その声が響く。
 まるで、神を仰ぐ塔に掲げたの鐘の音ように。




    甘い香りと、禁忌の言葉。
  



 例えば、この船の誰かとあいつが二人で街を歩いていたりするのを見た時。
 ルフィと並ぶと、まるで姉弟だ。しっかり者の姉と手の掛かる弟といった風に見える。屋台で買い食いなんかして、ルフィが口の周りを汚しているのを注意したりする仕草は、まるっきり世話焼きの姉だ。
 ウソップと並んでてもそう見えるな。ルフィ程手は掛からなそうだが、何かと細かに世話を焼いている。ウソップに気付かれないように。しかし、あいつと二人でいる時に、ウソップが妙に誇らしげな顔をしているのがよく解らん。
 チョッパーと並ぶと……大きさによっちゃ親子だな。なんつーか、世話の焼き方が他の奴等を相手にしてる時と違う。まぁ、チョッパーはあんまり人獣型で街に出たりはしないが、船で二人で一冊の本を読んでいる時なんか、母親が子供に絵本を読んでやってるようにしか見えねぇ。絵本どころか、俺じゃ全く理解出来ないような専門書なんかを読んでるんだけどな。
 フランキーはあのナリだがなんだかんだ言っても大人であいつも頼りにしているようだし、背の高さも手伝ってなんか……夫婦……みたいに見える時もある。ついこの前の島で市場を一人でうろついてたら、あの二人が並んで歩いてたんだが、人込みでも頭一つ、二つ飛び出した二人はよく目立つ。荷物を抱えて笑いあう姿は、新婚みたいじゃねぇか。フランキーの下半身さえ見なきゃ。
 ナミは……女同士だしな。ただ、年が離れてるからナミもビビに対するそれよりも甘えているように見える。頼っているというか。対等より、姉とかそういった感じだ。
 エロコックは、この船じゃ唯一女の扱いに慣れてやがるから、あいつがフォローを入れたりする前に自分から行動を起こして、逆に何かしてやる。それが、妙に自然な素振りで、あいつもそれを解り切って安心してるのが見て取れるから、恋人に見えなくもなくて腹が立つ。
 それが弟だろうが友達だろうが夫婦だろうが恋人だろうが、どんな風に見えようと関係なく、あいつが別の奴――男と二人で何かしてんのを見ると、腹の底がぐらぐらと煮えるように感じる。苛立ってんのは明白だ。
 だが、俺はこの苛立ちや不快感の正体が、つい最近まで解らなかった。解ってしまった今となっては、どうして解らなかったのかが不思議でならない。とはいえ、何故解ったのかもよく解らない。ある日突然、何の前触れもなく理解した。その瞬間、それまで胸の辺りで燻っていた何かがすっと腹の底に消えた。正に“腑に落ちる”瞬間だった。
 気付いて、ふと、思った。
 俺は、あいつと並んだ時、周りの奴らからはどう見られてるんだろうか。
 身長は悔しいが、あいつの方が高い。年だって、九歳も上だ。その条件ならサンジの奴も同じだが、俺は奴みてぇに女の扱いになれちゃいねぇし、さり気なく喜ばせるような事だってしようとは思わねぇ。精々、友達だろうか。
 いや、考えてみれば、あいつと二人切りで街を歩いたことなんかなかったし、二人切りで話した事自体、かなり少ない。誰も見た事がないんだろうから、俺とあの女がどう見えるなんて、考えた事もないだろう。
 そもそも、他の誰かにどう思われていようと構わねぇ。それより、あいつが俺をどう思っているのかが知りたい。俺がこれまで警戒し続けていた事、気にしてんのか?




 昼間、食事の席で明朝には次の島に着くだろうとナミに言われ、みんなで喜んだ。明日誕生日を迎える女を、次の島で盛大に祝おうと言い出したのは、サンジだったか。あの女は「祝われるような年じゃない」と遠慮したが、それで引くような連中ではない。そもそも、この船に遠慮なんて言葉はあってないようなもんだ。
 俺の行動にも、基本は遠慮なんてない。自分で考えても解らない事があったら、聞くしかねぇ。遠回しな行動ってのは性に合わないからな。
 その日、夕飯を終えた後に、たまたま誰もいなかった甲板で、俺は勢いであいつに声をかけた。階段を上ってゆくあいつを見付けて、咄嗟に。階段の下から、見上げる。真ん中で片足を次の段に上げたまま、あいつはこちらを振り返った。
「どうしたの?」
 あいつの問い掛けに、我に返った。声を掛けた、は良いが、なんて聞けば良いんだ? 「お前は俺の事、どう思う?」――聞けるか。幾らなんでも普通気付かれる。あまつさえ、俺の思ってる事に気付いた上で「大事な仲間よ」なんていわれた日にゃ……。
 解ってる。というより、今解った。結局のところ、俺は怖いんだ。あいつが、俺をどう思ってるかを知る事が。だから声を掛けておきながら、思わず言葉に詰まっちまった。
「どうって……いや、どうもしてねぇ」
 何言ってんだ、自分から話し掛けてるくせに“どうもしない”わけがない。それなら声なんか掛けんなよ。
「そう?」
「あぁ。わ……悪ぃ、呼び止めて」
 全く、何をどもってるんだ、俺は。情けねぇ。
「いいえ」
 目の前の女は、俺の事なんか歯牙にもかけていないのか、まるで気にする素振りもなかった。それはそれで、なんだかな……。あんまり情けなくて、同時に恥ずかしさも込み上げてきて、俺は顔を逸らした。今、あの深い闇のように掴みどころのない瞳を見詰めたら、きっと飲み込まれちまう。何か、口走ってしまいそうだ。
「あ……何か、相談でも?」
「え?」
 途端、声を潜めて問われた。誰もいないのだから小声になる必要はないのだが、その気配りがこいつらしい。
「何か、悩みでもあるの? 私で良ければ、いつでも相談に乗るわ。話を聞くくらいしか出来ないかも知れないけど、誰かに話したらすっきりする事もあるかも知れないし」
 俺が口籠っているのを、言い辛い事があるとでも思ったのだろう――普通そう思うか。実際、そうだ――、いきなり心配をされてしまって、それはそれで戸惑った。
「いや……あぁ、そう……だな……」
 自分でも何を納得しているのか解らなかった。大体、相談するような話なんかない。もう、いいからそっとしとけよ。俺が悪かったって。
 口に出さずに、謝った。
「何でも……言ってね。絶対に誰にも言わないし」
 言いながら、穏やかな瞳で見詰められた。胸の辺りが疼いた。この目はかなりやばい。元々美人だってのに、益々美人に見えて、理性がぶっ飛びそうだった。
 俺は、ぐっと息を止める。そうでもしないと、呼吸と一緒に言いたくない事まで言いそうだ。つまり、答えを知りたいが故に知りたくもない問い掛けを。
「私じゃ頼りないかも知れないけれど、貴方の力になりたいのよ」
 そんな事を、軽々しく言うな。期待しちまうだろうが。
 俺が奥歯を噛み締めた、その時、女の後ろから風が吹き付けた。もうじき着く島が、春島なんだろう。温い風が緩く吹き、その上甘ったるい花の香りが漂ってきた。波にたゆとう淡い紅色の花弁は、この香りと共に風に舞い、海に落ちたのだろう。そんなものが視界を過ぎって、その上甘い香りに気が緩んで、俺はうっかり口を開いた。
「――何で?」
 口から出た言葉。慌てたところで、吐き出した言葉は飲み込めない。だけど、聞きたかった言葉はころりと唇から零れ出した。花の香に惑わされて。
 何で、そんなに俺の事を気に掛けてくれるんだ? 何か、他の奴等とは違う特別な理由があるんじゃないか? なんて――特別な理由を期待した。
 なのにあいつはきょとんとして、
「あら……何でって……仲間だから、よ?」
 見事なまでに期待外れな、そしてなるべくなら聞きたくなかった言葉。わざわざ“他にどんな答をお望み?”とばかりに「当たり前でしょ」と付け加えて。
「それとも、貴方は未だ私を仲間だとは思ってくれない?」
「――んなわけねぇだろ!」
 思わず、声を荒げた。仲間でもない奴を助けるために、世界政府を敵に回すような馬鹿がどこにいる。そんな事、とうに解ってると思っただけに、苛立った。だが、そんな心配をしなきゃいけないような事を言ったのも、俺だ。
「良かった」
 そう言って、笑う。少しほっとした。
 そういえば、最近こいつはよく笑うようになったような……。この笑顔にも、惹かれてる。よく笑うようになったのは、こいつが本当の意味でこの船の仲間になったからだろう。笑顔は今まで何処か距離をとっていたあいつが、この船に溶け込んだ証左だ。仲間である事が当たり前になった。
 次第に荒々しく波を掻き立てる春の風を感じながらそんな事を考えていると、不意に頬が緩んだ。
「何だか……優しい顔をするようになったわね、貴方。最近、良い事でもあった?」
 取り敢えず、今日は良いか、と思っていた。日を改めて――頭の中を整理して――話そうと思っていたところでいきなりそんな事を言われ、俺は顔を上げた。思い掛けない言葉だった。
「そう……か?」
「そうよ。優しい顔で笑うようになったわ」
 そうだろうか。俺は変わったつもりはないんだが。いつも通りだが――こいつといるから、顔が緩んでるんだろうか。それは、かなり恥ずかしい。
「そんな事ねぇよ。今まで通りだ」
 慌てて、つっけんどんに返す。
「今まで、私には見せてくれていなかったのね、きっと」
 そういう風に解釈するか。でも、そういうもんか。確かに、エニエス・ロビーの戦いまではこいつの事を警戒していた。意図的に二人切りになる事を避けておきながら、監視し続けた。
「……そうだな」
 これ以上、どう答えて良いのかも解らずに、取り敢えず肯定をしておいた。俺の目の前に立つ女は、昇ったばかりの薄ら儚い月を背に、笑顔とも泣き顔ともつかない曖昧な表情を浮かべて、それでも笑っているかのような明るい声で「仲間になれて嬉しいわ」と言った。全然嬉しそうに見えないんだが……。
 気に障る事言ったのか、俺は?
 風が強くなった。冷たくはないが、鎖骨の辺りで切り揃えられた黒髪が風に嬲られている。煩わしそうに顔をしかめ、髪を掻き上げる女を、早く船室内に入れてやるべきだろう。
「風が強いな……」
「そうね」
 答え、小さく頷く女を見上げた俺の視界の片側を、紅い幕が突然塞いだ。
「っと……」
 俺が顔に手を伸ばすより早く、こつん、と音を立ててあいつは階段を一、二段降りて手を伸ばしてきた。一瞬、ひやり、と冷たい感触。引き剥がされたそれは、潮風に濡れた花弁。塞がれていた片目を開くと、同時に間近に女の顔。片側の目は開いていた筈なのに、両眼で見ると、途端に距離がリアルに感じられた。
 俺は慌てて踵を返し、あいつから距離を取った。二、散歩歩いてさり気なく、少なくともさり気なく見えるように努力しながらゆっくりと振り返る。
「風強いから、中入れよ。悪かったな、いきなり呼び止めて」
「いいえ」
 その言葉だけを聞いて、またあいつに背を向けて歩き出す。この船の中の、何処へ行くかも決めていないが、俺がこうして歩き出せば、あいつも中に入るだろうとそう思って。だが、どういうわけかあいつが動き出す気配が感じられない。本当に、どういうわけだ。
 俺は、足を止めた。その一瞬、空気が動いた。あいつが、動き出した。振り返ると、細い背中が視界に入る。その向こうから、風に乗って紅の花弁が何枚も揺れている。
「ロビン!」
 あいつが今し方俺に背中を向けた事は明白で、慌てて船室に戻ろうとしていたのは直ぐに解った。
「……何?」
 それでも、なんでもない振りをしてこちらを振り返るから、俺も笑いを噛み殺し、なんでもない振りをする。
「明日、島に着いたらプレゼントになんか買ってやる」
「良いわよ、そんなの別に……」
「良いから考えとけ。高いもんは無理だけどな」
 この期に及んで遠慮しやがるあいつに、放った俺の口調はきつかったろうか。だが、それ以上何も言えずに背を向ける。急に顔がかぁっと熱くなって、あの花弁より紅い顔をしてんじゃないかと思えたから。
 多分コックが豪勢な晩飯を用意するために船に篭るだろうから、船番に当たる心配はない。二人で歩く口実を。
「ありがとう!」
 背中にぶつかった言葉。そいつは一気に俺の血を沸き立たせた。沸騰寸前だ。同時に湧き上がる衝動を、俺は必死に抑えた。
 俺は振り向かず――振り向いたら触れたくなる――ただ、右腕を挙げて応えた。
 頭ん中にあいつの叫んだ「ありがとう」が響き渡る。きっと明日まで消えないだろうこの鐘のような響き。ずっと、あいつを警戒して、突き放すような言葉ばかりを投げつけていた俺にさえ、穏やかな顔を見せるようになったあいつの声が、こんなにも愛しい。
 あの甘ったるい花の香りに惑わされて、俺は明日、要らぬ言葉を、例えば本心を口にするかも知れない。だが、いつかは口にしたい言葉。決して後悔しないために、伝えたい感情。その“いつか”は、恐らく明日だ。代わりに、何を言われても傷つかない覚悟だけは決めておこう。




 島に着いたら、誰より早くあいつを連れ出して街に繰り出してやる。俺達が、傍からどんな風に見えるのかが気になる。
 それより気になるあいつの気持ちを、きっと聞く事になるだろうと予感しながら、次第に濃くなる花の香りに、俺はゆっくりと眼を閉じた。
 耳の奥に、女の声が響いていた。
 まるで、天を渡る鐘の音のように。
眼を閉じて。
それだけで、真実が解る。
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