医の道を飛ぶが如く

 任せて、私、貴方を助ける。
 信じて、今度は、私が救って見せるから。


   医の道を飛ぶが如く


 時は明治十一年、初夏。所は東京――

「恵姉、どうしたの?」
 街の片隅に小國診療所という小さな診療所がある。早朝、そこに勤める女医・高荷恵は、診療所を構える医者・小國玄斎の孫娘のあやめに声を掛けられ、はっと顔を上げた。
「……私、またぼぉっとしてた?」
「うん」
 あやめはあどけなく頷いた。
「御免ね」
「ううん」
 何も解っていないのだろうか。恵はほっとして、あやめの頭を撫でた。
「恵姉……剣兄達は、いつ帰って来るのかなぁ?」
 あやめが丸い瞳で恵を見詰める。詳しい事情は解っていないのだろうけれど、恵がぼんやりしている理由が旅立った人々の事を考えているからだと、あやめは理解している。恵は奥歯を噛み締めながら笑顔を作った。
「剣兄達、帰って来るよね?」
「……勿論よ」
「剣兄達、強いもんね。それに、怪我しても絶対恵姉が治すよね?」
「当たり前でしょう」
 恵は、あやめを抱き寄せた。頬を小さな頭に擦り付けると、あやめはきゃっきゃっとはしゃぎながら、恵の腕の中で足をばたつかせた。この少女は、自分の慕う人々が戦いに身を投じている事を理解している。その重さまでは理解しきれなくとも。
「また遊んでもらいなさいね」
「うん!」
 あやめは屈託なく笑う。
「……あぁ、あやめ、此処にいたのか」
 玄斎がひょっこり顔を出した。足下には、あやめの妹のすずめもいる。
「あー、おねえたんだけずるいぃ! すぅめもだっこ〜」
 あやめは五歳、すずめは三歳、二人共未だ甘えたい盛りだ。恵は左腕にあやめを抱いて、すずめに右腕を広げて見せた。すずめは大喜びで恵の腕に飛び込む。恵は、二人纏めて抱き締めた。ふたりの髪は、陽だまりの匂いがする。彼女らの笑顔と、温かな香り。それだけで、荒んだ心が穏やかになってゆくのが解った。「すまんの」と苦笑する玄斎に、恵は小さく首を振って答えた。救われているのは、自分の方だ。
「めぐみねぇたん、かあさんみたい!」
 すずめの言葉に、一瞬、恵の腕が緩んだ。
「――え?」
 思わず、玄斎を見やる。玄斎も驚いたように、目を丸くして幼いすずめを見ていた。
「めぐみねぇたんがかあさんならいいのにねぇ?」
「……恵姉?」
 あやめは、恵を伺うようにそろそろと視線を上げた。恵はあやめに微笑いかけたが、眼が合った瞬間、あやめは慌てて恵から視線を逸らし、俯いた。
「……うん」
 遠慮がちに小さく囁く。それが無理な事だと、あやめは感じているのだ。すずめが嬉しそうにはしゃいでいる。
 ――その時。
「先生ー!! 高荷先生ー!!」
 玄関の戸を開く音と共に、男の声が飛び込んで来た。その声に二人の少女はたちまち反応する。二人が恵の腕から飛び出すと、恵は勢い良く立ち上がり、玄斎と共に玄関へと走った。てっきり、玄関には怪我人か病人を連れた若者がいるのだとばかり思っていたが、予想に反して、そこにいたのは健康そうな若者一人だった。連れて来られないような状態なのか……。だとしたら、急がねばならない。
「急患ですか?」
「高荷先生、これを――」
 額に汗を浮かべながら若い男が差し出したのは、細く畳まれた一枚の紙だった。開くと、見慣れた丁寧な字で短い文が認められていた。
“医者足りず。至急京都へ来られたし。 薫”
 恵の背筋を、氷のように冷たい何かが駆け抜ける。
 志々雄真実なる人物が日本を征服しようと暗躍しているという。それを阻止するため、維新三傑最後の一人大久保利通の命を受けて、最強の維新志士“人斬り抜刀斎”と呼ばれた男・緋村剣心は京都に旅立った。恵は医者として人々の命を救うという、剣心の示した道を全うするために剣心への強い思慕を押し殺して東京に残ったが、剣心の友である相楽左之助や、剣心に憧憬を抱く少年剣士・明神弥彦、それに、剣心に恋する少女・神谷薫は、京都へ発った。直後、恵と深い因縁を持ち、剣心の命を狙う男・四乃森蒼紫が剣心との再戦のために現れた。剣心の居場所を知ろうと恵に脅しをかける蒼紫に、恵は頑なに口を噤んだ。しかし、元新撰組三番隊組長であり現在警察官の斎藤一が剣心の居所を教え、蒼紫も京都へ向かった。恐らく、斎藤も……。
 京都で何が起こっているのかは解らない――日々、悪い事ばかり考えてしまっている――が、薫から京都へ来いと要請があるという事は、余程の事だろう。それまで考えていた、悪い予感が現実味を帯びて恵を襲った。
「馬車を手配してます。詳しい話は道々しますから、兎に角今は急いで支度をして下さい!」
 若い男は、早口に捲し立てた。
「五分、待ってて」
 恵はさっと踵を返し、奥へと駆け込んでいった。
「五分……?」
「いつでも京都へ行けるように、ずっと準備をしていたんじゃよ、あの子は……」
「…………」
「ところで、君は――」
 玄斎は、男の正面に立った。職業柄、昔から色々な人間に逢ってきたが、男からは常人とは異なる“何か”を感じた。それが何であるかは解らないのだか。
「俺は…………元・隠密江戸城御庭番衆が一人、“飛出”」
「御庭、番――」
 玄斎は眉を寄せた。実際に逢った事はないが、その存在を玄斎は知っていた。恵が武田観柳という阿片密売組織の頭に捕らえられ、無理矢理阿片を精製させられていた頃、御庭番衆は観柳の護衛を務めていたのだ。その時、御庭番衆を率いていたのが蒼紫だった。玄斎はその事を、恵や剣心から聞いていた。
「御庭番を快く思えないやも知れんが、それなら俺は“元”だ、切り離して考えてくれて構わない。維新と同時に抜けたから。ただ――志々雄真実に日本を乗っ取られるのは我慢ならないと考えている一人だ」
「……いや、君が御庭番だろうがなんだろうが構わん。だが……恵君を苦しめるような事があるなら、儂が承知せんよ」
「……大丈夫」
 飛出と名乗る男は、短く答えた。
「“大事な方”だから……」
 飛出は、遠くを見詰めた。玄斎の向こう側を。恵のいるであろう、その方向を。
「大事な……?」
「お待たせしました!」
 玄斎が何か言いかけた直後、恵が両手に鞄を下げて戻って来た。ものの三分。握られた鞄に、強い想いが籠っている。たった一人、待ち続けていたのだ。追いたい気持ちを抑えて。
「恵姉……」
 いつの間にか、あやめとすずめが玄斎の側で恵を見上げていた。
「剣兄のとこに行くの?」
 じっとこちらを見詰める大きな瞳に、不安の色が見え隠れしている。いつも愛くるしく輝くあどけない笑顔も、大切な人達の安否を気遣う思いが強ければ、途端に消え失せる。
「えぇ。きっとみんなで帰って来るから、良い子で待っていてね」
「約束だよ?」
「やくそく!」
 あやめとすずめは、恵の着物を掴んだ。
「約束よ。帰って来るわ、剣さんや薫ちゃん達も一緒に」
「左之兄も?」
「えぇ」
「やひこも?」
「勿論よ」
 恵は、二人の頭を撫でた。
「行ってきます」



 大通りに、二頭引きの馬車が繋いであった。飛出は馬車の扉を開き、恵を乗せると、自分は馭者席に座り、手綱を取った。
「船で何日くらいかかるのかしら?」
 がらがらと音を立て、思いがけない速さで馬車は走り出した。恵は鞄を膝の上に抱えて呟いた。第一、文が届くのにどのくらいかかっているのかも解らない。治療は時間との勝負なのに――
「船は使わない、この馬車で京都まで行くから」
 苛々と思い詰める恵に、飛出は馭者席から答えた。
「――えっ!? 無理よ! 馬車で箱根を越える気?」
「箱根の山道に強い馬を用意してある。他に二回、その道に慣れた馬に替える。順調に行けば、今夜中には着ける筈だ。俺の知る限り、最速の馬を用意してるからな」
「そんな――」
 馬車で京都へ行くなど、考えられない事だ。
「『用意してあるから』って、貴方、一体……」
「あぁ、さっき小國先生には話したんだけど、俺は“飛出”。元・隠密江戸城御庭番衆が一人、“飛出”」
「御庭番衆――?」
「俺が、怖いか?」
 飛出は手綱をしならせる。恐らく、年は蒼紫とさほど変わらないであろうこの男は、若さの割に奇妙な落ち着きと常人とは異なる“何か”を持っている。御庭番衆という言葉を聞いて、それが符合した。と、同時に、恵の中に凄まじい勢いで記憶が渦巻いた。四人の異形の男達、彼等を束ねる冷徹な男、そして――あの卑しい男の事までも。恵の指先が震えた。彼から悪意は感じ取れないが、“御庭番衆”であるという事が、恵の警戒心を煽った。
「事情が飲み込めないわ。元・御庭番衆が、何故……」
「御庭番には、京都にも拠点がある。今、その京都御庭番衆の連中は、志々雄殲滅のために緋村さん達と手を組んでいる」
「え?」
 恵にしてみれば思いがけない展開だった。しかし、もしそれが本当なら、心強い事だ。敵にすれば恐ろしいが、味方にいれば……。
「俺は逢った事がないんだが、先代御頭の孫娘の操様が、偶然緋村さんと京都への道中で知り合って、協力する事になったらしい。尤も、二人が逢っていなくても協力する事になっていたとは思うけど……」
「どういう事?」
 恵は首を傾げた。
「っと……何から説明すれば良いのか。俺は、般若様の直属の部下で、“密偵方”だ。般若様程ではないが、変装に寄る密偵を得意としてる。あと、鳩を使った伝達。俺は維新後間も無く御庭番を抜けた。が、日本中に点在する元・御庭番と情報のやり取りをしていた。あんたが捕まっていた頃は、般若様とも通じていた。今は、京都御庭番衆の頭である“京都探索方・翁”と情報交換をしていて、最近の状況を知らされている」
「剣さん達は、どうなったの?」
「昨朝早く、敵の本拠地に乗り込んだらしい。死闘は必至、だが、ここ数日で京都中で志々雄一派が暴れ回ったりなんだかんだで医者が足りなくなることは確実だと判断して、貴方を連れて来るよう命じられた。長距離伝達用に特別に訓練した鷹で文を受けているから、かなり早い段階で報せが入ってる。多分、まだ緋村さん達は交戦中だと思うが……兎に角、急ぎます」
「そう……」
 決して状況は良くないが、今までまるで解らなかった事が少しずつでも解って来て、恵は落ち着いた。心強い味方が増えれば、それだけ勝機も見えて来る。それに、御庭番が味方なら――
「蒼紫……四乃森蒼紫も、共闘しているのね――?」
 恵の脳裏に何度もちらつく、あの冷酷な男の瞳。修羅の淵に立ち、いつ修羅に墜ちてもおかしくないようなあの男も、味方についたのか……?
「蒼紫様は――」
 飛出は息を飲んだ。
「志々雄側についた。翁を半殺しにして。操様は蒼紫様に恋慕していたから、落ち込んでいたようだか……」
「――蒼紫が、志々雄真実と手を組んだ……?」
「ああ」
 あの男は、まだ、修羅に向かって歩んでいるというの……?
 恵は愕然と頭を垂れた。身体中が震え出す。
 恵は剣心と蒼紫の闘いを見てはいない。幽閉されていたから、刀がぶつかり合う音を遠くに聞きながら短刀を握り締めて自ら命を絶つか否かを迷っていた。だが、部下の首を下げて冷酷な瞳で剣心を見下ろしていたあの男を忘れる事は出来ない。いつか再び、剣を交える為に現れるだろうと思っていた。そしてやって来た男の、あの冷たい指先。恐怖に立ち上がれなくなったが、去り行く後ろ姿が頭の中から消えなかった。
 あの男は、いつかあの人を――愛しい人を殺しに来る。彼は負けないけれど、きっとあの男に勝つだろうけれど、“不殺”を貫く彼があの男と闘ったら、あの男に勝ったら、あの男は今度は何処へ行くのか――。まして、あの時東京に現れた彼の眼に、生気は無かった。闘って、彼に勝つ事しかないかのように見えた。それ以外の総てを、その先の人生さえも捨てようとしているのではないだろうかと、恵には感じられた。闘いのために、生きている男。闘う事だけが、彼を生かしているとも言える。
 けれど……ただ彼と闘うために日本征服を目論む男と組んだの?
「蒼紫様が緋村さんを殺すかも知れないと思ってる……?」
「いえ、剣さんは負けないわ」
「信じてるんだな、緋村さんを」
「えぇ。でも――剣さんが勝ったら、蒼紫は何処へ行くのか……」
「…………蒼紫様を心配してるのか?」
「不安なのよ……。あの男は、勝とうと負けようと、戦いを終えれば総てを捨ててしまう気がして。“最強”の名を手に入れたら、もう生きる事にすら執着しないような気がして……」
 飛出は、耳を疑った。四乃森蒼紫という男は、間違いなくこの女に一生涯恨まれても可笑しくない人間だ。彼女は、四乃森蒼紫を憎み続けて良い人間だ。許す必要などないのだ。それなのに、許す、許さないの問題ではなく、ただひとりの人として、彼の命を思い遣っている。彼女はなんという女だろう。
「休み無しで走れるか?」
 中継地点で馬を外し、次の馬を馬車に繋ぎながら、飛出は問うた。
「勿論よ。急ぎましょう」
 恵がきっぱり答えたので、飛出は手早く作業を終え、再び馬を駆らせた。
「あんた、蒼紫様をどう思う?」
「どうって?」
「や、心配してくれてるみたいだから……嫌いじゃないのか? 憎くはないのか?」
「……怖いし憎いわ。でも、哀れな男よ」
 哀れ。まるで同情でもしているような言葉だが、それより、愛おしさを秘めて聞こえた。
「不器用な男……だけど、私を救った人よ」
「救った……?」
「密かに私を逃がす手引きをしてくれた」
「知ってたのか」
「私はこれでも、何度も逃げようとしたのよ。私兵団からも逃れられなかった私が、どうして御庭番の警備から逃れられるというの? そうでしょう?」
 飛出は、小さく笑った。恵を逃がすのに飛出も一役買っているが、誰にも解らないように配慮したつもりだった。しかし、この聡い女には解っていたようだ。
「まぁ、あんたが逃げれば闘争を呼び込むと解っていたからな。最強の維新志士との戦いになるとは思っていなかったけど」
「少しは感謝してるのよ。それに……自由になってから解ったわ。あの男の真に背負っているものがね」
「……心強い」
 逞しい女性だ。
「蒼紫様を頼みます」
「生きていたらね。急ぎましょう」
 馬は益々速度を上げた。


 その頃。京都――
「医者は見付かんねーのか?」
 左之助が、横たわる剣心の隣りに腰を下ろして、問う。
「全っ然!」
「ちょっと落ち着けよ、操」
 京都御庭番衆の一員で、先代御頭の孫娘の巻町操は、苛々しながらばたばたと部屋の中を歩き回っている。剣心の周りで足音を立てる操に、弥彦も苛立った。
「文は確実に届いてんだろ? 天気も良いし、すぐに名医が来らぁ。ちょっと待ってろよ」
「名医?」
 左之助が操を掴まえ、無理矢理座らせた。操は不貞腐れながら、窓枠に腰を下ろした。
「恵」
 弥彦が、ゆっくりと立ち上がる。
「あの……女狐が?」
「あぁ、薫が文を出したから」
「いつ着くんだよ? 手遅れにならねぇか?」
「……今日中に着くって、翁は言ってたけど」
「はぁ?」
 確かに迷いも寄り道もしたが、一体自分が京都に着くのにどれだけかかったか。勿論、自分が初めて京都に行った時は中山道を通ったから早かったが、それでも三日。どんな手段で何処を通るのか知らないが、京都で医者を探す方が早いのではなかろうか。
「孃ちゃんは?」
「下。俺、表見て来る。恵がいつ着くか解んねぇし」
 弥彦は静かに部屋を出た。
 この夏、京都では事件が続いた。あまり公には知られていないが、鍛冶屋の息子が剣客崩れに誘拐され、警官に捕らえられた。京都中を巻き込んでの騒動といえば、街中で得体の知れない黒装束の集団や、不思議な得物を操る数名の男女が警官隊と抗争を繰り広げ、同時に各所で起こった放火未遂。それを阻止せんと活躍したのは、「京都御庭番衆」と名乗る忍び装束の一団。その筆頭は若い娘で、その周りを囲む者達も取り分け年が若かったというから、警察は面目が立たない。一夜にして数十の警官が全滅させられる謎の事件も起こった。更に、警察署を全焼させる放火事件に、十尺はあろうかという、人の姿をした化け物が街を闊歩していたという話もある。
 兎に角、僅か数日の内に死傷者も少なくない大惨事が続いた。事件の後に駆け回ったのは、医者であった。警察署が全焼した後は、近隣の診療所という診療所がまるで野戦病院のように、次から次に患者が運び込まれた。更に怪物に住居を潰された者も多く、何処の医者も大忙しで、京都中の医者が集まっても人手が足りない程であった。
 左之助は、窓際に腰を下ろし、左手で髪を掻き毟った。右手は応急処置程度はしてあるものの、殆ど感覚がない。京都御庭番衆、取り分け白尉が医術に強く、なんとか重傷の剣心にも処置が施されている。
「東京の名医って、女の人なの?」
「ああ。それが?」
「ううん」
 何でもないとはいうが、操は不安そうである。この時代、女医は非常に少なく、また、女性が医学を学ぶ事など稀有だ。
「安心しろよ。“縫い針小町”とかって、東京じゃ滅法界評判の女医者だ」
 左之助は、にやりと操に笑って見せた。たとえ多少到着が遅くても、恵がいれば何とかなるような気がする。そう思えるのは不思議だった。最初の印象は良くなかったが、恵は、左之助にとっては今や信頼における人間の一人だった。
「まぁ、待ってろよ」
 窓の外に見える空はうっすらと紅く、日は傾き始めていた。



 日が落ち、人々が眠りに着こうという時分、街に馬の嘶きが響き渡った。
「恵!」
 白べこの玄関先で待っていた弥彦は、通りに停められた馬車から飛び下りた恵の姿を見て思わず歓喜の声を上げた。
「弥彦君、一番の重傷患者は何処?」
 この着物と下駄で良くも、と感心する程の速さで白べこに走り込んで来た恵は、弥彦の姿を確認するや否や挨拶もせずに問うた。
 二人が白べこの階段を駆け上がると、
「こっちだ」
 右手に派手に包帯を巻いた左之助が、一室から顔を出す。恵は更に歩幅を広げて左之助のいる部屋に飛び込んだ。部屋には、剣心、薫、左之助、操、それに京都御庭番衆の白尉、黒尉、増髪、近江女がいた。部屋の中央には、全身に包帯を巻かれた剣心が横たわっている。剣心の姿はあまりに無残だったが、恵は僅かも動揺を見せなかった。
「直ぐ手術するわ」
 恵は手にしていた鞄を開くと、ぐるりと部屋を見回しながら素早く胸当てを解いて手術着に替え、その間に周囲の人間に何かと質問をした。
「意識を失ってから何時間経つの?」
「最後に話をしたのは誰?」
「何時間くらい戦っていた?」
「相手の得物は?」
 と、実に細かい。大抵の質問は左之助にしか答えられなかったが、左之助にもすぐには解りかねる質問ばかりだった。若い女医の登場に、京都御庭番の面々は些か戸惑っていた。操も、女の名医と聞いて、四十路の中年女性を想像していたが、考えてみれば“小町”などと称されるのだから、若い筈だ。それにしても、本当に大丈夫なのか?
 着替えを終えると、恵は手早く髪を結い、剣心の隣りに膝をつく。
「…………これ……応急処置は誰が?」
「は……はい、俺です」
 剣心の肩に巻かれた包帯をそっと撫で、恵は身を乗り出した男を見やる。端正な細面の青年だ。
「えっと――」
「白尉、と申します」
「白尉さん、ね。手伝ってくれますか?」
「え、あ、はい……」
 訳も解らず咄嗟に返事をすると、恵は白尉を見据え、
「助手としてついて下さい。それと――貴方方」
 恵が声を掛けたのは、白尉の周囲に固まって座っといた京都御庭番衆の面々。
「動けますか?」
「大丈夫です」
 増髪が即座に答えた。
「私は増髪、増と呼んで下さい。近江女――お近と黒尉です。何でも手伝います」
 増髪の言葉に、四人の顔付きが変わった。御庭番の勘が、この女は信頼に値するといっている。それに……はっきりとはしないが、信頼に繋がる根拠が確かにある。彼女を一目見た時に感じた懐かしいような感覚。喉までそれが出かかっているが、確信に至らない。
 恵は微笑んだ。
「助かります。黒尉さんは、氷を用意して。成可沢山。お増さんは、晒を用意して下さい。で、お近さんはありったけの明かりを。随時手を借りますから、髪を纏めておいて。夜が明けるまでに終わらせます。迅速に――」
 恵は竹の水筒から自分の手に消毒液をかける。三人は足音を消して部屋を飛び出した。白尉の手にも消毒をかける。
「大丈夫よね、恵さん……? 助かるよね……?」
 薫がおずおずと恵に問い掛ける。
「当たり前でしょう? 何の為にわざわざ京都まで来てると思ってるの?」
「恵、俺達はどうする?」
 恵の登場は、弥彦から不安を消し去った。剣心を救うためなら、なんでもやってやるとばかりに息巻く弥彦にちらりと視線を向けると、
「弥彦君、薫さん、左之助……と、そこのお下げの貴女、手術が終わるまで部屋を出て頂戴」
「なっ……」
「んだよ、恵?」
「さっさと出ていって。横になれる部屋があるなら、今すぐ寝なさい。終わったら呼ぶから」
 四人の方をもう見もせず、恵は手術道具を鞄から引っ張り出して並べた。
「恵?」
「そこにいたら邪魔よ。早く行きなさい」
 淡々とした口調で告げ、合間に白尉に指示を出す。
「――後は頼むぜ、女狐」
「任せて。休みなさい」
 左之助の声に、背中で答えた。左之助は弥彦に目配せし、弥彦も渋々腰を上げた。不満そうな操を困ったように見詰め、白尉は「従って下さい」と、小さく頷く。操と薫も、漸く部屋を出て行った。
「先生……?」
「始めるわよ」
 恵は、剣心の包帯を解き始めた。
 
何のために、この道を歩くと決めたのか。
今、その総てを示す時、その恩を返す時が来た――

「京都に医者はおらんの!?」「恵待ってたら剣心死ぬやろ!」という
原作の突っ込みどころを補完したいばかりに書いてみました。



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