誰が何と言おうと、俺は約束を果たす。
 この名を授けてくれた、今は亡き親友との約束を。


     K


 雪が降っている。冷たい……。
 人々の動きが忙しなくなってきた。もうすぐ今年も終わるって、あちこちで声がする。十二月に入ったらしい。俺からしたら、今が何月だろうと関係ない。寒さが厳しくなってきた、くらいにしか思ってない。でも、ニンゲンてやつはややこしい。なんだかんだとやることがあるんだ。大事なものを守るため? 大事なものが山ほどあるから、ニンゲンは大変なんだ。俺には守るものなんか大してない。強いていうなら、この自慢の尻尾くらいだ。ぴんと尻尾を立てて、俺は堂々と往来を歩く。知ってるさ、みんなが俺をなんて呼ぶか。特にこの時期はみんな敏感だ。来年を良い年にするには、今年を良く終わらせなきゃいけない。らしい。そのためには、不吉なものには近付かないことだ。たとえば、夜闇のような色をしたネコとかな。だから俺は嫌われ者。ま、どうでも良いさ、そんな事は。俺は往来の真ん中だって歩いてやる。
「きゃっ!」
 頭上で、メスのニンゲンが甲高い声を上げる。うるさいなぁ。
「しっ、しっ、ナミさんに近寄んじゃねぇ、この薄汚い野良猫が!」
 一緒にいるオスが向こうへ行けと手を振った。煙草のにおいぷんぷんさせやがって。鼻が曲がりそうだぜ。行けと脅されて行ってやるのもシャクだから、堂々と目の前を横切ってやった。
 と、思ったら、脇腹にいきなり鈍い衝撃が走った。石をぶつけられたらしい。振り返ると、水兵の制服を着たオスが二匹、何か言い合っていた。
「ヘルメッポさんっ、な、な、なんて事するんですか!?」
「馬鹿野郎、こっちにこられちゃたまんねぇだろうが!」
「でも……」
「行くぞ、コビー」
 どうやら、先に行った方が石を投げたらしい。もう一匹は俺を気にしながらもついて行った。何度も振り返って……ネコみたいなヤツだな。気にすんな、お前らみたいにつまらない奴らが何をしようと、俺には大した事じゃない。おい、お前、ネコみたいに振り返るお前、どうせネコみたいなら、孤独にも堪えてみろ。まぁ、無理だろうけどさ。
 俺はこの方が良い。孤独に生きる方が良い。誰かを思いやるなんて煩わしくて仕方がない。群れてないと生きられないなんて、ニンゲンはめんどうなイキモノだな。
 俺は、胸を張って生きる。誰にも迷惑なんか掛けたことない。だから堂々としていれば良い。俺みたいなクロネコを「悪魔の使者」なんて洒落た呼び方したのはどこのどいつだか知らないが、お蔭さまで、俺は自由に生きられてるぜ。感謝しないとな。
「うわぁっ、黒い猫だ!」
 またかよ。頭上の声にうんざりした。今度はこどもの声だ。
「ロ、ロ、ロ、ロ、ロビンに近付くな!」
 小さい――とはいっても、俺に比べたらかなり大きい――オスのこどもは、自分の後ろのメスをかばって両手を広げた。俺と似た大きな丸い目のメス。ユリの花みたいな良い匂いがした。このガキが必死になってかばうのも解らなくもない。だけどな、俺が本当に呪いなんか掛けられるんだったら、まず自分で嫌いな奴らに呪いかけるぞ。そんな便利な力は持ってない。残念ながらな。
 に、しても。全く、うっとうしいなぁ。俺はガキを睨みつけてやった。
 その時だ。
 いきなり脇腹を両側から何かに捕まれて、俺の四本の足が宙に浮いた。汗と、あとはなんだか重たい油みたいな臭いが急に俺に襲い掛かってきた。あっという間に、俺は立ちはだかっていたガキを見下ろすほど高い位置に落ち着いた。
「そんなに言ってやるなよ、チョッパー」
「ウソップ!」
 俺を抱き上げたそいつの名を呼ぶと、ガキは瞳をきらきらと輝かせた。ああ、こいつは憧れられるような凄いヤツなのか? だが、ガキの後ろにいる眼のでかいメスは、うさん臭そうにこいつをにらみ、ガキを自分の方に引き寄せた。ガキが俺にそうしたみたいに、このメスもこいつを警戒してる。俺はひょいと顔を上げた。鼻の高い……というか長い、若いオスニンゲンだ。悪者には見えない、愛想の良いやつだ。そいつは、俺の顔を見るとにんまり笑った。
「こんばんは、素敵なおちびさん」
「ウソップ、そいつクロネコだぞ? 呪われるぞ? 怖くないのか?」
 ガキはこいつにぎゃんぎゃん吠える。呪えるもんならとっくにお前やあの石投げた水兵を呪ってる。
「チョッパー、行きましょう」
 警戒心剥き出しで、チョッパーっていうらしいガキを引っ張って行くメス。あいつは俺じゃなく、こいつが嫌いなんだな。
「ははっ、俺達、よく似てるな」
 俺を抱くニンゲンの手が、俺の頭をぐりぐり撫でた。それが……なんだか堪らなく苦しかった。首に腕が引っ掛かってるとか、気持ち悪いとか、そういう苦しさじゃない。胸が詰まる……なんだ、この感覚は? 鼻の奥がツンとした。腹の底から熱いものが込み上げてきた。
 俺は、もがいた。これでもかってくらい腕の中で暴れて、必死で引っ掻いて、そいつの腕から飛び出した。地面に足が着いてから振り返ってみたら、引っ掻いた手の裏側をズボンにこすりつけながら、「困ったヤツだな」と笑った。
 途端、こいつと一緒にいるのが怖くなった。なんでか――俺が俺じゃなくなる気がして。
 走った。全力で走った。途中、何度か振り返ったけど、あいつは俺を追って来る。だから、また走った。独りが良い。他にはいらない。誰かと一緒にいるなんて、俺は嫌なんだ。面倒臭いし、疲れるし、それに……なんだか解らないけど嫌だ。ニンゲンは俺を呪いネコだと罵るもんだ。あんな気まぐれな腕なんか、信じてたまるか。それなのに、あんなヤツ初めてで、気になって、俺を抱き締めた温もりが抜けなくて。くそぉ、なんでこんな想いをしなくちゃならないんだ。
 変なヤツ。どこまで逃げたって、ついてくる。
「いい加減疲れたって。もうそろそろ鬼ごっこはやめよーぜ。こっち来いよ!」
 誰がお前なんか。疲れたんだったら、ついて来んな。一回だけ振り返り、それからまた走ろうとした。が、いきなりガバッと後ろから飛び付いてきた。身体が降ってきたみたいだった。俺を押し潰さないように腕で身体を支えて俺を囲い込むと、それからぎゅぅっと抱き締めた。
 おいっ! 離せよ、この野郎!
 もがいて、暴れて、引っ掻いて……それでも俺に頬を寄せてきた。
 温か過ぎて、息が出来ない。なんだか、一緒にいたくなった。
 あぁ、俺、本当は捕まえて欲しかったんだ……。



「俺は、ウソップ。絵かきだ」
 俺を部屋に連れて来て、変わり者はそういった。ウソップ……。絵かきっていうのは、絵を描くのが仕事らしい。部屋中に板が転がってた。キャンバスといって、これに絵を描き、売るという。重たい油のにおいの正体は、絵の具とかペンキとかいって、キャンバスやスケッチブックって、絵を描くために紙を束ねたやつなんかに絵を描く道具だ。その他にも、鉛筆やらコンテやら筆やら、初めて見るものばかりで、わくわくした。俺には“色”というのがなんだか解らないけど、こいつの描いた絵は良いなと思った。
 クロネコの“クロ”は色だと教えてくれた。星も月もない夜空の色だと。そして他の何物にも混ざらず、染まらず、凛と立つ俺は、正に凛とした真冬の夜のようだと、言った。俺の色はクロ。闇の色。だからニンゲンは俺を、闇から現れて闇をもたらす呪いネコと罵る。
 お前は変な奴だな。みんなが嫌った俺に、自分から触れてきたんだから。変だな……落ち着く。
「お前にも名前付けねぇとな」
 俺の顎をくすぐりながら、ウソップは考え込んだ。俺はウソップの指を甘噛みしたり掌に鼻をこすりつけたりした。見上げると、ウソップは真剣な顔をしていた。こんなに真剣に名前を考えてもらえる事が嬉しくてくすぐったい。初めてだから。知り合いのネコの中には、沢山の名前を持ってる奴が結構いる。首輪付けて、飼い主にはサニーと呼ばれてるけど、遊びに寄ったところで「ライオネル」だの「ひまわり」だの「チャンピオン」だの呼ばれて色んなところで食べ物をもらい、船みたいにまるまるとしている奴もいる。だけど……俺には今まで名前がなかった。母さんは、俺が生まれて二週間で死んだ。だから、母さんからも名前を呼ばれた事はない。生きることに必死だったんだ。母さんもやっぱり俺みたいなクロネコで、投げ付けられた石で顔の半分を潰されて死んだ。その翌日には、水兵がゴミみたいに遺骸を捨てた。ニンゲンなんてみんなそうだと思ってた。なのに、こいつは……。
胸がぐっと温かくなる。
「ホーリー・ナイト」
 ふと、耳元でウソップが言った。
 え?
 思わずウソップを見上げると、窓の外から差し込む月の光に、ウソップの眼がきらきらと輝いていた。
「……ホーリー・ナイト。“ホーリー”は“聖なる”とか……あと、“幸”なんて意味もあるな。“ナイト”は“夜”だ。お前の色の“黒”は夜の色。お前は、俺の前に現れた“黒き幸”だ」
 “黒き幸”――俺が、“幸”?
「綺麗な瞳だな。瞳まで夜の色だ……。隣りに誰かいるって、幸せな事だな」
 ベッドにごろんと横になり、ウソップはうっとり目を閉じた。俺が頬を舐めると、俺を抱き締めて、頬を擦り付けてきた。
 ちくしょう……、なんでこんなに優しくするんだよ。嬉しくなるじゃねぇか。
 ウソップの腕の中で、俺は生まれて初めての穏やかな眠りを得た。
 翌日、ウソップは俺の首に革紐を巻いた。紐に通した小さなプレートには、“ホーリー・ナイト”と彫ってあるらしい。
 その日からウソップは、毎日俺の絵を描いた。描きながら、色んな事を話した。
 俺達は、確かに似た者同士だった。ウソップも、母さんを子供の頃に亡くしてる。父さんは旅に出てるらしい。故郷は遠いところにある山間の小さな村。村っていうのは、確か、小さくて人が集まって暮らしている集落の事だ。ホテルに住んでる老いぼれののミセス・レイジィが教えてくれた。村に対して、大きな集落は街という。ここがそうだ。ここは海が近く、偉そうな水兵が肩をならして歩き回ってる。ここみたいに偉そうなヤツはいない、のどかなところなんだろうと思ったけど、そうでもないようだ。その村を治めてる金持ちが、ウソップを馬鹿にしてたらしい。「そりゃぁ、俺は昔から貧乏だし、絵を描くくらいしか能はねぇけどさ」そんな話をする度に溜息混じりにつぶやく。そんな風に言うなよ、ニンゲン様が何と言うかは知らねぇが、俺はお前の絵が好きだぜ。
 クロネコばかりを描いた真っ黒のキャンバスやスケッチブックに囲まれ、俺は幸せだった。ウソップは、毎日俺の隣りにいてくれたし、絵が売れなくても「仕方ねぇな」と笑った。時々、小さい絵やスケッチが売れたりすると、俺においしいものを買ってきてくれた。俺はウソップが道に絵を広げて売ってるところをよくのぞいてた。俺が近くにいたら余計売れないだろうから、遠くから。以前、俺を警戒してたチョッパーとかいうガキがよく見に来ていた。ウソップが、働きもしないで絵を描いてばかりいる変わり者だから、チョッパーの養母はそれを良く思わなくて、チョッパーは堂々とウソップの絵を見る事は出来ないらしい。ほんの十秒見て走り去る。
 俺とウソップははみ出し者同士。気が合う訳だ。一度だけ喧嘩をした事があるけど、すぐにお互い悪かったなって反省して、仲直りした。俺があいつの机の上にあった小さな箱を、おもちゃにしていて怒られたのだが、それはウソップの大事なものらしい。勝手に触った俺も悪かった。
 こんな居心地の良い場所は初めてで、俺は毎日ウソップにくっついて甘えた。今まで誰にも触れてもらえなかった分を取り戻すかのように。



 そうして、二度目の冬が来た。俺は満たされていた。けど、最近、ウソップがおかしい。ぼんやりする事が増えた。故郷の歌を口ずさんだり、西側の窓からずっと外を眺めたり。絵を描くペースも落ちてきた。どうしたんだろう?
 気にしながらも、俺はそんなに深刻じゃなかった。何となく、大した事じゃないと思ってた。あの日、までは……
 あの日も、いつもみたいにウソップは俺の絵を描いていた。俺は日なたでうずくまっていた。ウソップは、パレットを片手に、立ち上がった。その時、突然がちゃがちゃとけたたましい音が鳴り響き、俺はさっと身体を起こして部屋の隅に飛び、警戒した。しかし、すぐに音の正体は理解できた。ウソップ、だ。ウソップが床に横たわり、キャンバスが横に転がっていた。絵の具が散らばり、ウソップの顔も服も部屋の床も、べたべたに汚れている。俺はウソップに飛び付いた。ウソップは、唸りながら来るしそうに荒々しい呼吸を繰り返す。
 ウソップ、ウソップ!
 俺がどれだけ呼んだって、伝わらないのは解ってる。だけど何度呼んでも呼び足りなくて、俺は足を踏み鳴らしながら声を限りに叫び続けた。すると、ばたばたと廊下を走る大きな足音が近付いて来た。この足音、知ってる。
「おい、こら、ウソップ!」
 壊しそうな勢いでドアを押し開け、入ってきたのは大男。
「どかどかばたばたにゃーにゃーうるせー……って、ウソップ!?」
 このアパルトマンの下の階に住んでいる船大工のフランキーだ。フランキーは倒れているウソップを見付けるや、部屋に飛び込んできた。
「大丈夫か、ウソップ!? うわっ、すっげー熱あるじゃねぇか。しっかりしろ!」
 フランキーはウソップを抱えてベッドに移した。ちくしょう、親友が辛い思いしてんのに、助けてやれないなんて。小さい身体がもどかしい。
「おめぇ、ウソップのピンチ知らせたのか?やるじゃねーか」
 フランキーは俺を見下ろしてにやっと笑う。こいつも変わり者で、俺の事もウソップの事も気に入ってくれてる。水兵達に船を造ってやってるらしい。でも、水兵は嫌いだと言っていた。嫌みのないやつだから、俺はフランキーの言葉に少しほっとした。でも、やっぱり自分の無力さが悔しかった。フランキーはてきぱきとウソップの頭に濡れタオルを置いたりしてくれた。
「俺はこれから仕事だが、何かあったらすぐ呼べよ」
 フランキーは俺に言って、部屋を出て行った。
 それからしばらくして、ウソップは目を覚ました。
「……ホーリー・ナイト?」
 なんだよ?
 俺が擦り寄ると、ウソップは、弱々しく笑った。
「心配かけて悪いな」
 気にすんな。そりゃぁ、こんなぼろ部屋でこんな風にしてたら、身体も壊すさ。
「紙……スケッチブックで良いか……」
 ウソップは、のろのろと身体を起こし、ベッドの脇に落ちたスケッチブックに手を伸ばした。
 無理すんなよ。
 俺はひょいと床に下り、スケッチブックの端をくわえて引き擦った。指先に触れたそれを拾い上げると、ウソップは、ほっとしたようにベッドに身体を沈め、ペンを取った。
 開いたスケッチブックには、メスのニンゲンの絵が描いてあった。品の良い、綺麗な目をしたメスだった。ぺらぺらとめくるそのスケッチブックには、全部同じメスの絵ばかり描いてある。こんなの、初めて見た。俺が寝てる時とか、道で絵を売ってる時に描いたのかな。
「俺の、大事な女だ……」
 ウソップは、ぽつんと言った。“オンナ”はニンゲンのメスの事だ。
「金持ちの令嬢でさ、俺の描く絵や俺の話が大好きだったんだ。綺麗な顔して笑うから、大事にしてた。だけど、俺の家は村でもかなり貧しい方で、しかも親もいないから、そこの家の奴に『もう近寄るな』って言われたんだ。だったら、俺は都会で有名な画家になって、あいつの肖像画を描くために呼ばれるくらいになってやるって、心に決めたんだ」
 そう言いながら、ウソップは、大きく溜息をついた。
「ちくしょう……」
 眼からぼろぼろ雫をこぼすウソップを見詰めているとなんだかいたたまれなくて、俺は顔を上げた。視界に飛び込んできたのは、床の上に倒されてるキャンバス。そこには、月をバックに凛と立つ、俺の姿があった。あんな風に、生きたい……。
「なぁ、ホーリー・ナイト……」
 ウソップは、枕元の棚の引き出しから小さな箱を取り出した。それは、いつか俺が遊んでいて怒られたやつだ。その箱に掛かった紐を解き、ウソップは箱を開いた。その中には、太陽にきらりと光る、金属の輪が入っていた。一部分に、飾りがついてる。
「綺麗だろ……俺が作ったんだ」
 弱々しくも、得意げな顔をするウソップ。そして、スケッチブックから一枚紙を引きはがした。そこには、やっぱりあのオンナが、笑っている姿。その横に何かを書き込み、細く丸めてさっきの輪に通した。
「ホーリー・ナイト……走ってくれ。走って、走って、こいつを届けてくれ。夢を見て村を飛び出した俺の帰りを待つ大切な人に……俺の大事な、カヤに」
 カヤ……それが、お前の宝物の名前。
 俺みたいな不吉なクロネコの絵なんか売れないのに、お前は俺が美しいと俺だけを描いた。俺はお前の絵が好きだけど、大好きだけど、いくら俺が好きでも俺が絵を買う事なんか出来ない。けど、人に媚びる絵を描きたくないって……いつかつぶやいた「そんなもんで売れても“あいつ”は喜ばないからな」って言葉の意味が、今なら解る。媚びない俺が好きだといった。媚びない絵を描きたいといった。大切な宝物のために、“カヤ”のために。
「今日は寒いな。少し……眠らせてくれ。俺はここで、待ってるから、頼んだぜ、ホーリー・ナイト……」
 ウソップは、そう言って目を閉じた。それから、ゆっくりと静寂がやって来た。静かに、静かに、ウソップの中の総ての音が絶えた。俺は、お前の頬を舐めた。舐め続けた。
『くすぐったい……ってか、痛いって。お前の舌、ざらざらしてんだから!』
 寝ようとしてるとこ邪魔して怒られたのはいつだっけ? それでもやめなかったら、絵の具で落描きされたよな。次の日にはそれを消すために風呂に入れられた。水を嫌がる俺を、無理矢理洗ってたよな。あの時、随分お前の事引っ掻いたよな。あんまり暴れて、フランキーにも怒られたっけ。あいつ、風呂場にまで怒鳴り込んで来てさ。おかしかったよなぁ。
 なぁ、ウソップ……
 どんだけ舐めても、何も言ってくれない。解ってる、ちゃんと解ってるさ。母さんがそうだったように、お前も冷えていくんだろう。二度と動きはしないんだろう。でもさ、ウソップ……



 ありがとう。



 お前の手紙、お前の気持ちは、確かに受け取った。
 俺は、金属の輪に纏められた手紙をくわえ、部屋を飛び出した。あいつの故郷は、確か川をずっと上ったところ。海に流れ込む水の、生まれたところのすぐ近く。
 雪が降り出した。でも、雪だって母さんやお前の肌ほど冷たくはない。堪えられないほど冷たくはない。
 俺は、まず川下に向かった。港に、フランキーがいる。船の上に、大きなニンゲンの姿。頼む、フランキー。あいつの亡骸を弔ってくれ。水兵の奴らにゴミ扱いされないように。見えないと解りながらも、俺は奴に頭を下げた。
「……ホーリー・ナイト?」
 遠く、フランキーの声が聞こえた。俺を見付けてくれたのか。なんだ、覚えていてくれたんだな。振り返らずに、俺は走った。
「ロビン、早く!」
 港から川へ向かう途中、聞こえた声に、俺は足を止めた。向こうから、チョッパーが走って来る。その後ろには、チョッパーの養母のオンナ。まずい、チョッパーは俺を嫌ってるし、あのオンナはウソップを嫌ってる。逃げないと、と思った瞬間、オンナと目が合っちまった。
「あ……ロビン、悪魔の使者だ!」
 チョッパーが俺を見付けて声を上げた。しかし、オンナは思いがけない言葉を口にした。
「絵描きさん……?」
 なんだって?
「ロビン?」
「あのリング、前に絵描きさんが道端で作っていたわ。あの、バラの飾り……」
 なんで、お前そんな事知ってんだよ? お前、あいつを嫌ってんじゃないのか?
「じゃぁ、あのネコ、ウソップの作ったもの買った人から盗んだのか?」
「いいえ、あれは売り物じゃない。大事な人のものだって……だから売らないって……なにかあったの?」
 俺は、一度だけウソップの部屋の方を振り返った。俺のサインに気付いてくれたのか、オンナはチョッパーの手を掴んだ。
「行ってみましょう、あの絵描きさんのところ……」
 俺とは反対の方に走り出したあのオンナとチョッパー。ありがとう――ロビン。あんた、ウソップの事、嫌ってたんじゃないんだな。認めてくれていたんだな。
 誰にも媚びずに生きてきた親友に、理解者がいるならなによりだ。あとは、頼む。
 俺は川に沿って走る。雪がしんしんと降って来る。ひたすら、走った。しっかりと、金属の輪をくわえて。
「おい、見ろよ、悪魔の死者だ!」
「この村に不幸をもたらすぞ!!」
途中、通りかかった村や街で、子供達は口々に叫んでは石や雪玉を俺に投げつけてきた。脇腹に、足に、額に、次々と降り掛かる衝撃。それでも、手紙だけは落とすまいと、歯を食い縛った。母さんも、こうして死んだんだよな。辛かったよな……でも、俺の事守ってくれた。俺をかばって、死んでいった。そういえば、ウソップも怪我をして帰ってきた事が何回かあった。きっと、規律まみれの水兵達がウソップを虐めたんだろう。いつだって、信念あるものは傷付けられる。出る杭は打たれる。だけど、負けてたまるか。俺は、俺の使命を果たす。辛くなんか、ない。俺より長く生きてきたウソップは、俺より沢山嫌な想いしてきたんだよな。それに比べたら、なんて事はない。なんと呼ばれようと、俺にとっては、あいつが付けたこの名だけが真実。揺るぎない、消える事のない、唯一の名。
 “ホーリー・ナイト”――“聖なる夜”と、あいつは呼んでくれた。今まで俺が知りもしなかった優しさや温もりを全部詰め込んで呼んでくれた。
 誰も彼も俺を忌み嫌い、呪わしい存在という。何と言われていても、媚びを売って、誰かに気を使って生きるなんて面倒だったから、俺は一人で生きてきた。だけど、もしこんな俺にも意味があるとしたら、きっとこの日のために生まれて来たんだろう……。お前に出逢い、お前の気持ちを届けるために。そう思ったら、何でも出来る気がした。俺は、どこまでも走って行ける。
 雪に俺の色の道が出来る。俺の身体から溢れ出してる。こんなに寒いのに、雪は冷たいのに、流れ出すクロは焼けるように熱い。目の前が霞む。だけど、走った。
 そして……いつの間にか、たどり着いていた。あいつの匂いのする村。家と家の間が離れてて、広々として見えた。初めて来る場所なのに懐かしくて、凄く落ち着く。お前が育った場所なんだな、ウソップ。向こうに、大きな屋根が見える。あの屋根、知ってる。あいつが、あの屋根の上や下にいる俺の絵をいくつも描いてた。そっか、あれはお前の“夢”だったんだな。いつか故郷に帰る時、俺も一緒に連れて来てくれるつもり……だったんだろう? あれがお前の“宝物”の家。俺の目指す場所はあそこだ。
 俺は走った。転んだ。身体中からクロいのがどんどん流れ出す。足が千切れそうだ。それでも尚、走った。止まってたまるか。あそこだ、あそこに行かなきゃならないんだ。
「おい、ピーマン、見ろよ、悪魔の使者だ!」
「本当だ、この村を呪いに来たのか!」
「攻撃開始だ!」
 三人の子供が、俺を罵りながら雪を投げて来る。足に、頭に、雪玉がぶち当たる。痛いな、この野郎。お前らと遊んでる暇はないんだ。そう思っても、痛みが俺を押し止める。こんなところで、諦めるわけにはいかないんだ。
「呪いネコをやっつけろ!」
 痛む右足に雪玉があたり、俺はごろりと雪に倒れた。ガキの歓声が聞こえる。くそぉ、負けるか。俺は“ホーリー・ナイト”――“聖なる夜”だ! “呪いネコ”なんかじゃない!
 俺は今にも千切れ落ちそうな足を踏ん張り、立ち上がった。
「なんだ、あいつ、まだ立つのか?」
 たりめーだろうが。お前らなんかに負けてたまるか。
 ガキの攻撃の手が緩む。俺は足を引きずりながらがむしゃらに走った。あの“夢の家”を目指して。
 そこに、きれいなオンナが、立っていた。巨大な門の前の、郵便受けをのぞいてた。あんたが“カヤ”だな。あいつの“宝物”。初めまして。あんたの待ってるもの、届けに来たぜ?
 脅えもせず、穏やかに俺を見詰める優しい瞳。やっぱり、あんたは俺を罵ったりしないんだな。嬉しいよ。
 俺はそっとカヤの足元にくわえていた輪っかを置いた。カヤは弾かれたように雪に膝をつき、金属の輪で留めた紙を拾い上げた。
「君は……?」
 ホーリー・ナイト――“聖なる夜”。
 俺は答える事も出来ず、そのまま温かな雪の上に身を委ねた。俺の代わりに、ウソップが俺につけてくれたネームプレートがちゃんと名乗ってくれたよ。
 カヤは手紙を読んでどうしたんだろう……。どう、思ったんだろう?
 それはよく解らないけど、カヤは俺を庭の木の下に埋めた。カヤの左手の端から二番目の指には、俺がくわえてた金属の輪。初夏になれば俺の身体を糧に、この木は花をつける。カヤの指の輪に飾られたのとおんなじ花を。
 カヤは俺の身体を埋めた木の枝に、俺が付けてたプレートを墓標がわりにかけてくれてる。ウソップが作ったプレートに、一文字加えて。それは、ウソップが金属の輪の内側に刻んだのと同じ文字。

 俺は“ホーリー・ナイト”。
 聖なる、騎士。



誰がなんと呼ぼうと、消えることのない真実がある。
真実を貫くことに、本当の幸いがある。
それをただ、貴方が認めてくれれば良い。
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