は玄関を出て、歩き出した。花見の季節は終わり、すっかり葉桜になったとはいえ、まだ少し残っている花が風に煽られてひらひらと飛び交っている。あの女狐が来た頃、丁度桜が咲き始めてたんだよな。観柳邸での一件でごたごたして、結局今年は花見が出来なかった。剣心が弁当作るっつってたのにな。あのおさんどんが最強と謳われた剣士だなんて、誰が思う。とてもそうは見えない。寧ろそれが良いんだろうけど。強い上に優しい、あの意地っ張りの女を素直にさせる程に。とてもじゃねーが真似出来ない。
――剣さんが好き。
――剣さんを守りたい。
 今にも泣き出しそうな程に震えた声で呟いた言葉が、頭の中で繰り返される。二十二だぞ、あの女狐。くそ、何でイライラすんのかも解んねぇ。
「薫ー、今日、赤べこで食って行こうぜ」
「何よ、燕ちゃんに会いたくなったの?」
「ちげーよ!」
「ふふふ、でも、良いかもね。ねぇ、剣心?」
 川沿いを歩いていたら、向こう岸から賑やかな声が聞こえてきた。剣心と嬢ちゃんと弥彦だ。嬢ちゃんは、剣心を振り返った。弥彦に向けるのとは全く違う顔。ったく、解り易過ぎるな。嬢ちゃんは、剣心に惚れてる。女狐と同じように。屈託のない、明るい表情。そういや、あの女狐も、剣心とふたりになるとあぁいう顔することがあるんだよな。意外だけど、それだけ、剣心に惚れてるってことなんだろうな。妙な感じだ。剣心と話す嬢ちゃん見てたら、恵の事が思い出される。俺の前じゃ、絶対しねぇ表情。それを思い出すと、なんか、腹が立つ。
――剣さんが好き。
 あぁ、そうかよ。
 嬢ちゃんはちょこちょこよく動く。何かする度、剣心が笑い、嬢ちゃんも笑顔を見せる。ここに恵がいなくて良かった。恵が見て嬉しい光景じゃないってことくらい、俺にも解る。
 なんとなく眺めてたら、弥彦がこっちを見た。俺に気付いたらしい。
「お、左之助ー、恵ー!」
 声を張り上げて、手を振る。……恵?
 振り返ると、恵がいた。手になんか包みを持って、穏やかに微笑む。なんつー間の悪さ。
「……どうした? 起きて大丈夫か?」
「ええ……お蔭様でね。さっきはありがとう。お菓子も食べずに帰ったって言うから、お礼に持ってきたわ」
 じいさんが言ってた菓子か。受け取ろうとすると、今度は剣心が声を掛けてきた。
「左之ー、恵殿ー、夕餉を食べて行かぬでござるかー?」
「大好きな剣さんがお呼びだぜ」
 俺を伺うように視線を上げた恵に言うと、恵は明らかに不機嫌そうに顔を曇らせた。……別に悪気はねーし、嫌味のつもりもねーんだが、どうにも俺はこいつにこういう顔をさせる。
「これから赤べこに行くのー。一緒に行きましょうー!」
 今度は、嬢ちゃんだ。俺がそちらを向くと、恵は「お互い様でしょ」と吐き捨てた。
「私はいいわ。今日は仕事が出来なかったから、色々やることあるし。はい、これ。みんなで食べなさい」
 早口でそう言うと、恵は俺に包みを押し付ける、剣心の方を向いた。
「ありがとう。でも、ごめんなさい、仕事があるんです。またの機会に!」
 それだけ言って、くるっと方向を変えた。振り返り様に、僅かに俺に視線を流し、何かいいたげな含みを持った笑顔を向けてくる。あー、腹が立つ。
 俺はすぐ側の橋を渡り、剣心達のところへ行った。
「お主は行くでござろう?」
「いや、良いよ。明日邪魔するから、これ、預かってくれや」
 俺は、恵から貰った菓子を剣心に渡した。
「何でござる? さっき、恵殿から受け取っていたでござるな」
「菓子だとよ。明日みんなで食おうぜ。恵も連れてくからよ」
「良いでござるが……どうしたでござるか?」
「何でもねーよ。じゃあな」

 もう、大分夕陽が傾いて、川が赤く染まってる。俺は早足で、元来た道を戻った。長い髪を揺らした背中が、女にしては随分と足早に道を往く。強がり、意地っ張り、天の邪鬼。可愛げがない二十二歳。それが、妙に気になるのはなんでなんだ。さっき赤べこの話聞きながら、昨日、診療所で食わしてもらった晩飯の、鰆が旨かったなと思った。会津風の味付けは初めてだったけど、今までにない味で新鮮に思えた。あいつの作る料理は旨いんだ。剣心の料理も旨いけど、どっちかって言うとあいつの……恵の作るもんの方が舌に合う。牛鍋も旨いが、毎日は食えない。けど、あいつの作るもんは毎日でも飽きない。たった数回しか食ったことないが、そう思える。
「今日の飯はー?」
 背中に声を掛けた。
「今日は、たけの……こ……」
 恵は振り返った。普通に返事しそうになって、吃驚してこっちを見た。面白れぇ。
「左之助? どうしたの、忘れ物?」
 忘れ物っちゃそうだよな。
「お前の飯」
「赤べこは?」
「それより、お前の飯だろ」
 腹減った。それに、眠い。俺はまだ吃驚してる恵を置いて診療所に向かう。
「……日が長くなったわね」
 背中に、何気ない会話が飛んでくる。
「すぐに暑くなりそうだな」
「そうね。暑いのは苦手だわ」
「あー、お前は会津育ちだしな。俺も信州だけど」
 一応信州育ちだけど、暑いのも寒いのも嫌いだな。春が良い。寝るのに丁度良いし、心地良い。
 他愛もない話をしながら、夕陽を見る。剣心の髪の色みたいだと思ったら、後ろにいるあいつが、同じこと考えてる気がした。多分、そうなんだろうな。同じものを見ながら、同じことを考えているとしたら、気が合ってるようにも思えるけど、それがどうにも不満に思えた。でも、悔しいが――何がどう悔しいのかも解んねーけど――、剣心は夕陽ほんとに髪の色だけじゃなくて、夕陽みたいな奴なんだよな。どっか影があるんだけど、あったかくて。俺にはないもの。
 恵を、置いてゆきすぎた気がして、俺は足を止めた。振り返ると、思ったより恵は近くにいた。そりゃそうだ。置いていかれる程弱くもない。弱いわけない。剣心を守ろうって女だ。
「どうしたの?」
「……お前が剣心を好きなの、なんか解るな」
 また、恵は顔をしかめた。しかし、すぐに呆れたように肩を竦め、俺の隣りに並ぶ。ふたりで歩き出すと、少し、ほっとした。
「ま、お前みたいな跳ね返りじゃ、難しそうだけどな」
「ふん」
 恵が俺の脇腹を小突いた。
「ってーよ。この女狐」
「五月蝿いわね。タダ飯食べに来るくせに」
「昼間世話してやっただろ」
「それは昨日、一昨日のお礼かと思った」
「女狐」
「語彙が少ない」
「るせー」
「筍、信州風に炊いてあげる」
「会津風で良いって。あれ、旨い」
「天ぷらにしようかしら」
「それも良いな」
 言うと、恵は笑った。やっと、笑った。
 殆ど太陽が沈んで、東の空に星が光る。恵の頬に、細い光を投げ掛ける。
 吹き抜ける風が桜の名残を撒き散らして、なびく長い髪に花びらが絡んだ。とってやろうと手を伸ばすと、指先が頬に触れた。星明りの中、桜色に染まった頬はあったかくて、やっぱり同じ早さで脈打っている。
 なんだ、ちょっとはイイ女じゃねぇか。



 お前は俺のダチを死に追いやる薬を作った、悪人。
 だけど、懸命に償うお前を、誰が責められる。神や仏だって、責めやしない。
 跳ね返りながら直向に生きるお前があいつを想う事を、誰が禁じられる。

 もう、誰もお前を責めたりはしない。
 
神様は何も禁止なんかしてない。
直向な人間を、誰も責めたりはしない。
穏やかであって、構わない。


INDEX

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