いつか、また逢いましょう。
 時代の拓いた、その時に――


    過去を繋いで


 明治十一年、夏――
 京都は日に日に暑さを増し、日差しが痛い程だった。
 志々雄真実の国家転覆計画を阻止し、満身創痍で帰還した緋村剣心らを治療するため、わざわざ東京から呼び付けられた高荷恵は、久々に聞く京の訛りを楽しみながら、街を歩いていた。最初の数日は滞在先の牛鍋屋、白べこに篭って怪我をした面々の治療にあたっていたが、ここ数週間、二、三日に一度は京都中を歩き回っている。そうして警察署や診療所を回って治療を施したり、若い医師に知識や技術を与えた。凶悪な囚人の治療さえ厭わない姿に、京都の医師達は心を打たれたという。
 しかし、この日だけは、いつもと違う理由で歩いていた。
「十年、か……」
 鮮やかな青い空を見詰め、恵は呟いた。



 緩やかながら剣心は回復していった。もう、三、四日もすれば起き歩けるようになるだろうと恵は診断した。剣心に思慕を寄せる神谷薫は、白べこの手伝いをする傍ら、恵の言い付けに従い剣心の看病をしている。元々不器用な薫は大して役に立ってはいないのだが、恵は薫に何かしらさせてやりたいと思っていた。それは恵のある決意の表れでもあったが、この頃は未だ、誰も知らない事である。
 かつては剣心と敵対していた隠密御庭番衆御頭の四乃森蒼紫は、恵の治療を受けてすっかり体調も整い、日中は毎日禅寺で禅を組んで過ごしている。蒼紫への恋情を隠そうともしない巻町操にしてみれば、それはこの上なく面白くない事で、なんとか出掛ける前に掴まえようとするのだが、なかなか上手くいかない。恵の治療方針により夜中には逢えず、短い時間しか話が出来ないが、話せる時には毎日毎晩続く宴会で操自身が酔っ払って眠りこけている事も少なくない。尤も、それに対して文句を言われたところで恵にしてみれば知った事ではなく、酔って因縁を付けて来る操をあしらって白べこを出る事が度々あった。
 白べこで連日繰り広げられる宴会は、既に二十六次会を数えていた。京都御庭番衆の翁は調子に乗りっ放しで、毎日飲めや歌えの大騒動。時折、京都の人々も一緒になって盛り上がっている。この宴会は、京都市中を活気づけるのに一役買っているらしいが、それにしても騒ぎ過ぎだろう。
 そんな喧騒の中で、恵は朝食を取っていた。
「ねぇ、恵さん!」
 恵の正面に、操と、薫の一番弟子の明神弥彦が顔を出す。
「緋村、もう大分良いんでしょ?」
「そうね。良くなってるわ」
「恵さんは凄いよね、やっぱ。あの重傷の緋村を治しちゃうんだから」
 操はやけに調子が良い。こんな風に恵を褒めるなど、下心があるとしか思えない。恵は訝りながらも微笑んだ。
「そんな事無いわ。剣さんも生きる気持ちを確かに持って、みんなが助けてくれるから良くなったのよ」
 恐らく操はこの言葉を期待しているのだろうと、恵は直感的に感じた。
「まぁ、そうだよねー。なんせ薫さんは毎日付きっきりで緋村の手助けしてる訳だし、なんてゆーか、“愛の力”ってヤツ? もぉ、薫さんの愛の力が治したって言っても過言じゃないよねーっ!?」
「いや、言い過ぎだろ」
 弥彦がさらりと突っ込んだ。
「なんだお前、そんな話するために俺まで連れて来たのかよ?」
「なっ……あんた、薫さんの弟子なんだから、師範の力になろうとか思わないの?」
「思うかっ! それに、薫は師範代だ!」
 突然、弥彦と操が言い争いを始めた。操は味方を連れて来たつもりだったようだが、人選に明らかな誤りがあった。
 操が「がーるずとーくしよう」などと言って薫と恵に恋愛の話をけしかけた時、恵が事もなげに「剣さんが好きよ」と言った事が気に入らないのだ。操は薫の恋を応援している。
「確かに薫さんはよくやってくれてるけどね……」
 二人が喧々がくがくと揉める中、恵はぽつりと呟く。操はそれを耳聡く聞き付け、
「あれれ、負けを認めたの?」
「どうかしら」
 恵は妖し気な笑みを浮かべた。
「少なくとも、四乃森さんの回復に関しては、愛情は全く関係ないけどね」
 恵の冷ややかな笑顔に、操は一瞬凍り付いた。
「恵に言葉で勝てるわけねぇだろ」
 弥彦は呆れたように溜め息を漏らした。東京の面々も、誰一人言葉では太刀打ち出来ない。
「なによぉっ! 私が蒼紫様を想ってたからこそ蒼紫様は帰って来って、緋村言ってたもん!」
「剣さん優しいから」
 更に操は凍り付く。
「……学べよ」
 弥彦は頬をひくつかせた。
「もぉ〜、私の活躍見てたら、絶対そんな偉そうな事言えないんだから! 私だって、十本刀の一人をぶっ倒したんだからね!」
「薫さんと二人で倒したのよね、確か。で、弥彦君は一人で倒した、と……」
 どれだけ操がめげまいと、既に軍配は上がっている。操の敵う相手ではないのだ。
「そういえば、十本刀の内何人かとは逢ったわよ」
 煮豆を口に運び、恵はさらりとそう言った。
「えっ!?」
 弥彦と操は目を丸くし、顔を見合わせる。
「どうして!?」
「負傷している囚人の治療を頼まれて、連れて行かれたのよ。そこにいたわ」
「なんだそれ……。最低だな、自分らの手に負えないからって」
 いつの間にか、京都御庭番の面々が回りを取り囲んでいた。京都御庭番衆の一人、白尉が、苛立たしげに呟く。
「志々雄の十人の幹部ってとこでね。凶悪な奴等なのよ」
 同じく増髪の口調も憎々しそうだ。放っておいて死なせる訳にはいかないが、自分達で治療をするなど、恐ろしくて敵わないのだろう。恵ならなんとかしてくれると期待していたに違いない。
「医は仁術。差別してはいけないわ。善人も悪人も罪人にも生きる権利があるのよ」
「最悪人は、政府や警察の奴等かもな」
 黒尉が嫌味たっぷり呟いた。
「そんな事より、誰に逢ったんだ?」
「沢下条さんと刈羽さん、本条さん、それに不二さんよ」
 他に、実は悠久山安慈にも逢っているのだが、言わなかった。本人に口止めされているのだ。
「……誰?」
「不二は解るけど……緋村達と戦った奴?」
 弥彦と操をはじめ、全員が首を捻った。残念ながら、彼らは全員の苗字を知らなかったのだ。尤も、十本刀の当人達も、二つ名しか名乗っていないのだから仕方がないのだが。
「えっと……沢下条張さん」
「おぉっ、“刀狩りの張”じゃな。頭で掃除の出来そうな奴じゃろう?」
 翁が、ぽん、と手を叩いた。この“刀狩の張”事沢下条張に関しては、操と翁――それと、未だ二階で寝ている相楽左之助――しか知らない。
「ええ。それと、刈羽蝙也さん」
「“飛翔の蝙也”! 俺の倒した奴だな」
「がりがりの男性だったわ。それから、本条鎌足さん」
「あぁ、“オカマの鎌使い”! 私と薫さんが倒したオカマだ!」
「らしいわね。話に聞くより、随分としおらしかったけど……落ち込んでいたようよ」
「それに、巨人の不二ってわけね……」
 恵は頷いた。
「なんか丸い、太った頭の悪そうな奴は逃げたのよ。後、誰がいたっけ、十本刀って……?」
「張、蝙也、鎌足、不二、丸いの……今で五人だよな。左之助さんと蒼紫様の話によれば、明王の化身のお坊さんと、あと……警察殺し事件の盲目の剣士……」
「京都大火未遂で私を殺そうとした奴だ。それに、いつもにこにこした優男と、志々雄の側近の男もいたんだよね?」
 みんなはそれぞれ指折り数えていた。今で、九人だ。
「あと……志々雄にくっついてた女は?」
「志々雄と死んだって奴か。そいつも十本刀なのか?」
「…………いやいやいや。不二と一緒にいた爺さんじゃろ、確か才槌とかいう」
 翁が苦笑いを浮かべた。操、弥彦、白尉、黒尉、増髪、近江女は顔を見合わせた。納得した様子で、晴々とした顔をしている。喉の小骨が取れたような感覚だ。
「で、みんな、どうしてた?」
「……みんな元気よ。それにしても……あの、不二さんを倒したのって、誰なの?」
 どう考えても、あの巨人を普通の人間が倒せるとは到底思えないだろう、恵には。弥彦は我が事のように踏ん反り返った。
「そりゃ、並の人間じゃねぇからな」
「そうだと思うわ。あんな人を見たのも初めてだけど、あんな見事な傷も見た事がないもの」
「見事な」
「傷……?」
 恵の思いがけない一言に、一同はきょとんとした。巨人に怯えた風でもなく、寧ろその存在を当然のように受け入れている事にも驚いた。
「どういう事です、先生?」
 白尉が問う。
「切り傷とは違う傷……剣さんの逆刃刀で打った傷に似ていたわ。殺さず、けれど手を抜くでもなく――真っ直ぐに相手に打ち込まれた、真摯な傷跡よ。不治さんも真面目で優しい人だから、それは感じていたようだったわ」
 恵が微笑みを浮かべて語る事を、一同はあんぐりと口を開いて呆然と聞いていた。全く、医者として優秀な女だとは思っていたが、傷跡から打ち手の性格まで読み取るとは、恐れ入った。
「ま、凄いのは当たり前だぜ。なんつっても、剣心の師匠だからな」
「師匠……?」
「普段は新津覚之進って名前の陶芸家だけど、それは世を忍ぶ仮の姿。本当は緋村の育ての親で、飛天御剣流の継承者・比古清十郎って訳」
 操も何故か得意顔だ。
「陶芸家……新津……」
 そう、と恵は微笑み、穏やかな顔を作って弥彦を見やる。
「その人に逢えるかしら。弥彦君、その人の家を知ってる?」
「ん? あぁ……知ってるぜ。けど、すげぇ人間嫌いらしいから、ちゃんと逢えるかどうか……」
「取り敢えず、行ってみるわ。案内してくれない?」
「あ、あぁ……今日?」
「そうね。今日は予定もないし……お願い出来るかしら?」
 恵は答えると、箸を置き、手を合わせた。
「それにしても、恵さん、陶芸に興味あるなんてね」
 操は微笑う。
「陶芸に興味がある訳じゃないけどね。その方に逢ってみたいのよ」
「緋村さんの育ての親だから?」
 増髪の何気ない一言が起爆剤となり、操の顔色が一変した。
「何それ〜? そんなフキンシンな理由で比古清十郎に会おうっての? 絶対ダメ、そんなの。弥彦、案内しなくて良いよ、そんな理由なら!」
「不謹慎か、それ?」
「あんたはどうして自分の師匠の恋路を邪魔したがるワケ?」
「邪魔したい訳でもなんでもねぇよ」
「何かお持ちした方が良いかしら」
「お酒が好きみたいよ。万寿を呑んでたわ」
 操を無視して呟いた恵に、近江女が空かさず答えた。
「お近さん!」
 すっかり、操の味方はいなくなっている。
 かくして恵は、比古清十郎の元を訪れる事となった。



「十年か……」
 空を見詰めて呟いた恵に、弥彦は目を瞬かせた。
「どうかしたか?」
「ううん、ただ、ちょっと懐かしくて」
「何が?」
「……京都に来るのが。十年……いえ、もっとね。私、弥彦君より小さかったと思うから」
 夏の日差しを浴びて額に滲んだ汗を拭いながら、恵は微笑んだ。
「そうなのか? だって、お前会津だろ?」
「昔……脱藩をして長崎に行ったことは知っているでしょう?」
 恵の師匠であり、神谷活心流剣術道場の主治医でもある小國玄斎が話していたらしいそれを、弥彦は薫から伝え聞いた。江戸時代、藩を脱する事は死罪にも値した。だが、恵の父、高荷隆生は、蘭学の高い効能を知るや、家族総出で脱藩し、長崎へ渡ったという。弥彦が頷いてみせると、恵も小さく頷いて、
「その時、父は何を思ったのか、海路じゃなくて陸路で長崎に向かったの。勿論、途中で船に乗ったけれどね。長く続く幕末の動乱で傷付いた人を助けながら、私達兄妹に、この国の現状を見せたいって言って……。その途中、京都に立ち寄ったのよ」
 何処まで陸路で旅をしたかは解らないが、少なくとも、幼い娘――とはいえ、今の自分より幼い年頃――を連れて京都までは来たという事か、と、弥彦は感心した。かつては、“医聖”“生ける理想”と呼ばれたという名医、高荷隆生は、やはり並の人間ではないようだ。そして、その意志を受け継いでいる恵もまた。
 うねうねと続く細い山道は、余り頻繁に人が行き来している形跡はない。弥彦はさして気に掛けずに山道を登り続けるが、恵の頬にはすでに汗が幾筋も伝っていた。木々が生い茂り、影を濃く落としているから未だマシではあるが、夏の日差しは強かった。
「この先なのね、弥彦君?」
 恵は、頂きの見えない山道を見上げ、切れ切れの息で尋ねた。弥彦は平気な顔をして恵の方を振り返る。
「あぁ。この一本道の先だ。もうすぐだぜ」
「そう……。なら、此処までで大丈夫よ。ついて来てくれて、有り難う」
「――帰れって事か?」
「……ごめんなさい。悪いけど、そうして貰える?」
 弥彦は怪訝そうに眉根を寄せた。
「恵の事だから、剣心の育ての親だから――って事はないよな。なんか、あるのか……?」
「えぇ。色々と……確認したい事があるの」
 聡い子供だ。恵は弥彦の聡明さに感謝しつつ、曖昧な言葉で答えた。
「解った。気を付けろよ」
「有り難う、弥彦君」
 何も聞かず、弥彦は恵をそこに残して山道を下り始めた。恵が振り返り、見やるその背中は、東京を発った時より明らかに逞しく見える。剣心に重傷を負わせ、生死の境を彷徨わせた悪鬼が従えていた十人の幹部の内の一人を、たった一人で倒したという。恵はその幹部――十本刀――“飛翔の蝙也”の傷跡を見て、相手の強さを見て取った。いずれ、彼も剣心と同じ道を歩み、同じ問題を抱える事になるかも知れない。だが、そうなるか否かの決定的な違いを、恵は己の眼で確かめておきたいと思っていた。



 山道の先に光が差す。肩で息をしながらなんとか登り切ると、光は真正面から強烈に広がった。恵は思わず眼を細めた。山の頂きに小さく拓かれた広場。その奥に、小さな山小屋が建っている。広場の片隅には焼物を焼く釜がしつらえられ、釜の前に、赤い襟のついた白い外套を羽織り、長い黒髪を背中に流した男が一人、座っていた。
 その男、新津覚之進事、比古清十郎は、恵の気配に顔を上げた。端正な顔立ちは、三十路半ばを過ぎたくらいかと思われたが、弥彦の話では、既に四十七らしい。
「新津覚之進先生――いえ、飛天御剣流継承者・比古清十郎様でいらっしゃいますね?」
 恵は息を整えると、比古清十郎を見据え、静かな口調で問うた。
「ああ。なんだ、またあの馬鹿弟子の知り合いか……」
 面倒臭そうに呟いた比古は、恵の顔を真っ直ぐに見るや、己の眼を疑った。恵とよく似た面差しを持つ人間が、同じように山を登って来た事があった。十年以上前の事だ。比古は静かに息をつく。
「お初にお目にかかります。東京で、緋村剣心さんの主治医を務めております、高荷恵と申します。……お酒がお好きと伺っておりましたので、宜しければこちら、お納め下さい」
 恵は儀礼的に頭を下げると、比古に静々と近付き、両手に抱えた酒を差し出した。
「高荷……」
 臆する事なくやって来た恵の姿に、比古は口許を緩ませた。
「ほう、一月前にぞろぞろ招いてもない客が来やがったが、手土産を持参するような気の利いた奴も、挨拶をするような礼儀正しい奴もいなかったな。あの馬鹿弟子の知り合いにしちゃ、礼儀を知ってるようだ……」
 比古は酒を受け取ると、踵を返した。
「来い」
 珍しく、この偏屈で人間嫌いの男が人を進んで小屋に招き入れた。
「お邪魔します」
 恵が招かれた小屋は、簡素で必要以外の物は置かれていなかった。が、酒の空瓶等が転がっている辺り、成程、俗世を離れた世捨て人とは違うらしい。
「まぁ、なにもないが、ゆっくりして行け」
「恐れ入ります」
 比古に席を勧められ、恵は囲炉裏の側の座布団に正座した。
「で、わざわざ東京の医者が手土産持参で何の用だ?」
 比古は早速恵から受け取った酒の栓を抜き、直接呷った。
「先日、不二さんにお逢いする機会がありまして、比古清十郎さんと剣を交えたと伺いました」
「あの巨人の不二か。なんでまた、あいつと……?」
「警察の方に、治療を頼まれたんです。捕縛された“十本刀”なる人達の」
 質問に端的に答えるこの若い女医が、如何に肝の据わった芯の強い人間かは、比古には容易く見て取れた。あの巨人と見えたなら、先ずその巨大な様に恐怖するだろうが、この女は恐らく、怯えもせずに一人の人間として不二と向き合ったのだろう。
「で、不二はなんて?」
「出所して、もしまた見える事があれば、手合わせしたい相手だと仰ってましたよ」
「そうか。俺も今一度相手になってやりたいところだな。……で? それを伝えに来た訳ではないだろう?」
 先の剣心や薫達の来訪と違い、比古は恵に茶を煎れて寄越した。恵は短く礼を述べて茶に口をつける。
「緋村さん以外に、飛天の剣技を操る人にお逢いしたいと思ったんです」
 ほう、と頷き、比古は笑みを浮かべる。
「そいつは、どういう訳で?」
「……私は飛天御剣流の剣をあまり見た事がありません。ただ、その威力を聞く限り、並の剣術より、使い手の体にかかる負担が大きいのではないかと思ったんです」
「俺に飛天の剣を見せろと?」
「いえ、そういう訳ではありません。お逢いすれば解ると思って伺いましたから」
 きっぱりと恵は言い切った。
「大した自信だ。で、解ったのか?」
「……凡そ、想像した通りでした。緋村さんとは真反対の、筋骨隆々とした背丈の高い男性だと思っていましたから。先代継承者も、そうでいらしたのではありませんか?」
「……成程。なかなか鋭いな。俺の馬鹿弟子とは大違いだ。こんな医者が、あの馬鹿弟子の主治医とはな」
「馬鹿弟子、馬鹿弟子と……随分な言い様ですね」
 やや、恵は口調を荒立てた。それまでと余りに異なる雰囲気でものを言う。
「ほほぅ……あの朴念仁は、大した好かれようだな。あいつを追って京都まで来た娘は一人では無かった訳か」
「好意は否定しませんが、私は彼を追って京都まで来た訳ではありません。医者として呼ばれただけですから……」
 恵の浮かべた微笑みは、比古の眼には歪んで映った。思った程器用な娘でもないようだ。
 それは、真の好意だろう。この娘の聡明な頭が、その想いを押し留めようとしているのに対し、不器用な心がその貌に感情を表してしまっているようだ。
「私は、医者としての務めを果たすのみです」
「そのために、俺に逢いに来た訳か……。お前は、剣術を学んだ事があるか?」
 比古から投げ掛けられた問いに、恵は静かに頷いた。
「自ら剣を振る事はありませんが、書物を読んだり、基本的な型を見せてもらったりする程度なら……。剣術家が患者にいる以上、剣術を学ぶのも――」
「医者としての務め、か? 確かに、どんな剣術も基礎の基礎は同じ。基本の型を学べば、治療をする上では十分だろう。尤も、自ら剣を振るう事が出来れば、もっと良いんだろうが」
「…………不二さんの傷を見て思ったんです。飛天御剣流の剣は、身軽な身のこなしと、そこから繰り出される体重を上乗せした突進系の威力が大きいのではないかと……」
 酒を呷り続けていた比古の手が、ふと止まった。
「それが総てじゃないが、その通りだ」
 傷口から、特徴を読む事が出来るのか。恐らく、流派の特質だけでなく、個人の癖や体質、性格なんかも見抜けるだろう。医者として、大層な資質を兼ね備え、その上で学ぶ事を怠らない。大した娘だ。
「もう少し体格も育つと思ったが、あいつの成長はあっと言う間に止まった。お前の読みの通り、あいつの体格は飛天の剣には全く向いていない」
「このまま剣を振るい続ければ、確実に命を削りますね……?」
「だろうな。……俺は、あいつを不幸にするために飛天を教えた訳じゃない。……が、結果としてそれは間違っていたのかも知れないな……」
 自信家で、高みから物を見るこの男にしては、意外な言葉だった。言葉程後悔を感じている風では無く、ただ事実を口にしただけのようだが、それでも、普段は口にしない本音だろう。
「でも、その剣が私を救って、私に医者としての道を示してくれました。恐らく、御剣流でなくては江戸城御庭番衆には勝てなかったでしょうし」
 恵は瞳を閉じ、瞼にあの悪魔の館での一夜を思い浮かべた。小さな展望室で、自分の青褪めた手に握った短刀の刃の生々しい輝きが、鮮明に浮かび上がる。耳の奥に、刃のぶつかり合う金属音が響く。あれ程長い夜は、後にも先にもあれきりだった。
「私があの人を救います。あの人の命を延ばします。そのために私は此処に来ました」
 たとえ、側にいられなくても――。
 恵の真摯な瞳は光をたたえ、頼もしい言葉に偽りは無かった。愛しい人を救いたい。守りたい。そのための力を持っているという自負と、そのために自らを磨き続ける努力を怠らない熱意――医者は万能ではない――。真の、医者だ。
「だとしたら、俺のした事も間違いじゃないな」
 慰めるでも無く、己の決意を口にするだけで、これ程人に安らぎを与えられる人間に逢ったのは、比古の四十七年の人生の中で二度目だった。非常に稀有な部類の人間だ。
「高荷、恵――」
「はい」
 比古は徐に立ち上がると、奥の棚から、木箱を一つ取り出した。
「これをやろう」
「……これは?」
 差し出された木箱を開くと、湯飲みが一つ収まっていた。大胆ながら品の良い色遣いの、やや大きな湯飲みだ。
「……“新津覚之進”の作ですね」
「あぁ。知っているか?」
「父がよく似た湯飲みを持っていましたから。この独特の色遣い……間違いありません。父は、貴方の作品が大好きでした」
 恵は眼を細め、懐かしそうに微笑んだ。
「高荷隆生……?」
「御存知なんですか?」
「医者の高荷と言えば有名だからな」
 恵は比古を見詰め、箱の蓋を閉じて両手に抱えた。
「“新津先生”が父を御存知とあれば、父も喜びます。これは……父の墓前に備えさせて頂きます」
「……そうしてやってくれ」
 去り行く恵の後ろ姿を、比古は戸口から見送った。
「気が向いたら、いつでも来い。お前は歓迎してやる」
 恵は一礼して、山を下りて行った。



 それは十年以上前の事。弟子と喧嘩別れして久しい陶芸家の元に、突然一人の中年の男が現れた。男は肩で息をしながら、剣術家でもあるこの体躯の良い陶芸家を、臆する事無く真っ直ぐ見詰めた。男は、北は佐幕派の藩で代々医者を務める家に産まれ、家業を継いだが、医学を学ぶために藩を抜け、家族を連れて長崎に向かうのだと言う。長子は元服したばかりで、一番幼い者は、まだ十にも満たない娘だ。
 何故わざわざ山を登って訪れたのかと陶芸家は問うた。
 医者は語る。
「此処からさほど遠くもない村の外れの原野に、夥しい数の墓標がありました。古く朽ちた切支丹風の木の墓標の傍らに小さな石の墓標が三つ並んでおりまして、きちんと花が供えられていたんです。村の者に尋ねると、この山の頂きに住む者が知っていると言っていたので伺ったのです」
「そいつは、俺の馬鹿弟子だ。……出て行きやがったから、もう此処にはいねぇがな」
「馬鹿弟子だなんて……。こんなご時世に、人の命を思いやる事を知っている、優しい立派なお弟子さんではありませんか」
「優しさだけで、この国は変えられんさ……」
「でも、優しさがなくては変えては行けません。何、貴方の優しさを受け継いでいましょう、お弟子さんも」
「…………俺の?」
 産まれてこの方、他人から優しいなどと形容された事は一度としてない。陶芸家は、鼻で笑った。
「優しい者にこそ出せる色合いですよ、これは」
 医者は、陶芸家の足下に転がった湯飲みを取り上げた。
「ふん。まぁ、そいつは副業だがな。本業はこっちだ」
 陶芸家は、腰に帯びた白木拵えの長刀を示した。やはり、と、医者は頷く。医者自身の偏見もあるが、剣客の持つ独特な雰囲気を彼も持ち合わせているのだ。
 だが、今まで見て来た剣客とは何か違う。荒々しい中に、確かに優しさを持っている。
「お弟子さんも?」
「あぁ。剣で弱き者を守ると未熟なままで飛び出しやがった。未だ、元服したばかりだってのに」
 陶芸家は、初対面である事も忘れて――いや、この男には、それすら感じさせない親しみ易さがあった。人間嫌いのこの男ですら、近さを感じる何かが――、普段は決して語らないような言葉を吐いた。
「しかし……それだけのためにわざわざこんなとこまで来たのか?」
「私は、会津からずっと陸路で旅をして来た、この国の行く末を憂う一人です」
 陸路。その言葉に、陶芸家は眉を寄せた。会津から長崎へ渡るなら、当然海路だ。何処かの港で乗り継ぐにしても、延々陸を歩くよりは早い。まして、幼い子供を連れているなら、海路の方が余程安全だろう。
「脱藩なんて罪を犯した上、危険な陸路で旅をするとは……」
「憂い故ですよ。時は未来にしか向かいません。過ぎし日は戻りはしない。だからこそ、未来を託される幼い子供達に、己の眼でこの国を見て欲しいのです」
「この荒れた国を?」
「荒れてなどおりませんよ。少なくとも、――たとえ愚かと呼ばれようとも――心優しい者が、この国の未来を剣で斬り開かんと戦っている限りは」
 医者は、陶芸家を見据え、微笑んだ。
「私の娘は年明けに漸く十ですが、医術を学んでおります」
「女が医者に……?」
「我が家系は代々女子供も医学を学びます。女性はなかなか活躍の場が無く、殆ど産婆になりますが、娘は薬学と縫合術に非常に長けております……。この先、勤王派が勝とうと佐幕派が勝とうと、きっと時代は拓かれるでしょう。その時、娘やそれに続く女達が、医者や教師として生きてゆき易いように、この国が変われば良いと思うのです」
「会津は佐幕派だろう。お前は違うのか?」
「医は仁術――。敵味方・身分や性別を隔てる事なく平等であるべきです。それと同じで、私はどちらにつきもしない。ただ、平和と平等をもたらす方を望みますが……」
 この御時世、そんな事を口にすれば、首が飛び兼ねないと言うのに、この男は臆する事なく思いを言葉にする。誰に対してもそうなのだろう。己の志が貫けないのなら、生きている事すら無意味なのだろう。大した男だ。
「ふふん。お前、なかなか気に入ったぜ」
「私も、貴方が気に入りましたよ。貴方のお弟子さんや、焼き物も……ね」
「ほう。なら、一つ持って行け。餞別だ。いずれ、また京都に来る事があれば、寄るが良い。歓迎するぜ」
「有り難う。……時代が拓けた後に、またお逢いしたい。その時には、私の家族にも逢って頂きたい。そうそう、貴方のお弟子さんにもお逢いしたいものです」
 高飛車な物言いに微笑を浮かべ、医者は恭しく言った。
「馬鹿弟子に……?」
「いずれ、お逢いしてみたいと思いますよ。年も近い事だし、私の子供達と良い友達になれるやも知れませんしね」
「ふん。どうだかな」
「はは。まぁ、総ては未来が知っておりましょう。……さて、そろそろ失礼します」
「あぁ。また、いつでも来い」
「えぇ、是非。そうだ……私は、高荷隆生と申します。貴方は?」
「――新津覚之進。いや……比古清十郎だ」
 医者は穏やかに微笑み、頭を垂れた。

 それは、十年以上昔の話。

fin
人と人とは繋がっている。
貴方と私が出会ったように。
遠い過去から、つながれる絆。
たとえ結ばれぬ恋でも過去は未来へと繋がっている。


INDEX

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