君が此処にいることが嬉しいから、君の喜ぶことは何でもしたい。
 君が此処にいることは奇跡みたいで、君に総ての奇跡を贈りたい。



     銃口と引き金



 波の音は静かに。天気は上々、気候は春。
 動乱の終結した砂の国・アラバスタ王国を出航してふつか目。麦わら帽子を被った、何処かひょうきんに見える髑髏を掲げた海賊船「ゴーイング・メリー号」は、順調に航海を続けている。
 暖かな日差しを浴びて船長のルフィ、狙撃手のウソップ、船医のトニートニー・チョッパーは、釣りを楽しんでいた。ルフィとチョッパーの楽しみは、魚を釣る事よりもウソップの壮大な冒険譚を聞く事にあった。大抵は作り話なのだが、チョッパーはそれを本当のことだと信じ込んでいるし、何より、ウソップの話し方が人を引き付けてやまない。
 航海士のナミは甲板のみかんの木の影で読書を楽しみ、剣士のゾロは後甲板で眠っている。ゾロがこの船で食事以外にしていることといえば、修行と睡眠のどちらかだ。どんな嵐が来ようと、一度寝たら決して起きない脅威の神経の持ち主である。
 料理人のサンジは、キッチンでおやつの用意。ナミのリクエストで、ミルフィーユを焼いている。女好きで、何より女性の意見を優先するため、大抵食事やおやつのリクエストはナミの希望が通る。
 そして、この船の七人目の乗組員。アラバスタ王国で反乱を“起こさせた”、秘密犯罪会社“バロック・ワークス”の元副社長であるミス・オールサンデーこと、ニコ・ロビン。ルフィ達の活躍により社長のサー・クロコダイルは敗れ、“バロック・ワークス”は崩壊した。その後、ロビンはこの船に乗り込み、ルフィとの交渉により仲間になった。
 元より楽天家の多いこの船において、ロビンが仲間として認められるまでに時間はかからなかった。ゾロだけは未だに警戒している節があるが、サンジは美人が増えて大喜びだ。
 そんなサンジが生クリームを泡立てているキッチンへふらりと現れたのは、ロビンだった。
「いらっしゃい、マドモアゼル」
 ロビンの姿を見止めるや、サンジは顔を上げて微笑んだ。普段ならエスコートのひとつもするところだが、料理中はなかなか手を休めることはない。
「甘い香りがしているわね、何を作ってるの?」
「今日のおやつは、ナミさんのリクエストでミルフィーユ。天気も良いし、みんなで外でおやつも良いかと思いまして」
 ふぅん、と、興味があるのかないのか、曖昧に頷きながら、ロビンはこつこつと踵を鳴らしながらシンクを覗き込んだ。
「何かお飲み物でも?」
「良いわ。後で、ミルフィーユと一緒に頂くから」
「かしこまりました。飲み物のリクエストはある?」
「お勧めは?」
「今日は少し甘めだから、ブラックコーヒーかな。コーヒーはお好き?」
「とても」
 ロビンはにっこりと微笑んで見せた。
「それは良かった。俺の淹れるコーヒーは、世界一だから」
「知ってるわ。昨日のエスプレッソも今朝のカフェオレも美味しかったもの」
 美人の褒め言葉に、サンジも白い歯を見せてにっと笑って見せる。甘いマスクの十九歳。年の割りに時折見せるいとけない笑顔がロビンには印象的だった。昨夜と今朝と、それから先程昼食に彼の料理を食べたが、どれも実に美味しかった。これまでの人生で一番美味しいものを食べている気がして、それだけで幸せな気分だった。
 ロビンがこの船に乗ったのは、ルフィに命を助けられたからだが、死を望む彼女に対して、ルフィの物言いは実に率直で奔放だった。ロビンを哀れむでもなく、励ますでもなく、我が道を進むルフィに徒ならぬ興味を引かれてここにやってきたのは間違いない。嘘八百だと解るのに、それでも自信満々にユーモラスな冒険譚を語るウソップや、それを信じ込む純粋なチョッパー、太陽のような純粋さと計算高さを併せ持つナミに、信じた道を一心に進むゾロ、それに、笑顔の似合うサンジ。個性的な彼らに魅力を感じないではいられず、これまで生きていたどの組織とも違う雄大さに、ロビンは心地よさを覚えている。
 それと同時に介在する恐怖から目を反らすわけではないが、それは彼らの知るべきところではない。
「楽しみにしているわ」
 と、妖艶な笑みを零す。
「良かったら、デッキで待ってて。日差しが暖かいから、気持ちが良いよ」
「……でも、剣士さんが寝てるでしょう?」
「いいよ、あいつは寝かせときゃ」
「私が外に出たら、きっと起きてしまうわ」
 警戒心が強いのね、と肩を竦める。サンジはクリームを泡立てながら、くすりと笑った。
「じゃぁ、起こしときゃ良いさ。それとも、此処にいてくれる? 話が出来たら嬉しいんだけど」
「えぇ、喜んで」
 キッチンに身体をもたれかけて、ロビンはサンジの手元を眺めた。男の割りにやや細く、長い指。楽器を演奏するのに向いていそうな指だ。水仕事のためか少々荒れてはいるが、あれだけ派手な戦闘を繰り広げている麦わら海賊団の一員にしては、不自然な程に手に傷がない。料理人にとって手は命だから、足技でしか戦わないと聞いた事があるが、成程、激闘において大切にされている様子は伺える。
 この手が、あれ程美味しい料理を作る、魔法の手。強大な秘密会社の副社長というだけあって、食事は十二分に保障されていたが、彼の作る料理ほど美味しいものはなかったのだと、改めて思う。
 興味深く眺めていると、不意に、サンジが首を傾げてロビンの貌を覗いた。
「……どうしたの?」
「いや……傷、大分薄くなったね」
 言いながら、サンジは自分の頬を指した。ロビンは、思わず頬に手を当てる。
「傷?」
「ちょっとだけ、あったでしょう?」
 崩れる神殿の中にいて、傷の一つも負わない方が可笑しい。確かに、ロビンは何ヶ所か傷を負っていたし、頬にもあったかも知れない。が、そこまで覚えていない。口の中を切ったのは血の味で解ったし、クロコダイルに鎖骨の下を裂かれたが、それ以外に何処に傷があったかなど。
「女の子何だから、可愛い顔に傷が残ったら大変だと思ってたんだ。流石、チョッパーの薬はよく効くな」
 “女の子”
 “可愛い”――
 慣れない言葉に頬が赤らむのが解り、思わず噴出した。
「どうしたの?」
「ふふふ。そんな事言ってもらえるような歳じゃないわよ、私」
「そんな事ないさ」
「だって、二十八よ?」
「それが?」
 さらりと。
 それまでくすくすと、まるで馬鹿馬鹿しい冗談を聞くように乾いた笑いを浮かべていたロビンは、急にきょとんと目を丸くして、サンジを見た。ただ、驚いた。
「まぁ……」
「……どうしたの?」
 しかも、こちらが驚いている理由がまるで解らないというように、彼まできょとんとしているのだから。
「あぁ、“可愛い”じゃなくて“美しい”かな」
「別に、それはどうでも……。なんだか、変な感じだわ。年下の男性にそんな風に言われるなんて」
「年上の恋人ばかりだったわけか。年下はお嫌い?」
「そういう意味ではないのよ」
 “恋人”。
 やはり、慣れない言葉だ。“恋人”というのが、たとえば身体を重ねるだけの間柄であるならば、そんな男達は沢山いた。決して、愛を囁き合ったり、口付けを交わしたりする事のない、情交だけの関係だ。上は年齢の倍以上の男、下は、それこそ彼より年下ともそうなったのではないだろうか。
「ただ……そうね、“可愛い”とか“女の子だから”とかそういう風に言われるのは初めてだから」
「……へ?」
 首を傾げたサンジの唇から漏れた声は、普段とは違って妙に間が抜けていて、ロビンは思わず口元を緩めた。その表情は、サンジの褒め言葉語録の中から相応しい言葉を選ぶとしたら、やはり“可愛い”が最適で、サンジも同じく口元を緩めて微笑んだ。
「じゃぁ、相当見る目のない男ばっかりだったんだな、きっと」
 俺は、見る目あるよ、と、胸に親指を突き立てて自信満々に笑って見せる。
「面白い人ね……」
「うーん。……それって、褒め言葉じゃないよね?」
「あら、褒めてるつもりなんだけど。やっぱり、感覚が違うのかしら」
「やっぱり、って……」
 真面目な顔をしてそんな事を呟くロビンは、然程年端の変わらない女の子のようだ。サンジは一旦手を止めてクリームに砂糖を散らし、再び小気味良い音を立ててステンレスのボウルの中で生クリームを混ぜ始めた。
「ずっと裏の社会にいたから、貴方達と感覚が違うのね、きっと」
「……え?」
 あぁ、そうだ。彼女は、人の通らぬ道を歩んできた女性。サンジは突然首筋の辺りが粟立つ感覚を覚え、肩を震わせた。奇妙な胸騒ぎがした。彼女が怖いのではない。疑うわけでもない。敢えて言うのなら、悲しいかのよう。
「“可愛い”“女の子”“恋人”……縁の無かった言葉だわ」
「恋人、も?」
 聞いて良いものか躊躇ったのは、口にした後の事だった。無意識に、尋ねていた。
「必要ないでしょう、そんなもの?」
 事も無げに答えるその唇は、無情で残酷だ。彼女にとって、“恋人”は必要の無い“そんなもの”。
「必要か否かは、人それぞれだと思うけど、貴方には不要?」
「……というより、解らないわ。それがどういったものか」
「教えてあげようか?」
「結構よ。やっぱり、面白いわね。……その、褒めているのよ?」
 “面白い”と言う言葉に、一瞬眉を潜めたサンジに、ロビンは咄嗟に付け加えた。
「言い方を変えた方が良いかしらね。今までそんな風に言う人がいなかったから、新鮮だわ」
「成程ね。“裏の社会”の感覚が、俺の知るところと違うってのはよく解った。貴方のような美しい方を褒めもせず、大事にもせず、独占したいとも思わないなんて、信じらんねぇよ」
「お上手ね」
 褒め言葉に慣れてない割に、交わし方は全く慣れたものだ。

「じゃぁ、もしかして、こういうのも初めて?」
 サンジの細い指が、ザルにあけた苺を拾い上げる。小さな水滴が、きらりと宝石のように輝いた。愛らしい苺を、身を乗り出してロビンの口元へと運ぶ。悪戯っ子のような笑顔の真意が見えず、ロビンは戸惑った。
「え?」
 差し出されたという事は、食べろという事だろうか。ロビンはその指で摘もうとしたのだが、違う、違うと首を振られ、またも戸惑ってしまった。
「あーん、して?」
 意図を汲みきれずに惑うロビンの唇に、キスのように苺を当てる。漸くサンジの意図するところを理解したロビンは、頬を染めながら、微かに唇を開いた。サンジはそっと口の中に苺を押し込む。唇の端に触れた指から、彼女の熱が伝わった。
 たったこれだけの事。例えばナミなら、「馬鹿やってんじゃないわよ」などと軽く受け流すだろう。機嫌の良い時なら、わざとしなを作って食べて、サンジを喜ばせるかも知れない。だが、一見計算高く、経験豊富そうなこの女は、“たったこれだけの事”に頬を染め、戸惑うのだ。全く、
「可愛い」
 そう、微笑まずにはいられない。
「貴方は、本当に面白い人。……あぁ、ごめんなさい」
 唇を押えて苺を飲み込み、呆けた顔で呟いた後、それを彼が嫌がったのだと思い出し、また訂正するように謝る。その律儀な様が、サンジには益々可愛らしく映った。
「いや、貴方のそれは褒め言葉だと解ったから。もう謝らないで。美しいレディに謝られるのは胸が痛むんで」
 そんな風に言われるのも、勿論初めてだった。これまでに逢った“下手に出る男”は、当然のように下心を同時に差し出して来た。元より、下手に出る男の方が珍しく、大抵は高圧的で、対等である事を前提としていても、自分が上位に存在しようとしていた。それを利用する事もあり、また、利用し尽くして潰す事もあった。利用しない事は、なかった。女だからと下に見られる事は当然で、それに甘んじて見縊った相手が悪いのだ。相手が死のうと捕まろうと関係なかった。ただ、自分が生きるための術だけを求め続けていた。他人は利用するための道具。相手もそう思っているのだから、何の問題もないだろうと思っていた。
 こうして女性だからと大切に扱われるのは、初めてだった。最初はこの海賊達に単なる興味で潜り込み、必要があれば利用して潰そうと考えていたのだが、そんな思いはあっという間に呆気なく消えていった。今はこの男が、その必要性を存在全体で否定している。船長もそうだった。他のクルーも。
 眩いばかりに若い海賊達は、人を利用するのでも潰すのでもなく、自らの力と仲間同士の絆で、ここまで成長してきたのだ。それが羨ましくもあり、そこに強引に入り込んだ自分の居場所を疑った。
 ロビンは微笑を浮かべ、サンジを見詰めた。優しさや慈しみによって人に触れられる事は何年振りか。胸の奥が熱を帯びるのが解った。
「優しいのね、貴方は」
「ありがと。それは最高の褒め言葉だよ」
 サンジはロビンに笑いかけると、生クリームを泡立てていたボウルを置いて、ザルの苺を分け始めた。小ぶりで形の良い苺は飾り付け用に。それ以外は、薄くスライス。包丁が俎板を叩く軽快な音が、耳に心地良かった。
「もうひとつ、食べる?」
 ロビンがじっと手元を見詰めていると、苺を見ていると思ったのか、サンジはもうひとつ苺を摘み上げた。先程と同じように差し出された苺を、ロビンは今度は指で摘んで取り上げた。そして、先程サンジが自分にそうしたように、彼の口元に運ぶ。サンジは、くすりと笑い、
「言ってくれないの?」
「……あーん、して?」
 なんとなく気恥ずかしい想いで、ロビンは囁いた。サンジからしてみれば、普通に言われた方が冗談に聞こえて気楽なのだが、囁きが妙に艶かしく、恥じらいが含まれて背筋をくすぐられたような気分だった。
「合格」
 サンジは唇がロビンの指に触れないように注意して苺を咥え、指から抜き取ると、口の中へ転がした。
「レディに食べさせてもらった苺は最高に美味い」
 笑いかけられて、ロビンは口元を緩めた。本当に、可愛らしい青年だ。
「この船に乗って、初めて経験することが意外と多いわ。特に、貴方といると……」
「それは、俺みたいな素敵な男に逢うのが初めてって事?」
「ふふふ。そういう事かしらね。貴方のように美味しい料理を作る人は初めてだし。魔法の手を持つ青年、というところかしら」
「俺が貴方に恋の魔法をかけてあげますよ」
 女性に対して、こういった台詞は言わずにはいられないらしい。ナミに対して口説き文句を並べ立てているのを何度か見ているし、自分も言われたのは初めてではない。決まり文句のような台詞に、ロビンはくすくすと笑った。その笑顔は、やはりサンジには“可愛い”としか思えない。
 普段は凛として、妖艶な大人の色気を纏い、余裕の笑みを浮かべているというのに、今日はなんだか、随分と色々な彼女の表情を見ている。戸惑ったり、照れたり、頬を染めたり、恥らったり。穏やかな微笑も、あどけない笑顔も、全部が可愛い。これまで見てきた彼女と、違う一面が次々に表れている。
 笑うロビンを見詰めていると、オーブンが「チーン」と高い音を立てて彼を呼んだ。パイが焼き上がったのだ。サンジははっとした。自分が、呆けていた事に気付いた。
「っと……パイが焼けた」
「何か手伝うことはある?」
「ん? いや、大丈夫」
 サンジはスライスした苺をボウルに移し、クリームのボウルと一緒に調理台の隅に除けて場所を空けると、慣れた手付きでオーブンから鉄板を引き出した。調理台の上でパイを鉄板から降ろして包丁を入れてゆく。音楽を奏でるように滑らかで素早い動き。ロビンはキッチンの外側から、その様子を覗き込んでいた。
「ミルフィーユって、パイなのね」
「知らなかった?」
「名前を聞いたことくらいしか……。食べた事はないのよ」
「また、“初めて”だな。パイとクリームを重ねた菓子で、“千枚の葉”って意味があるんだ」
 ロビンは興味深げに、キッチンの中へ回り、サンジの隣りに立った。
 端を落とされ、長方形に整えられたパイを並べ、サンジはクリームとスライスした苺の入ったボウルを取った。その、後ろを向いた一瞬の隙に、ロビンは切り落とされたパイの端を一欠片摘み上げ、口の中に放り込んだ。
「あっ。全く、お姉様が摘み食いとはね」
 ルフィじゃあるまいし、とからかうと、ロビンはくすくすと肩を竦めた。
「摘み食いも初めてよ」
 盗み食いや万引きはあるけれど、とは、流石に口に出したりはしなかった。
「ずるいなぁ、百戦錬磨のお姉様は。大事なクラムなのに、そんな風に言われたら怒れねぇよ」
 元より怒るつもりなどさらさらないが、からかうように言ってみる。ロビンもそれは十分に解っていた。もごもごとパイを租借する口元を押え、瞳を細めて笑う。何をしても許してくれるサンジの甘さと優しさに、寄り掛かる事は、ロビンには甘美なまでに心地良い行為だった。誰かに支えられたり、甘やかされたりといった事は、少なくともこの二十年間、一度もなかった。それ以前の人生においても、それは極端に少ない。
「ごめんなさい。お詫びするわ」
 口元を押えたまま、屈託なく笑うロビンは、「二十八よ」などと強調した年齢に見合わない愛らしさを見せている。サンジは眉を上げて溜息をつくと、ロビンが口に当てている右手の手首を掴み、唇を晒させた。淡いピンクのリップに、パイの欠片が張り付いている。
「良いよ、これで」
 手首を引き寄せ、そっと唇を重ね合わせた。
「ん……」
「つまみぐい」
 にやりと唇の両端を吊り上げたサンジの前で、再びロビンは口元を押えた。先程の笑みは、もうその貌にはない。代わりに、白い頬を真っ赤に染めて、戸惑いを見え隠れさせていた。
「吃驚……したわ」
「……俺、も」
 軽く笑って受け流してくれるものだとばかり思っていたのだが。
「……いやね、うぶなおぼこ娘でもあるまいし……」
 驚きを隠せないサンジの視線に、ロビンは益々自分の貌が赤くなってゆくのを、熱で感じていた。
「本当に、初めてだと緊張するものなのね」
「初めて?」
「キスは、ね」
 つまり、キスではない何かは初めてではない、というわけ。それが何かを敢えて問うことはしなかったが、キスをせずに二十八年。キスを省いたその行為の“初めて”はいつだ?
「部屋で、頭を冷やしてくるわ。おやつの時間に、声をかけて」
 まだ熱いままの頬を押えて、困ったように眉を寄せて微笑うと、ロビンは足早にラウンジを出ようとした。
「“ロビンちゃん”!」
 背中にぶつかった声。
 思わず振り向いたのは、それこそ慣れない呼び方。二十年前に、故郷の研究者の女性がひとり、そう呼んでくれていたけれど、それ以来一度だって聞いた事のないような呼び方。少なくとも、男性にそう呼ばれるのは初めてだった。
「この呼び方も初めて?」
「全く初めてではないけど、殆どそうね」
「少なくとも今は、俺だけの呼び方だ」
「えぇ」
「俺、貴方を好きになりそう。冗談であんな事出来るほど、俺も遊んでないから」
 サンジは人差し指と親指で銃を作り、その銃口をロビンに向けた。
「俺の恋の弾丸で、君のハートを撃ち抜くから。期待してて」
「そんなことを言った人も、初めてよ」
 余りにも“らしい”言葉に、ロビンはゆったりとした笑みを浮かべた。優しくて甘い男。苺よりも、クリームよりも甘い男。
「私の初めての恋人になるというの? 期待してるわ、コックさん」


 キスも初めて。
 恋人も初めて。
 だけど、男と交わる事は初めてでなくて。

 つまみ食いじゃ物足りない。
 隅の隅まで食べ尽くして、全部自分のものにしたい。
 そう思う事自体、初めてで、指の先まで熱が籠る。
 今すぐにでも引きたい引き金。
 いつか、君の心に届くように。

 千の言の葉より、たった一欠片のパイに想いを乗せて。
サンジが「ロビンちゃん」と呼ぶようになったワケ。
疑いもなく、無邪気に迎え入れるサンジと、戸惑うロビン。
少しずつ、近付いておいでよ。
広告 [PR]スキンケア  転職 化粧品 無料 ライブチャット