その声が響く。
 それは、掛け替えのない二番目の贈り物。




    紅い花弁と、お終いの言葉。
  



 ふと、視線を感じる。まるで、監視か観察でもされているみたいに。
 いつだったか、ルフィと二人で歩いていた時。屋台の串焼きを二人で食べていたら、ルフィが山程口にねじ込んで、口の周りを汚していた。その顔を私がハンカチで拭いて、ふと顔を上げた時、彼がこちらを見ている気がした。
 ウソップと一緒に工具と船を修理するための材料を買いに行った時の事。空島の前だったかしら、後だったかしら。誇らしげなウソップの隣りでちらりと背後を見遣ると、彼がいるのが見えた。
 チョッパーとはよく、一緒に本を読む。チョッパーが人獣化して私の膝の上に座り、両手で抱えるようにしてチョッパーの帽子越しに読むのが、最近の私のお気に入り。これは、エニエス・ロビーを出てから習慣になった。時々くすぐると、チョッパーの反応が面白い。くすぐり返そうとするのも、また。だけど、何気なく顔を上げた視線の先に、いつも彼の姿があるような気がする。偶然かしら。それとも――
 ウォーターセブンで仲間になったフランキーは、変わった人。だけど、見かけによらず私より年上だし、一番近くても九歳も離れた年下ばかりの船で、年上の存在はかなり安心出来る。彼みたいな変わり者でも……というのは、失礼かしら。頼りになるし、意外と文句も言わずに何かと手を貸してくれる。買い出しの時にはよく荷物を持ってもらう。そうして歩く街の片隅に、やはり彼を見付ける。
 ナミは、ウォーターセブンを出てから特に、よく私の事を頼ってくれるようになった。これまでよりずっと距離が近くなったのが解って、嬉しい。不意に視界の端に入る彼は、もしかして、ナミを見ているの? そう思うと、なんだか急に胸が痛んだ。
 それから……距離が近くなったのは、ナミだけじゃない。料理を差し出す距離も近くなったし、自然なスキンシップも増えたと思うのは、この船で一番女性に対する態度が柔和で優しい青年。危なっかしい少年達の中で一際大人っぽい彼は、とても安心出来る。彼と笑い合い、微かに反らした眼に映る、彼と同い年の青年の姿。
 この船に乗っているみんな、私の大切な仲間。みんな一緒にいて楽しいのは当たり前だけれど、誰かと二人でいる時も、とても楽しい。なのに、時々――どういうわけか、いつも突然に思う事がある。そうして誰かと一緒にいる私を、彼はどう思うの?
 そんな意味不明な思考を、毎日脳内で繰り返す理由が、私にはつい最近まで解らなかった。解ってしまった今となっては、どうして解らなかったのかが不思議でならない。とはいえ、何故解ったのかもよく解らない。ある日突然、何の前触れもなく理解した。その瞬間、それまで胸の辺りで燻っていた何かがすっとお腹の底に消えた。正に“腑に落ちる”瞬間だった。
 気付いて、ふと、思った。
 だったら、彼と二人きりで並んでいる時は、周りの人からどう見られているのかしら。
 悲しいかな、私は背が高い。ヒールの高い靴ばかり持っているから、余計に彼を見下ろす形になる。前に一緒にいた男が背が高くて余り気にしたことなかったんだけど、これは今になって後悔している事の一つ。彼と私、少なくとも、友達には見えるのかしら。
 そもそも、考えてみたら、私は彼と二人切りで街を歩いたりしたことなんか一度もない。二人切りで話しをした事自体、かなり少ないんじゃないかしら。きっと、誰も、私と彼がどんな風に見えるかなんて、考えた事ないんでしょうね。当たり前だけど。
 大体、他のみんながどう思っているかなんて、本当は関係ない。それよりも、彼が私をどう思っているのかが知りたい。私の事を、未だ警戒しているの?




 昼食の席で、明朝には次の島に着くとナミが言った。みんな、久々の陸で大喜びだった。食料が底をつき掛けていると嘆くこの船のコック――ある意味で生命線といっても過言でもない――が、不意に、明日は私の誕生日だから島に着いたら盛大に祝おうと言ってくれた。祝われるような年じゃないからと遠慮したのだけれど、彼等に遠慮なんて言葉はないみたい。気にするな、で終わった。きっと、彼等も騒ぎたいのだろう。お言葉に甘えようと思った。考えてみれば、人から誕生日を祝ってもらうなんて、何年振りかしら。オハラで八つを迎えて以来かも知れない。
 その日の夕方はなんとなくわくわくしていた。なのに、急にそれはどきどきに変わる。私は誰もいない甲板を横切り、食堂に向かう階段を上っていた。その途中、いきなり階段の下から声を掛けてきたのは、彼、だった。心臓が止まりそうなくらいどきりとした。
「どうしたの?」
 声が上擦りそうで、必死で冷静な振りをして見せた。まさか、彼から声を掛けてくる何て思わなくて、胸が高鳴った。嫌だわ、イイ年をして、初心な娘みたいで恥ずかしい。「おい」と、背中にぶつかったその一言。それだけで、嬉しくて。
 解ってる。というより、今解った。結局、私はいつも彼の言葉を、期待しているんだわ。だけど、彼の方から声を掛けてくれる事は殆どなくて、だから鼓動が早まるのだわ。
「どうって……いや、どうもしてねぇ」
 彼の言葉に、胸の奥が疼いた。声を掛けてくれたのは、間違いだったのかしら。そう思うと、苦しくて。なのに、私の口からは素っ気のない乾いた言葉しか出ない。
「そう?」
「あぁ。わ……悪ぃ、呼び止めて」
 困ったように彼は顔をしかめた。
「いいえ」
 全く、何でこんな言い方しか出来ないのかしら、私は。情けない。私はきっと、凄く冷たくて嫌な言い方をしたに違いない。いつも私を監視するように睨んでいた彼が、私から顔を逸らしているのだから。きっと、不愉快な想いがしたのだろうと思うと、居た堪れなくなった。少しでも、会話を繋ぎたかった。
「あ……何か、相談でも?」
「え?」
 口の中で何か言っていた彼に、私は声を細めて聞いてみた。彼に何か言って欲しい私の、苦肉の策。
「何か、悩みでもあるの? 私で良ければ、いつでも相談に乗るわ。話を聞くくらいしか出来ないかも知れないけど、誰かに話したらすっきりする事もあるかも知れないし」
 彼に、私に話してくれるような悩みや相談があるなんて、思ってない。だけど、何か言おうとしてくれていたようだし、私がもしも彼の役に立つなら、どんな事だってしたい。
「いや……あぁ、そう……だな……」
 ――そう思っていたのに、私の言葉は、益々彼を困らせてしまったみたいで。彼ともっと話をしたいだなんて、全く我儘な事。そんな顔しないで、私が悪かったんだわ。
 胸の奥で、謝った。
「何でも……言ってね。絶対に誰にも言わないし」
 困らせてるって解ってるのに、言わずにはいられない。見詰めずにはいられない。私さえ眼を逸らさなければ、いつか視線が交わるかも知れない。でも――
 私は、ぐっと息を呑んだ。そうしないと、言ってはいけない事まで言ってしまいそうで。例えば、そう、折角仲間になれたのに、仲間でいられなくなるような言葉を。
「私じゃ頼りないかも知れないけれど、貴方の力になりたいのよ」
 危ういところだけれど、精一杯の言葉。本心だから。
 私がそっと喉に引っ掛かった想いを飲み込んだ、その時、背中に暖かな風が吹き付けて来た。次の島は、春島なのかしら。風に、甘やかな花の香りが漂っている。ふと海面を見遣ると、紅い花弁が揺らめいていた。花の香りは、何故だか私を饒舌にさせるから、口にしたくない言葉まで零れだしてしまいそう。出来れば今はこの香に触れたくない。私は呼吸を止めた。
「――何で?」
 口を開いたのは、彼の方。突然の、はっきりとした問い掛けに、鼓動が早鐘を打った。これまで曖昧な言葉を漏らすばかりだったのに、突然のそれは、最初の呼び掛けと同じくらいはっきりと。
 何で? 何でって、どういう意味? そんな事聞かないで。本当の事を言いそうで、とても怖い。絶対に言ってはいけない、お終いの言葉を。
 私は素知らぬ振りをして首を傾げて、
「あら……何でって……仲間だから、よ?」
 口にした瞬間、彼がそれすら望んでくれなかったらどうしようかと思った。だけど、せめて仲間でいたいから。その気持ちは解って欲しくて、「当たり前でしょ」と付け加えた。
「それとも、貴方は未だ私を仲間だとは思ってくれない?」
「――んなわけねぇだろ!」
 彼は、いきなり怒鳴り声を上げた。余りの事に、私は後じさり掛けた。だけど私は階段の上にいて、それ以上さがれず、小さく足を踏む。些細な物言いに怒るくらい、仲間だとちゃんと思ってくれる事が素直に嬉しくて、笑って見せた。同時に、悲しくもなった。
「良かった」
 そう囁けば、彼は微かに微笑んだ。
 そういえば、彼は最近、とてもよく笑うようになった気がする。とても、優しい顔をするようになった気がする。いつもの凛とした鋭い瞳も好きだけれど、時折見せてくれるこの優しい輝きを秘めた瞳に、私はとても惹かれている。こんな笑顔を見られただけで、生きていて良かったとさえ思える。あの時、死ななくて良かったと。
 次第に荒々しく波を掻き立てる春の風を感じながら、そんな事を考えていると、彼はまた、口許を緩めた。
「何だか……優しい顔をするようになったわね、貴方。最近、良い事でもあった?」
 彼の笑顔が愛おしくて、その頬に触れたいと思った瞬間、漂ってきた甘い花の香りに、私の口も緩んでいた。思わず言ってしまった言葉に、彼は顔を上げた。怪訝そうな顔をしていた。
「そう……か?」
「そうよ。優しい顔で笑うようになったわ」
 訝るように、探るように問うて来る。私は慌てて言葉を次いだ。本当にそう思うのだけれど、彼は、そんな事を言われたくはなかったのかも知れない。
「そんな事ねぇよ。今まで通りだ」
 彼の言葉は荒っぽく不機嫌そうで。そうね、その通りね。
「今まで、私には見せてくれていなかったのね、きっと」
 だって、仲間じゃなかったから。他のみんなは、ずっと貴方のこんな魅力的な笑顔に触れていたんでしょうね。それを知らずにいたのは、私だけ。それを知らずにいながら、それでも私は――
「……そうだな」
 さらりとした肯定に、胸を引き裂かれた想いがした。ずっと仲間だと認めていなかったのだと、彼の口からはっきりと言われて、こんな痛みを感じるなんて、思ってもなかった。解ってた筈なのに、何故。私は兎に角笑って、「仲間になれて嬉しいわ」と言った。少なくとも、今は仲間だもの。そう思ってくれているのだもの。
 でも、私、ちゃんと笑えているのかしら……。
 風が強くなってきた。冷たくはないけれど、私の肩を通り過ぎる風は、耳元に揺れる髪を嬲り、唇の辺りで絡み合う。私は思わず眉を寄せ、髪を掻き上げた。
「風が強いな……」
「そうね」
 答え、私が頷いた時、私の腕を掠めた紅い花弁が一枚、彼の左目に貼り付く。
「っと……」
 私は慌てて階段を二段程降り、彼の顔にゆっくりと手を伸ばした。急に触れては驚かれるだろうと思いつつ、彼の手が届くより早く。そぉっと、私は彼の視界を私から奪った悪戯な紅を引き離した。見開かれた瞳は思ったよりずっと近くて、この花と同じ色で彼の口を塞ぎたいと、そんな衝動を、懸命に押し殺した。
 想いを悟られたのではないかと、身体が強張ったのはその次の瞬間の事。彼は、何も言わずにそのまま私に背を向けたのだ。だけど、少し離れて、彼はゆっくりと振り返った。
「風強いから、中入れよ。悪かったな、いきなり呼び止めて」
「いいえ」
 私が言えたのは、そんな乾いた言葉だけ。さっきも、それで失敗をしたというのに、結局それ以上の事は口に出せなかった。彼の優しさは嬉しいけど、もっと一緒にいたい。益々強くなる風に弄ばれる髪を両手で束ね、私は彼の背中を見るともなく見詰めていた。
 視線に、気付かれただろうか。彼がまた足を止めた。行かなくちゃ。私も彼に背中を向ける。背中に眼を咲かせようかなんて、少し思った。だけど視界に映るのは、風に舞う紅い花弁ばかり。
「ロビン!」
 慌てて船室に入ろうとした私の背中に、また彼の声がぶつかる。今度はさっきよりはっきりと、そして、私の名前を――
「……何?」
 ずっと見ていた事に彼は気付いている筈だけど、なんでもない振りをして振り返るしかない。彼はきっと、笑いを堪えてるだろう。
「明日、島に着いたらプレゼントになんか買ってやる」
「良いわよ、そんなの別に……」
「良いから考えとけ。高いもんは無理だけどな」
 突然の言葉は、驚いたなんてものではなくて、咄嗟に零した可愛げのない言葉。「本当、嬉しいわ」なんて、少女のように口に出来れば良いのに。あの花弁より紅く染まる頬だけは馬鹿みたいに素直で、彼がまた向こうを向いて行ったのがせめてもの救いだった。
 考えておいた方が良いのかしら。二人で選びたいなんて我儘かしら。明日はせめて、船番にだけはしないで、みんな。
「ありがとう!」
 私の精一杯の素直な気持ち。だけど花の香りに惑わされてそれ以上は言わないように、直ぐに口を塞いだ。ぎゅっと歯を結んで。
 彼は振り返ってはくれなかったけど、右手を挙げて応えてくれた。
 胸の中に、彼が呼んでくれた、私の名前が響いてる。当たり前のようで総てが特別で、この名前をこれまで以上に好きになった。両親が、私のために用意してくれた、世界で最初の贈り物。彼の唇は、それをますます愛おしいものにしてくれる。
 あの甘い花が私の唇を操るから、私は明日、言ってはいけない言葉を、お終いを導く本心を口にしてしまうかも知れない。だけど、いつかは口にしたい言葉。その“いつか”を明日にしてしまっても、良いのではないかと思った。ただ、傷付かないために覚悟だけは決めておかなくては。




 島に着いたら、彼がどれだけ嫌がったとしても彼について一緒に街に行こう。私達は、みんなからどんな風に見えるのかしら。
 それより気になる彼の気持ちを、私はきっと聞いてしまうだろう。お終いの予感を感じながら、徐々に濃くなってゆく甘い香りを胸に吸い込み、私は静かに瞳を閉ざした。
 耳の奥に、彼の声が響いていた。
 私を満たす、それは、最高の贈り物。
眼を閉じて。
それだけで、真実が解る。
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